曙 町 か ら

一立川市民の
ご近所・町内
観察日記





since 2005

栄緑道(3)

2006-12-31 | sketch/連載/廃線跡
国分寺市西町を通る緑道。横切っているのは戸倉通り。
goo地図


鉄道だった頃、東側は一面の畑だったと思われるが、
その面積は徐々に狭くなり住宅街に替わりつつある。

栄緑道(2)

2006-12-30 | sketch/連載/廃線跡
国立市の北第一公園から北へ延びる緑道の入り口。
緑道は国立から国分寺を通って立川までつながって
いて、厳密に言うとそれぞれ呼び名が違う。
国立では北緑地、国分寺では西町緑地となっている。
goo地図


レールを使った記念碑。このあたりが国分寺との市境
で、この先西町緑地に入る。

栄緑道(1)

2006-12-29 | sketch/連載/廃線跡
こちらは中央線立川駅の東から分岐していた側線で、現在は
栄緑道となっている。写真はかつて分岐した線路が通ってい
たと思われる場所から国立踏み切りの方向を写した。
goo地図


同じ場所から、北第一公園の方向を写した写真。

ちなみに線路が残されていた頃の写真は下記リンク
を参照して下さい。

消えた貨物線は残っていた
同 続報

中神側線跡(終)

2006-12-28 | sketch/連載/廃線跡
富士見通りに突き当たって側線跡は終わっている。
右手に写っている建物はあきしま相互病院。goo地図


基地跡地に残る煙突や建物。近くにランドリーゲートと
呼ばれていた門があり(現在は閉鎖)、米軍基地時代の
洗濯工場ではないかと思う。
このあたりの町名は中神町、築地町や福島町。
中央区築地の魚市場も、戦後間もなくは進駐軍に接収さ
れて洗濯工場だった。面白い偶然の一致。

中神側線跡(4)

2006-12-27 | sketch/連載/廃線跡
おととい紹介した写真の分岐点から左の道を進む。
こちらは右の道よりも大きなカーブを描いているが、
同じく富士見通りをめざしている。所々に残された
米軍ハウスが見られる。


goo地図


住宅街の中を進む曲線道路。側線跡である事を示しているのだろうか、
黄色い反射テープを巻いた鉄のポールが並ぶ。

中神側線跡(3)

2006-12-26 | sketch/連載/廃線跡
分岐点で右の道を選ぶと、すぐ富士見通りに出る。
写真奥に写っている金網の向こう側が基地跡地で、
薮の中を探せばプラットホームでも残っているかも
しれないが、残念ながら立ち入り禁止。
goo地図


富士見通りから見た側線跡。航空工廠の碑はこの近くに設置されている。

中神側線跡(2)

2006-12-25 | sketch/連載/廃線跡
側線跡の道路は住宅街の中を通っている。この住宅街の家屋は、
古くからあったものと最近できたものが外見ではっきり見分けら
れるのが面白い。建物のデザインや経年による痛み具合が違うの
は当たり前だが、それ以外にもすぐ見分けがつくのは、家の向き
だった。最近、つまり側線が道路になった後に出来た家はおもて
(玄関)が道に向いている。この写真のように古く(線路だった
頃)からある家は、後ろを向いている。玄関がこちらにあっても
鉄道の線路では出入りができない為だろう。


かつて線路が分岐していたところ。


レールの一部とポイント切り替え機が記念に残されている。


goo地図

中神側線跡(1)

2006-12-24 | sketch/連載/廃線跡
立川に軍事基地があり、その周辺には様々な軍事施設があった。
そして立川駅は中央線や青梅線が通っていたため、鉄道を利用し
た側線で物資の補給を行っていた。その青梅線から枝分かれした
鉄路が中神側線で、廃線後には整備されて住宅街の中を走る道路
となっている。
上の写真はその廃線跡として見られる南端部分。ここからは少し
ずつカーブしながら中神駅へ向かっていたと思われる。goo地図


写真の場所から南へ行くとこの昭和郷踏み切りに出る。


踏み切りから中神駅方向を望む。この線路が途中から右(北)方向へ枝分かれ
して、側線となっていた。

まだ線路が残っていた当時の様子が我が家の近所の鉄道廃線跡というサイトで
見られるので、参考までにどうぞ。