曙 町 か ら

一立川市民の
ご近所・町内
観察日記





since 2005

根付道(終) 西銀座通りへ(2)

2008-04-30 | sketch/連載/道
やがて根付道は行き止まりになり、そこから先は消失している。
写真は行き止まりの場所から見える西銀座通り。


西銀座通りへ出たところ。目の前の交差点を左折すると、青梅街
道踏切。正面に木下サーカスの赤いテントが写っている。
かつての根付道はここから先、江戸海道と青梅線の線路の間のあ
たりを通って、昭島の福島まで伸びていたらしい。
goo地図

根付道 西銀座通りへ(1)

2008-04-29 | sketch/連載/道
緑川通りと西銀座通りが合流し、青梅線の新青梅街道踏切を渡る前
に交差点となっているが、根付道はそちらへ向かっていたようだ。
このあたりまで来ると、一戸建ての住宅は少なくなり、ビルやマン
ションに取って代わられつつある。


goo地図
根付道西方向の眺め。

根付道 鎌倉街道と交差

2008-04-28 | sketch/連載/道
所々で車用に拡幅された部分も目につく。


途中、2007年の8月~9月に連載した鎌倉街道と交差している。
その交差した場所から見た鎌倉街道北方向。下のリンク先の写
真は反対側から見た眺め。
2007/8/17 鎌倉街道


同じ交差点から南方向の眺め。西銀座通りのさらに向こう側に
青梅線の曙第二踏切が写っている。goo地図

根付道 都市化

2008-04-27 | sketch/連載/道
北へ向く路地。正面の高い建物は公団マンションのプラザシティ立川。
このあたりは立川駅も近く、昔から住宅・商店は建っていたと思われる
が、それだけに近年次々と高層化されつつある。一戸建ての住宅も耐用
年数をむかえると、マンション等に替わってしまい閑静な住宅街は様変
わりしてゆくのだろう。


反対の南方向。バスが走っているのは西銀座通り。そのさらに向こう側
に青梅線が通っている。


通って来た東方向を振り返った眺め。goo地図

根付道 曙東自治会

2008-04-26 | sketch/連載/道
北方向の眺め。細い路地の向うは緑川通り。
曙町は1~3丁目まであるが、その中で西側にある1丁目に何故か
東自治会。この先に自治会公会堂がある。


と、書いたとたんに謎は解明。地図の読み間違いだった。失礼。
正しくは曙一東自治会。1丁目の中の東側という意味だろう。
写真は古道沿いに残る趣のある家屋。goo地図

根付道 みずほ銀行裏

2008-04-25 | sketch/連載/道
第一デパート前からみずほ銀行横の路地へ入ったところ。
西へ向かって伸びている根付道。この背後が銀行になる。


原市場道との交差点を横断して、曙町2から1へ入る。2丁目
はモノレール建設や基地跡地再開発で様変わりしてしまった
が、この1丁目はそれ以前の趣を残している。
特にこの道幅からそれを感じとれる。現代人の感覚からする
と狭くて不便そうな路地だが、昔は十分用が足りていたのだ
ろう。goo地図
左側の白タイルの建物は昭和ホテル。

参考 2008/3/3 原市場道
この日掲載の写真に写っているのが、根付道と原市場道の交差点。

根付道 西銀座通りから

2008-04-24 | sketch/連載/道
立川駅北口から昭島の方へ伸びている西銀座通りと平行して、
東西方向に通る古道の根付道を見に出かけた。
写真は西銀座通り、第一デパート前から立川駅方向の眺め。


反対側の西方向。goo地図


同じ場所から北へ入って行く路地。この奥が根付道。

曙町1 切り株

2008-04-23 | sketch/単発記事・短期連載/その他
< 略
 この時、この墓地のところにあった立川家何百年来
 の大杉が切断された。この木は「立川の一本杉」と呼
 ばれて、西の方から立川へ歩いてくるときの目印にな
 っていた木であったという。>

立川市教育委員会発行 「立川の昭和史」第二集
 第八章 昭和初期の立川の鉄道網の発達
 四 青梅鉄道の複線化
より

青梅線が複線化されたのは昭和19年4月(立川・中神間)で
あったが、昭和初期にも途中まで計画が進められた幻の複線
化工事があった。

そしてこの時に伐採されてしまった立川の一本杉とは、どの
あたりにあったのだろうか。


探すヒントとしては、上記の書物の記述から
(1)曙町1丁目である
(2)青梅線のわきであった
この二つ。
結論から言うと結局わからなかったのだが、意味ありげな切り株
を見つけてとりあえず撮影しておいた。


goo地図
複線化で線路の敷地を広げた時に切られてしまったようなので、
敷地の外側のこの切り株は可能性としては?だろう。
====後注====
後から気付いたが、切断面が滑らか。昭和初期に電動ノコギリ
は無かったはず。手斧を使った痕には見えない。2008/4/28


同じ場所を線路の反対側から撮影。
線路伝いに見て歩ければもっと探せたのだが、線路に近づける
場所は踏切くらいしかなかった。


踏切から立川駅方向の眺め。
いつかその内に新しいヒントが得られれば、二回目の探索にチャレンジ
してみたい。

八幡道 八幡神社跡

2008-04-19 | sketch/連載/道
立川一中の東隣りを南下する八幡道。


ここから三枚は同じ場所で撮影。住宅街の中、ひっそりとたたずむ
八幡神社の跡を示す記念碑。


北を向くと立川一中の校庭。


南方向に見えるのは八幡会公会堂の裏手。goo地図


八幡道 真澄寺

2008-04-18 | sketch/連載/道
立川南通りを横断してから、陸橋で中央線の線路も渡って柴崎町へ入る。
甲武鉄道が敷かれる前は、このあたりの道筋はもっとシンプルだったのだ
ろう。写真は柴崎町側から踏切方向の眺め。


同じ場所から南方向の眺め。真澄寺が出来ていて、ここでも回り道をして
昔の道筋へ向かう。左の金網は都水道局の敷地。
goo地図


寺の南側。ここから再び八幡道を南下する。他の古道と同じく、車社会に
なってから拡幅されてはいるが、それでも所々の細い路地部分で昔の風景
等を想像しながら先へ向かった。


八幡道 水道前踏切(1)

2008-04-16 | sketch/連載/道
住宅街の路地となっている古道をしばらく進むと、やがて立川南通りへ
出るのだが、その直前に水道前踏切がある。


目の前に東京都水道局の施設があるために、この名前が付けられたのだろう。
goo地図


踏切から立川駅方向の眺め。一段低い位置に、中央線も走っている。