曙 町 か ら

一立川市民の
ご近所・町内
観察日記





since 2005

鎌倉街道 沢

2007-08-30 | sketch/連載/道
鎌倉街道は再び南へ方向を変え、残堀川の方へ向かう。


沢の稲荷前を通過する。沢というのはこのあたりの古い
地名。やはり段丘が近く、湧き水が豊富であった事から
付けられた名前だろう。goo地図


鎌倉街道南方向の眺め。

鎌倉街道 諏訪神社(1)

2007-08-24 | sketch/連載/道
第一小学校と諏訪神社に挟まれた所で諏訪通りと合流
している。
goo地図


「立川の歴史散歩」で鎌倉街道の北端を諏訪神社東と
しているのは、公園ビルからこの合流地点までが古道
ではなく最近出来た道という意味なのだろう。
ちなみに昭和二十八年の地形図で見ると、現在の公園
ビルの場所を突き抜けて今より数メートル南下できる。
しかし既に中央病院は存在しているので、病院の北か
らこの合流地点までの道は消失している。
中央病院が出来たのは戦後間もない昭和二十一年らし
い。それよりも古い地図を見ないと、街道のこの部分
がいつまで存在していたかは確認はできないようだ。


鎌倉街道 諏訪の森公園

2007-08-23 | sketch/連載/道
諏訪神社を取り囲んでいた鎮守の森を利用して
造られた公園。明治神宮の森は人工のものだそ
うだが、こちらの諏訪神社は811年の創建なの
でもちろん天然の森だった。


鎮守の森が徐々に小さくなっていく過程は、街
が発展して行く証と見て肯定的に解釈されたの
だろうか。それとも寂しいと感じられたのか。


鎌倉街道南方向の眺め。goo地図

鎌倉街道 公園ビル

2007-08-22 | sketch/連載/道
立川南通りを渡って、路地に入るとすぐ突き当たってしまう。
公園ビルという建物だが、かつての鎌倉街道はまっすぐ諏訪神
社の東まで伸びていたのではないかと言う人もいる。


西側から迂回する。鎌倉街道南方向の眺め。goo地図

鎌倉街道 名残

2007-08-20 | sketch/連載/道
きのうの写真の場所から、線路の反対側へ廻って来た。
goo地図


JR敷地との境界に木製の杭が並んでいる。枕木を再利用
したのだろう。鉄道会社らしいアイディアだが、その敷
地が手前に出っ張っている。古道がここを通っていたと
いう名残なのだろうか。
その向うに写っている線路は中央線直通の青梅線のもの。
同じ青梅線でも立川止りとは一部別ルートを走っている。
昔ここを通っていた旧五鉄の線路を利用しているらしい。


南へ続く鎌倉街道。



鎌倉街道 中央線

2007-08-19 | sketch/連載/道
住宅街の中を進み、中央線の線路に突き当たる。
鉄道が敷かれた時にその幅だけ街道は消失したの
だろう。ここまでが曙町で向こう側は柴崎町。


線路沿いの道から中央橋経由で廻り込む事にした。
goo地図

鎌倉街道 最初の踏切

2007-08-18 | sketch/連載/道
次に横切るのが西銀座通り。写真は東(立川駅北口)方向
の眺め。


まっすぐ進んで路地へ入ると、青梅線の踏切へ出る。


踏切の名前は曙第二踏切。以前も話題にした事があるが、
立川駅から数えて最初の踏切なのに、何故第二か?
四ツ角飯店奥の地下道は以前「諏訪通り踏切」と言う踏切
だった。通称西の踏切と呼ばれ、そこが第一となる。
goo地図

/// 追記 ///
四ツ角飯店と言えばすぐ近くに第一デパートがある。このデパートの
名前は第一の踏切から取ったという説がある。嘘(笑)。真に受けな
いでください。あくまで「諏訪通り踏切」で、西の踏切と呼ばれる事
はあっても第一踏切とは呼ばれなかったと思う。
第一デパートのエピソードはこちらをどうぞ。
もう一つついでに、推測だが諏訪通り踏切が地下道になったのは青梅
線の影響ではないだろうか。甲武鉄道(後の中央線)の線路だけを横
断する目的なら踏切で充分間に合ったはずだ。
(8/19追加)