曙 町 か ら

一立川市民の
ご近所・町内
観察日記





since 2005

玉川上水 玉川上水緑道(2)

2006-06-23 | sketch/連載/川
下流方向の眺め。転落防止の金網が張ってある。この右(南)側がゴルフ場になっていて、
その他団地、スポーツセンター、ショッピングセンター等広い敷地を必要とする施設が隣接
しているが、もとは全部昭和飛行機だった。

玉川上水 松中橋(2)

2006-06-19 | sketch/連載/川
橋の北側に時代を感じさせるコンクリート製フェンスが残されていた。玉川上水と
JR青梅線にはさまれた、昭島駅の北側の土地は戦時中昭和飛行機の敷地だった。滑
走路まであったというからかなりの規模だが、その滑走路を上水以北へ延長する計
画もあったらしい。その話から推測すると、上水の北にも土地を持っていた可能性
もある。古いフェンスを見ながらそんな事まで想像が膨らんだ。撮影ポイント。

奥に見える信号の所に橋が架かっている。


反対側(南)の角度から撮影。

玉川上水 砂川用水

2006-06-17 | sketch/連載/川
上水づたいに上流を目指して進むと、松中橋の手前で砂川用水が見られる。この砂川用水
と柴崎用水の取り入れ口が橋のそばにある。江戸に飲み水を供給していた玉川上水は本来
めったな事では分水を認めなかったらしい。その分水が許可された背景には農民の熱意と
ともに、幕府を納得させるだけの高度な治水技術を砂川や柴崎の農民が持っていた事を示
しているのではないだろうか。分水した為に玉川上水が枯れてしまったり、氾濫するよう
ではお膝元に甚大なダメージを与えかねないからだ。

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開通したのは砂川の方が明暦3年(1657)、柴崎は元文2年(1737)で、80年の違いがある。
玉川上水と甲武鉄道の関係については以前紹介したとおりだが、その甲武鉄道の立川駅が
現在の場所に決まったのには砂川の人たちの影響がある。当初の計画では今よりも西側に
駅が開設される予定だったが、柴崎の人たちがSLに必要な水の供給に消極的だったのに対
して、砂川の人たちはより好意的に進んで水を提供したがったようだ。そのために現在の
場所に駅をずらして開設された。