甲子園レポートその1(大きなおにぎり)

2006年08月12日 | 高校野球(甲子園への道)
甲府工業の甲子園が終わった。
東洋大姫路と互角の戦いの末、惜しくも4対2で敗退。
終盤は甲府工業の流れであったが、ここ一打がでなかった。
痛恨のエラーと批判された方もいたが、私は、本当に良い試合をアルプススタンドから観させてもらいました。感動しました。ありがとう。

本来の救護の仕事はというと、一応、時々具合の悪い人がいないか見渡し、大きなけが人もなく、終了することが出来て良かった。

今年の夏にもドラマがありました。
野球部3年生の一人の父親が、妻の写真を持ち、アルプススタンドで観戦している姿を見かけた。
彼の母親は、今年の冬に癌という病気他界された。
実は、私が看護師をしていた頃の婦長であった。
父親が、僕に話しかける。「一緒につれて来ちゃったよ。」と写真をみせてくれた。本当にやさしい笑顔の婦長に言葉が詰まる。『婦長が背中を押してくれたんですね』と声をかけると、「甲子園に来るまでは頑張りたいと言っていたから、それは叶わなかった。けれど、今日つれて来られて本当に良かった」と語る父親。アルプススタンドには、確かに夫と一緒に母親(私の婦長)も応援していた。

私が、工業野球部の頃にも同じ出来事があった。
春の関東大会前に同期の野球部の母親が癌で他界された。僕たち野球部は、彼の母親が病気であることも知らなかった。毎朝彼が大きなおにぎりを持ってきていた。そのおにぎりがおいしくて、『A君の母さんのおにぎりは最高にうまい」と、よく横取りをして食べたものである。
彼の母親は、秋から体調を崩し、春の関東予選から、入院していたとのことである。そのことを、みんなに心配させたくないと、言わずに彼はもくもくと毎日練習に励んでいた。
関東大会が決まった頃に彼の母親が他界され、その時はじめてメンバーに知らされた。
監督からは、「母親の側にいろ」と休むように言われたが、お通夜とお葬式以外、彼は練習に出続けていた。それが、母親への思いであることは、メンバーみんな分かっていたからそれ以上誰も言わなかった。彼はそういう男である。

その関東大会に彼は、代打で出場。ヒットがでれば逆転の大事な場面だ。
父親が、母親の写真を持ってバックネット裏で応援していたのを思い出した。
彼は、逆転の三塁打を放ちチームはベスト8の快挙を成し遂げた。

彼の三塁打を忘れない。
そして、あの大きなおにぎりを私は絶対に忘れない。

今年の甲府工業野球部の夏は終わった。3年生のみんな、本当にご苦労様。この経験はきっと社会に出て自分を支えてくれるでしょう!
1,2年生は明日から新チームの誕生だ。3年生の背中を忘れず、努力精進してください。

頑張れ甲府工業野球部!!

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
時を経ても・・・ (崇詠)
2006-08-13 06:00:59
なお、色あせないもの・・・

それが『思い出』なんですね、hitoさん。



 僕も信州から応援していました。

後半の甲府工業の追い上げはゾクゾクしながらTVを見ていました。とても良い試合でした。

 

 まだまだ暑い夏が続きます。

どうぞ体調に気をつけて頑張ってください。

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Unknown (村長)
2006-08-18 01:33:10
おにぎりの良さは外人には分らないよ!

深~い。実に深~い。
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