立川南通りを西へ。
電車は車と違って直角には曲がれないので、方向を変える
にはレールをゆるやかにカーブさせる。地図でそういう独
特のカーブを探してつなぎ合わせながら、拝島までの経路
を探った。
goo地図
電車は車と違って直角には曲がれないので、方向を変える
にはレールをゆるやかにカーブさせる。地図でそういう独
特のカーブを探してつなぎ合わせながら、拝島までの経路
を探った。
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以前に、五日市線の廃線となった部分にあった武蔵上ノ原駅跡
を紹介した。
そこから西に百数十メートルの所にあるのがこの裏通り踏み切
り。goo地図
踏み切りから西立川方面の眺め。ここで線路はカーブして北上
して行く。五日市線が走っていた時代にはまっすぐ西へ向かっ
ていたと思われる。
すぐ隣りの立川南通り。線路跡を利用した道だろうか。
を紹介した。
そこから西に百数十メートルの所にあるのがこの裏通り踏み切
り。goo地図
踏み切りから西立川方面の眺め。ここで線路はカーブして北上
して行く。五日市線が走っていた時代にはまっすぐ西へ向かっ
ていたと思われる。
すぐ隣りの立川南通り。線路跡を利用した道だろうか。
残堀川の滝口橋から下流は、しばらく段丘の下に沿って
流れている。この崖になっている土地は利用するにも限
られた用途しかないので、空き地になっている場所が多
い。
富士見町四の富士見第二公園の東隣りも、駐車場の南が
そのような状態なのだが横の坂道から灯籠が見える。
私有地のようで、フェンスに囲まれていて中に入るのは
遠慮した。
そしてすぐ横には岩に囲まれた水たまりがある。場所が
場所だけに湧き水の可能性大と思った。湧き水と灯籠。
おそらくかつては神社があったのではないだろうか。
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流れている。この崖になっている土地は利用するにも限
られた用途しかないので、空き地になっている場所が多
い。
富士見町四の富士見第二公園の東隣りも、駐車場の南が
そのような状態なのだが横の坂道から灯籠が見える。
私有地のようで、フェンスに囲まれていて中に入るのは
遠慮した。
そしてすぐ横には岩に囲まれた水たまりがある。場所が
場所だけに湧き水の可能性大と思った。湧き水と灯籠。
おそらくかつては神社があったのではないだろうか。
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御大典記念
爰ニ本團支部ハ御大典記念
事業トシテ本地先田用
水排水路涯塘上ヲ清浄シ櫻
樹数百ヲ移植シ以テ後毘ニ
残スト云フ
大正三年三月 立川町青年團
馬場支部
天皇の即位儀礼は、践祚(せんそ)、即位式、大嘗祭の
三つからなる。明治四十二年の登極令制定以後は、即
位式と大嘗祭を前天皇の喪が明けてから行われる事に
なった。この二つの儀礼を御大典と言うそうだ。
その桜は二分咲きといったところ。暖かい日があと何日
か続けば満開になり、花見で賑わうのだろう。
河原の菜の花は今が満開。残堀川の馬場坂下橋にて。
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爰ニ本團支部ハ御大典記念
事業トシテ本地先田用
水排水路涯塘上ヲ清浄シ櫻
樹数百ヲ移植シ以テ後毘ニ
残スト云フ
大正三年三月 立川町青年團
馬場支部
天皇の即位儀礼は、践祚(せんそ)、即位式、大嘗祭の
三つからなる。明治四十二年の登極令制定以後は、即
位式と大嘗祭を前天皇の喪が明けてから行われる事に
なった。この二つの儀礼を御大典と言うそうだ。
その桜は二分咲きといったところ。暖かい日があと何日
か続けば満開になり、花見で賑わうのだろう。
河原の菜の花は今が満開。残堀川の馬場坂下橋にて。
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緑地内にある湧水池。わき出す水は年々減っているらしい。
都市化に伴って、コンクリート、アスファルトに覆われた
部分が増えれば、下水道へ流れる降水も増える。
その分地面に浸透する水は減り、当然湧水も比例して減っ
ていく。この緑地もあと何年持ち堪えるのだろう。
都市化に伴って、コンクリート、アスファルトに覆われた
部分が増えれば、下水道へ流れる降水も増える。
その分地面に浸透する水は減り、当然湧水も比例して減っ
ていく。この緑地もあと何年持ち堪えるのだろう。
東京都が整備し、管理も都の税金で賄われているようだ。
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湿原の手入れは、茅を刈り取るのが手間だが放っておくと
あっという間に覆い尽くされてしまうという話だ。
緑地の南は国立市で、隣接する場所には遊歩道のような細長い
公園が併設されている。
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湿原の手入れは、茅を刈り取るのが手間だが放っておくと
あっという間に覆い尽くされてしまうという話だ。
緑地の南は国立市で、隣接する場所には遊歩道のような細長い
公園が併設されている。
みのわ通りの手すりから見下ろした矢川。東京都が整備した、
湿原を中心とした環境保全の公園である矢川緑地内を流れる。
goo地図
逆方向、緑地内からみのわ通りを向いた眺め。右の民家の下に
玉石の護岸が見られる。七小付近に残されている護岸壁と同じ
ものに見える。
湿原を中心とした環境保全の公園である矢川緑地内を流れる。
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逆方向、緑地内からみのわ通りを向いた眺め。右の民家の下に
玉石の護岸が見られる。七小付近に残されている護岸壁と同じ
ものに見える。
立川技術専門校の東に隣接する神社。goo地図
ここもけっこうな量の湧水が見られる。
社の前には狛犬ではなく一対の龍神。日本では非業の死を
とげた者を神として祀る。人間でも動物でも。
荒れ地を開墾して人間が定住する過程で、共存が不可能な
「まむし」のような毒蛇は相当数殺してきたに違いない。
湧き水、神社、農地、そして供養の対象となる蛇を象徴す
る龍神は切っても切りはなせない関係にある。
ここもけっこうな量の湧水が見られる。
社の前には狛犬ではなく一対の龍神。日本では非業の死を
とげた者を神として祀る。人間でも動物でも。
荒れ地を開墾して人間が定住する過程で、共存が不可能な
「まむし」のような毒蛇は相当数殺してきたに違いない。
湧き水、神社、農地、そして供養の対象となる蛇を象徴す
る龍神は切っても切りはなせない関係にある。
羽衣町三の立川技術専門校。
立川市教育委員会発行の「立川の歴史散歩」によると、
第七小学校北の水源は断たれて、技術専門校付近の水源
から矢川が流れだしていると説明されている。
技術専門校裏手で姿を表す矢川。
矢川の湿原で管理作業をしている人に話を伺うと、現在
でも七小の北から流れて来ているという説明だった。
「立川の歴史散歩」とのくい違いはどう考えればいいの
だろう。
暗渠の中の事なのでこの目で確認することは出来ない。
推測すると、水源は一つだけという考えにこだわる必要
はないのではないかと思う。
段丘下という地形から、水源は複数あって、矢川に流れ
込んでいる可能性は捨てられない。goo地図
数メートル先で、みのわ通りの下へ流れて行く。通りの
下に緑川が流れ、そのさらに下を矢川が交差する形だ。
立川市教育委員会発行の「立川の歴史散歩」によると、
第七小学校北の水源は断たれて、技術専門校付近の水源
から矢川が流れだしていると説明されている。
技術専門校裏手で姿を表す矢川。
矢川の湿原で管理作業をしている人に話を伺うと、現在
でも七小の北から流れて来ているという説明だった。
「立川の歴史散歩」とのくい違いはどう考えればいいの
だろう。
暗渠の中の事なのでこの目で確認することは出来ない。
推測すると、水源は一つだけという考えにこだわる必要
はないのではないかと思う。
段丘下という地形から、水源は複数あって、矢川に流れ
込んでいる可能性は捨てられない。goo地図
数メートル先で、みのわ通りの下へ流れて行く。通りの
下に緑川が流れ、そのさらに下を矢川が交差する形だ。
写真は錦町五の第七小学校正門。矢川湿原に流れ
込んでいる矢川の水源は、かつてこのあたりにあ
った湧水池で、「井戸端」と呼ばれていた。
現在の矢川はほとんどが暗渠になってしまって、
みのわ通りの近くまで行かないと見る事が出来な
い。goo地図
七小の北に東西方向に通る道があるが、この下を
流れていると思われる。この道の一部には玉石で
造った石垣が見られる。耕地整理の時に造られた
護岸だそうだ。
小学校の北面に沿った路地。かつては川沿いの道だった
のだろう。
暗渠の上の道、東方向の眺め。この先に湿原がある。
小学校の南にある第六天神社。「井戸端」との関係は
不明だが、水と神社の組み合わせは普遍的なもの。
込んでいる矢川の水源は、かつてこのあたりにあ
った湧水池で、「井戸端」と呼ばれていた。
現在の矢川はほとんどが暗渠になってしまって、
みのわ通りの近くまで行かないと見る事が出来な
い。goo地図
七小の北に東西方向に通る道があるが、この下を
流れていると思われる。この道の一部には玉石で
造った石垣が見られる。耕地整理の時に造られた
護岸だそうだ。
小学校の北面に沿った路地。かつては川沿いの道だった
のだろう。
暗渠の上の道、東方向の眺め。この先に湿原がある。
小学校の南にある第六天神社。「井戸端」との関係は
不明だが、水と神社の組み合わせは普遍的なもの。
明治政府の近代化政策の一つに、神道を国家宗教として
利用するという政策があった。その一環で廃仏毀釈を行
ったが、立川にも明治8年、廃寺になった寺院があった。
満願寺という寺で、その跡地に井戸が残されている。
場所は柴崎町の駐車場隣り。goo地図
利用するという政策があった。その一環で廃仏毀釈を行
ったが、立川にも明治8年、廃寺になった寺院があった。
満願寺という寺で、その跡地に井戸が残されている。
場所は柴崎町の駐車場隣り。goo地図