曙 町 か ら

一立川市民の
ご近所・町内
観察日記





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旧五鉄跡の風景 富士見町二

2007-03-29 | sketch/連載/廃線跡
以前に、五日市線の廃線となった部分にあった武蔵上ノ原駅跡
を紹介した。
そこから西に百数十メートルの所にあるのがこの裏通り踏み切
り。goo地図


踏み切りから西立川方面の眺め。ここで線路はカーブして北上
して行く。五日市線が走っていた時代にはまっすぐ西へ向かっ
ていたと思われる。


すぐ隣りの立川南通り。線路跡を利用した道だろうか。

富士見町 灯籠

2007-03-28 | sketch/単発記事・短期連載/その他
残堀川の滝口橋から下流は、しばらく段丘の下に沿って
流れている。この崖になっている土地は利用するにも限
られた用途しかないので、空き地になっている場所が多
い。
富士見町四の富士見第二公園の東隣りも、駐車場の南が
そのような状態なのだが横の坂道から灯籠が見える。
私有地のようで、フェンスに囲まれていて中に入るのは
遠慮した。


そしてすぐ横には岩に囲まれた水たまりがある。場所が
場所だけに湧き水の可能性大と思った。湧き水と灯籠。
おそらくかつては神社があったのではないだろうか。
goo地図

富士見町 植桜記念碑

2007-03-27 | sketch/単発記事・短期連載/その他
御大典記念

爰ニ本團支部ハ御大典記念
事業トシテ本地先田用
水排水路涯塘上ヲ清浄シ櫻
樹数百ヲ移植シ以テ後毘ニ
残スト云フ
大正三年三月 立川町青年團
       馬場支部


天皇の即位儀礼は、践祚(せんそ)、即位式、大嘗祭の
三つからなる。明治四十二年の登極令制定以後は、即
位式と大嘗祭を前天皇の喪が明けてから行われる事に
なった。この二つの儀礼を御大典と言うそうだ。


その桜は二分咲きといったところ。暖かい日があと何日
か続けば満開になり、花見で賑わうのだろう。


河原の菜の花は今が満開。残堀川の馬場坂下橋にて。
goo地図

矢川 矢川緑地(3)

2007-03-25 | sketch/連載/川
緑地内にある湧水池。わき出す水は年々減っているらしい。
都市化に伴って、コンクリート、アスファルトに覆われた
部分が増えれば、下水道へ流れる降水も増える。
その分地面に浸透する水は減り、当然湧水も比例して減っ
ていく。この緑地もあと何年持ち堪えるのだろう。

矢川 矢川緑地(2)

2007-03-24 | sketch/連載/川
東京都が整備し、管理も都の税金で賄われているようだ。
goo地図


湿原の手入れは、茅を刈り取るのが手間だが放っておくと
あっという間に覆い尽くされてしまうという話だ。


緑地の南は国立市で、隣接する場所には遊歩道のような細長い
公園が併設されている。

矢川 矢川緑地(1)

2007-03-23 | sketch/連載/川
みのわ通りの手すりから見下ろした矢川。東京都が整備した、
湿原を中心とした環境保全の公園である矢川緑地内を流れる。
goo地図


逆方向、緑地内からみのわ通りを向いた眺め。右の民家の下に
玉石の護岸が見られる。七小付近に残されている護岸壁と同じ
ものに見える。

矢川 矢川弁財天

2007-03-22 | sketch/連載/川
立川技術専門校の東に隣接する神社。goo地図


ここもけっこうな量の湧水が見られる。




社の前には狛犬ではなく一対の龍神。日本では非業の死を
とげた者を神として祀る。人間でも動物でも。
荒れ地を開墾して人間が定住する過程で、共存が不可能な
「まむし」のような毒蛇は相当数殺してきたに違いない。
湧き水、神社、農地、そして供養の対象となる蛇を象徴す
る龍神は切っても切りはなせない関係にある。

矢川 羽衣町の水源

2007-03-21 | sketch/連載/川
羽衣町三の立川技術専門校。
立川市教育委員会発行の「立川の歴史散歩」によると、
第七小学校北の水源は断たれて、技術専門校付近の水源
から矢川が流れだしていると説明されている。


技術専門校裏手で姿を表す矢川。
矢川の湿原で管理作業をしている人に話を伺うと、現在
でも七小の北から流れて来ているという説明だった。
「立川の歴史散歩」とのくい違いはどう考えればいいの
だろう。
暗渠の中の事なのでこの目で確認することは出来ない。
推測すると、水源は一つだけという考えにこだわる必要
はないのではないかと思う。
段丘下という地形から、水源は複数あって、矢川に流れ
込んでいる可能性は捨てられない。goo地図


数メートル先で、みのわ通りの下へ流れて行く。通りの
下に緑川が流れ、そのさらに下を矢川が交差する形だ。

矢川 水源

2007-03-20 | sketch/連載/川
写真は錦町五の第七小学校正門。矢川湿原に流れ
込んでいる矢川の水源は、かつてこのあたりにあ
った湧水池で、「井戸端」と呼ばれていた。
現在の矢川はほとんどが暗渠になってしまって、
みのわ通りの近くまで行かないと見る事が出来な
い。goo地図
七小の北に東西方向に通る道があるが、この下を
流れていると思われる。この道の一部には玉石で
造った石垣
が見られる。耕地整理の時に造られた
護岸だそうだ。


小学校の北面に沿った路地。かつては川沿いの道だった
のだろう。


暗渠の上の道、東方向の眺め。この先に湿原がある。


小学校の南にある第六天神社。「井戸端」との関係は
不明だが、水と神社の組み合わせは普遍的なもの。