A.雨、階段、そして「壷」
映画の話は、誰でもいくらでも語ることができる。でも、一本の映画は90分とか100分とか連続する映像で、そこには画像・言葉・演技・物語・背景・音楽など多様な表現・情報が盛り込まれていて、そのどこを見て記憶するかは人によって全部違う。だから、どのようにその映画を観たか、それは自分の認識能力を問われていると思う。ぼくがそういうことを考えたのは、ポストモダン論の流行った1980年代の蓮實重彦の小津映画論だった。
「恒常不変な形式を指摘するには、例外的な細部を排除せざるをえないことを充分に承知しているからである。ただ、恒常的な要素と例外的な要素との対立をとりあげることじたいが、小津の骨董化に貢献してしまう以上、その対立関係をもそっくり肯定することで小津を語りたいと思うだけである。というのも、シュレイダー氏の言葉に従って小津を定義することは、結局のところ、それを単調さと呼んで批判したかつての日本の批評家たちの視点とさして異質のものとはいえないからだ。誰もが、小津の形式の中に同じものをみていながら、あるときまで創意の枯渇ぶりと断じられていたものが、独特な世界観の表現に通じる貴重な姿勢として評価されはじめたというのであれば、こうした事態は、ただ時代の変化を証拠だてるのみである。つまり、欠如と否定的な言辞によって定義される小津的な世界に対して、二つの対照的な価値が下され、戦後と呼ばれる歴史的な一時期が曖昧に遠ざかって行ったいま、かつて批判の対象であったものが徐々に再評価され、その再評価に、異質の文化圏に属するが故に相対的に非=歴史的な姿勢をとることが可能な外国人が深く貢献したというだけのはなしになってしまう。それは、同じ一つの「記号」に対する読み方が変わったということである。われわれは、その変った読み方にいま一つ別の読み方をつけ加えようとは思わない。そうではなく「記号」としての小津安二郎そのものを変化させなければならない。そのために、「記号」を形成しているより多くの要素を、つまりはその複数の表情を捉えてみたいと思う。読み方の変化は、時間軸にそったかたちでしか進行しない。だが「記号」の表情の変化は、同時的に演じられる時間を越えた戯れだ。混在し共存する複数の表情を同じ一つの身振りで肯定すること。そのとき「記号」は、言葉の真の意味で生産的となり、人を動かす、読み方の変化に一つの意義が認められるとするなら、この生産的な運動に同調しうるときばかりである。
例えば「小津作品における空間と説話」と題された詳細な小津研究を著したクリスティン・トンプソンとディヴィッド・ボードウェルは、「現代的で革新的な作品としてもっとも実り多い読み方ができる」対象として小津を想定しているかぎりにおいて、様式的完璧性といった視点の分析とは異なる位置に立っているように思われる。読み方そのものの変革を可能にする作品という視点には、明らかに、分析対象としての小津が果たしうる創造的な役割に対する自覚が感じられはする。だが、その現代性と革新性とは、あくまでも対比による差異の強調の上に築かれているという意味で、真に肯定的な言説とはなりがたい。論者たちは、ロシアのフォルマリズムが提起した《偏差》《差異》の概念によって、小津が「古典的ハリウッド映画」のパラダイムに対して保っている距離を計測しようとしているのである。
古典的な映画のパラダイムという背景に対照して見ると、小津作品の現代性は説話的な因果関係の優越性に挑戦する特殊な空間的工夫を使うことにかかわってくる。(『ユリイカ』(特集=小津安二郎)1981年6月号、青土社、140頁)
この引用文には一つの否定的な言辞も含まれていないが、差異をきわだたせるという作業そのものが内包する否定性の批判こそが今日の思想的な課題であるときに、われわれはこの種の立場に同調することはできない。問題は、パラダイムからの偏差の測定という否定的な身振りから小津を解放することにあるからだ。もちろん、比較を原理的に排除することは無意味だし、またトンプソンとボードウェルの研究は、その範囲内ではいくつかの創見を提示しえてもいる。だが、われわれにとって小津が刺激的なのは、その作品がたんに一時代の映画的コードの諸体系におさまりがつかないからではなく、それにもまして、映画という表現形式の限界そのものを露呈せしめるかたちで撮られているからにほかならない。たえず映画そのものの不可能性と向き合っているが故に、小津は現代的で革新的なのだ。「記号」の生産性とは、映画が映画でなくなる瞬間をその生の条件として生きつつあるものにのみ可能な事態にほかならない。われわれが小津に執着するのは、その作品が同時代のパラダイムから大きく逸脱しているからではなく、ときとして、ほとんど映画ではなくなることがあるからにほかならない。」蓮實重彦『監督 小津安二郎』ちくま学芸文庫、1992.pp.28-30.
「見ることはむつかしい。とりわけ小津を見ることはむつかしい。だがそれは、小津安二郎の映画が難解な思想を語った作品だからではもちろんない。一篇のフィルムを撮るにあてって作者がいだいていた意図といったものであれば、それはほぼ万遍なく観客にうけとめられるだろう。事実、誤解ほど小津的な風土から遠いものはない。小津を見ることのむつかしさは、むしろ、あらゆるものが鮮明な輪郭のもとに提示されていることからきている。そこには、文字通りの画面しか存在しない。画面は、その背後に何かを隠したりしてはいないのだ。すべてはスクリーンの表層に露呈されており、いま見ている画面がかりに何かを隠しているとしたら、それはいま見てはいない別の画面でしかないだろう。『東京物語』に一滴の雨も降らないとしたら、その全篇をかたちづくるショットは『浮草』の雨の画面を隠している。『麦秋』のすべての画面から階段が排除されているとしたら、それは『秋刀魚の味』の最後に姿を見せる階段のショットを隠している。『晩春』に結婚披露宴の画面が描かれていないとしたら、それは『秋日和』の最後の、あの新郎新婦の記念撮影の画面を隠している。
こうした現存と不在による隠蔽関係にとどまらず、現存が現存を隠している画面もあるだろう。『風の中の牝鶏』の階段落下の画面が『風と共に去りぬ』のヴィヴィアン・リーの階段落下の画面を隠し、『その夜の妻』の八雲恵美子がソフト帽をかぶる画面が、ゴダールの『勝手にしやがれ』でジーン・セバーグがソフト帽をかぶる画面を隠しているといった、間=テキスト的な隠蔽関係もあるだろう。そうしたものにとどまらず、これまで子細に検討してきた説話論的な関係、主題論的な関係、等々、多くの画面が、統合論的な、あるいは範列論的な相互隠蔽の戯れを演じ合ってもいるだろう。いずれにせよ、小津にあって、画面は他の画面しか隠してはおらず、そうでない場合は、真夏の陽光のまばゆさの中に自分自身をさらしているばかりなのだ。画面を見ている瞳は、その場で中に吊られるか、他の画面へと横滑りするほかはなく、画面の背後へと進む錯覚を楽しむことさえ禁じられている。視線は、きわめて具体的にいくつもの壁によって遮断されてしまうのだ。それが、小津の残酷さというものである。どこまでいっても画面にしかたどりつくことのない映画を見ることほどむつかしいこともまたとあろうか。
その困難さに行きあたった瞳がどんな振舞いを演ずるかは明らかである。画面を抹殺するのだ。いうまでもなく、画面の抹殺は見る機能の放棄と同時的である。そして、見ることをやめた瞳は、あたかもそれが小津安二郎の映画であるかのように、小津的なものと戯れる。しかもその戯れは、日本的なものの方へと滑り出すことによってさらに小津安二郎から遠ざかる。小津と「もののあわれ」、小津と「幽玄」といったもっともらしい命題は、見る機能を放棄した瞳が、小津的なものから日本的なものへと、徐々に画面から遠ざかる過程ではじめて問題体系に浮上するものにすぎない。白昼の作家としての小津がフィルムの表層に定着しえた光線のまばゆさを見ることの出来る瞳は、その占めた陰影とは無縁の画面が、そうした美意識からどれほど遠いものであるかを感覚的に察知しうるはずである。にもかかわらず「俳句」や「もののあわれ」や「幽玄」を介して小津的なものと戯れようとする者が跡をたたぬのは、人が、たえず更新される現在としてそこに露呈されているものをうけとめることより、いまそこにはない物語に自分を一体化させることを好んで選ぶものだからである。そうした選択が招き寄せる思考と感性の硬直ぶりを、十九世紀フランスの小説家ギュスターヴ・フローベールは「紋切型」と呼んだ。二十世紀フランスの批評家ロラン・バルトが「神話作用」と名づけたものもまたそれである。
見ることが文化的な振舞いである以上、視線はとうぜんのことながら自由ではない。だいいち、開かれている瞳があらゆる瞬間に目覚めているわけではないのだし、また、よりよくものを見ようとする善意そのものが、しばしば瞳から視線を奪ってもしまう。映画を見ること、とりわけ小津を見ることはむつかしいというのは、そうした意味においてである。にもかかわらず、見ることがいつでも可能であるかに信じられていることのうちに、映画をめぐる言説の虚構化が大がかりに進行する。というのも、映画における一つの画面は、それがどれほど簡潔な構図からなっていようと、またそれが現実の一断面とどれほど類似していようと、そこには無限に開かれた意味がこめられているからである。にもかかわらず、多くの人が、ごく限られた意味しか読みとろうとはしない。事実、人は、説話論的な持続から置いてきぼりをくわされるのを恐れ、無限に織りあげられては解きほぐされてゆく複数の意味をごく貧しい組み合わせに還元し、それを中心とした構図を想定して残りを周縁に追いやる。こうした瞬間的な作業を機械的にやってのけないかぎり、物語に追いつくことはできないだろう。
たえずわかっている状態に自分を置いておくためのこの機械的な中心化、それが視線の蒙る文化的な不幸にほかならない。瞳は、決して野蛮な状態で画面と向き合いはしないのである。そのときに起るのは、見ずにおくことと見ることとの混同である。つまり、見たことを思考するのでなく、思考することによって画面を見ることを選んでしまうのである。視線は思考に従属し、その硬直ぶりに応じて画面を大胆に中心化する。そのとき瞳が無効にされるのはいうまでもない。
〈壺の画面〉
たとえば、小津を語るものがしばしばそれについて論する一つの画面について考えてみる。『晩春』の終わり近く、笠智衆と原節子の父娘が泊る京都の旅館の寝室に置かれている壺を捉えた場面がそれである。では、そこで何が問題となっているのか。
話の筋を思い出しておくなら、このとき原節子は、叔母の杉村春子の持って来た結婚話に同意したばかりである。まるで初期のサラリーマンものの子供たちの一人のように、彼女は不機嫌な沈黙によって叔母に承諾の返事をする。そして、結婚前の最後の旅行として、父親と京都に来ているわけだ。彼女は父親に再婚の意志があると思いこんでいる。かつて後妻を迎えることを不潔だわと非難したこともある父の友人の三島雅夫一家と名所見物をしたあと、二人して宿の布団に横たわる。電気を消すと、雨戸のない寝室の障子に月影が落ちる。すべてはこの舞台装置の一変したのちに起る。娘は、三島の後妻の上品な容貌が、きたならしさとは無縁のものであることをさとり、自分の過去の言動を悔いているといった言葉をかたわらの父親につぶやきかける。気にしてはおらんだろうと応じる笠智衆は、それを口実に何かを訴えかけようとする娘のかたわらで、早くも寝息をたてはじめる。原節子は、黙ってその視線を天上の方に向ける。壺の画面が姿を見せるのはその瞬間である。では、そこで問題になっているのは何か。
問題は、そこに挿入される画面をあっさり壺の画面と呼んでしまうことのうちにすでに含まれている。というのも、そこには壺ならざる多くのものが見えているにもかかわらず、そう呼ばれてしまっているからである。実際、その画面の左手には床の間の柱と思われるものが薄暗い光の中にきわだって見えているし、奥には、月明かりに白くはえる障子が丸く浮きあがっている。
もちろん、便宜上それを壺の画面としか呼びえないのは明らかだろう。しかしそれは、あくまで要約であり、とりあえずそうしているまでである。この暫定的な名称は、だが、決して無償のものではない。機械的な中心化がその瞬間に始動し、視線を無効にすると同時に、たちまち思考が文化的な水準へと移行してしまうからだ。そのことは、思考が壺そのものから壺が象徴しうる二次的な意味へと移行したことだけを意味しはしない。そもそも、映画には、壺の画面などというものはありえないにもかかわらず、それをそう呼び、またそう呼ぶことで文化的象徴性を話題とせずにはいられないのは、なによりもまず、見る以前に思考が紋切型の虚構を始動させてしまっているからだと理解されなければならない。虚空に浮かびあがった一つの壺ですら壺の画面ではなく虚空に浮かんだ壺の画面であるはずなのに、ここでの画面には、虚空ならざるさらに多くの情報が充ちあふれている。にもかかわらずそれを壺の画面と呼び、あるいは壺の画面として見てしまうことは、すでに中心化による象徴性が思考と視線とをともに捉えてしまっていることを意味する。したがって、人はすでに文化的不自由の領域に足を踏みこんでいる。少なくとも、比喩の活動が始まっているのだといえるだろう。
そのとき何が視線から一掃されたかはのちに詳しく見ることとして、思考がどんな戯れを演じて視線を裏切り続けるのかという点を、具体的な例によって検討してみようと思う。
たとえばポール・シュナイダーはこの壺の画面を人間と自然との「乖離を解決するのではなく、それを静止状態に凍結」しながらも、逆説的により高次の一体化を実現しうる形式の見事な達成の一例として語っている。「超越的スタイルは、壺のようにそれ自体よりもずっと深みのあるなにかをつまり万物の一体性を表現することのできる形式である」と、のちに『アメリカン・ジゴロ』の監督となるだろう著者は述べているのだ。
小津作品では禅におけるように、静止状態が“風流”の気分とりわけ“もののあわれ”を引き起こす。人間はふたたび、しかし今度は愁いをもって、自然と一体になるのだ。(前掲書、85頁)
この引用文のあとに、鈴木大拙による禅における自己解脱と自然との関係を説いた一節が続くのだから、彼が視線をどれほど思考に従属させているかは明らかだろう。
役者の山本喜久男もその「訳者あとがき」でも述べているように、西欧の多くの論者はこの壺の画面に異様な執着を示している。そしてそのほとんどが、これを文字通り壺の画面としてしか見ていないのだ。「空」を語るにあたって、まさに「空」そのものを否定する機械的な中心化が即座に作動してしまうという論者たちの矛盾についての判断を下すことはここでの主題ではないが、山本氏が「中心思考と周辺思考」という言葉で要約している「西欧人と日本人の解釈の違い」という問題は、文化的に制度化された視線の不自由という主題と深いかかわりを持つものだろう。つまり、人は、視界に浮上するさまざまな要素を、決して万遍なく見はしないという問題だ。
山本氏は、われわれ日本人の視界が、画面の前掲に位置するいわば構図の中心の壺よりも、背後の障子に落ちる庭の植物の影へと伸び、そこから晩春という季節感や、月夜という時間的な情感が漂ってくるのを感じとると説いている。おそらくそうした論述には、二つのことが問題となっているとみるべきだろう。一つは、小津の同国人の視線が問題なく捉えたはずの障子の影を、西欧の批評家たちが見落としているという視線の制度的な不自由性の主題である。いま一つは、この固定ショットで捉えられた壺の画面を、われわれの映画的感性が「静止状態」として特権的に孤立化させることなく、素直にフィルム的持続のなかに位置づけたままで受け入れているという点であり、ここでは画面の説話論的な連鎖が問題となってくる。事実、山本氏は、京都を代表する山や五重塔のショットの背後に流れていた主題旋律がこの壺の画面から再び響きはじめる点を指摘しつつ、持続する音楽とともに導きだされる次のシークエンス、つまり、いまや宿の寝室ではなく竜安寺にいる笠智衆と三島雅夫を示す画面に映しだされる石庭の、その石のイメージと壺とが饗応しあっているという点を指摘している。壺の画面が担うこうした説話論的な条件は、ノエル・バーチやドナルド・リチーによる「意味の空白状態」とも呼ぶべき側面の強調を否定せざるをえない。「したがって、この壺のショットは観客の感情の容れ物ではないのだ。それはある感情を表出しているのである」と山本氏は続ける。それは「風流」でも「もののあわれ」でもなく、「時間(晩春の夜)と空間(京都の宿屋)がみごとに有機的に融合している俳句におけるような季節の雰囲気、感情を表出しているのである。」
ここで問題となっているのは、文化的に制度化された視線が何を見たか、そして何を見なかったのかという点から出発した解釈の問題である。壺と静止とを特権化し、そこに過剰な意味を読みとらずにはいない文化圏と、それを曖昧に拡散させ、周囲のあまたのものごとと調和させることで納得する文化圏とが存在し、それぞれの領域で教育された視線が、おそらくは現実生活でも起こっただろう行き違いを、映画の一画面を見ながらも演じてしまったというだけのことである。したがって、それは比較文化論的にはそれなりの興味の対象とはなりえても、映画的にはさして刺激的な事実ではなかろう。但し、そうした水準においてもそれなりに興味深いのは、ポール・シュレイダーをはじめとして、ドナルド・リチーも、あえて異質の文化圏に流通している記号の意味をさぐろうと努力する場合に、その流通圏域とはもっとも遠い言葉で意味を解読しようとしているという点だ。つまり、未知を理解しようとする善意が、より大きな不自由を抱え込むことになるという、よくある矛盾がここにも露呈されているのである。」蓮實重彦『監督 小津安二郎』ちくま学芸文庫、1992.pp.238-246.
「それなら、『晩春』の壺の画面の象徴的な意味の一つとして、「もののあわれ」を選びとることも許されているといえるだろうか。それは、原則として、見るものの自由だということになろう。画面は、いかなる連想をも禁じたりはしないからだ。ただし、ここでは、その連想の自由が見ることの不自由と等価的だという問題に立ち戻らねばならぬ。すでに指摘したように、この画面は壺いがいの多くのもの、たとえば障子に落ちる月影や床の間の柱などをその構成要素として持っている。そうしたものが壺を中心に配しながらも具体的なイメージとして明らかに見えているのだが、ここで重要なのは何が見えるかではなく、どのように見えるかという点なのである。というのも、この旅館の寝室のかたすみの光景が、小津には例外的に逆光で撮影されているという事実は、人を「もののあわれ」という連想に誘う以前に、はたしてこんな照明が小津に存在しうるのだろうかという不安の念をかきたてずにはおかぬからである。白昼の作家としてすべてを鮮明な輪郭のもとに、しかも表面に万遍なく光線をあてて示すのが常であった小津が、事物をシュリエットとして描き出したことなどあったろうか。もちろん、逆光といっても、障子の月明かりがきわだたせる物影は完全な暗さそのものには達していない。しかし、キャメラは明らかに障子を正面に捉えているので、壺は、その輪郭の部分を鈍い光で包まれた影となってスクリーンに浮きあがってくる。この例外的な光線処理は、ゆかた姿の原節子が伝統を消した瞬間に予想をこえた明るさで障子に落ちる月影によって、同一画面でありながらも照明がまったく異質のものとなり、構図そのものが一変してしまったかのような印象を与えるということの例外性に対応している。壺は、こうした例外的な光線をうけて姿を見せるのである。
だが、ここで例外的なのは画面を彩る照明ばかりではない。旅館の寝室という空間そのものが例外的なのである。例外的といっても、そこには語の常識的な意味あいでのレアリスムが維持され、就寝間ぎわの時間として容易に想像しうる雰囲気が、旅さきの宿として人が知っている空間と矛盾なく調和している。ただし、いつもなら二階と一階とで床につく父と娘とが、それぞれの聖域を離れて同じ空間を共有し、枕を並べて眠りにつくという点はあくまで例外的なのでる。主題論的にいって、これはきわめて特殊なことだとさえいうべきだろう。」蓮實重彦『監督 小津安二郎』ちくま学芸文庫、1992.pp.248-250.
なにかこれにつけ加える言葉はもうないが、蓮實の「説話論的」「主題論的」テキスト解読の方法は、「記号論」の範囲を超えて応用可能なもののように思える。
B.世界史のゆくえをあと10年考えてみる
この先、とりあえず10年、ぼくは生きながらえているかどうか予測不可能だが、それよりは多少現実的な予想として、世界がどういう方向に動いていくかは、予想できないこともない。つまり、21世紀が始まったころには誰も予想していなかった事態が、18年経った今は少しほの見えている。もちろんそれは、いろんな要因が絡み合い、不測の事態が突発することもあるだろう。でも、ものごとをわかりやすく単純化する陰謀史観や、空想に近い身勝手なイデオロギーで世界や歴史を説明しようとする妄想史観を排して、人間の歴史というものを偏見なく直視するならば、この21世紀の20年代に何が起こるのか、そこで人びとがどういう事態を生きるのか、70歳に達しようとするぼくには、ある程度考えて見えるものがある。
「揺らぐ協調 力の論理へ:トランプ氏の欧州歴訪 時事小言 藤原帰一
アメリカがロシアと結び、EU(欧州連合)とNATO(北大西洋条約機構)を敵に回す。欧州訪問におけるトランプ米大統領が振りまいたのは、そんなイメージである。
ヘルシンキにおけるプーチン・ロシア大統領との会談では、米ロ関係を改善する必要を強調し、ロシアが米大統領選挙に干渉を行ったかどうかについては、判断を下さなかった。スコットランドではアメリカの敵は誰かとの問いに対して、第一に挙げたのがEUである。ブリュッセルのNATOの首脳会議では各国の国防支出が少なすぎると批判し、ドイツはロシアの人質だとまで言い放った。メイ英首相に向かってEUを訴えればいいと勧めたとも伝えられている。
知恵なき雄弁を戒めたのはキケロであるが、トランプ氏の場合は雄弁よりも暴言と呼ぶべきだろう。だが、ここでの問題はトランプ氏の言語感覚よりも、国際機構に対する感覚である。トランプ氏の目には、TPP(環太平洋経済連携協定)、WTO(世界貿易機関)、あるいはNATOなど、数多くの国際機構や国際協定はアメリカを利用し負担を強いる存在として映るらしい。
アメリカの外にいるものにとって、これは奇異な光景だ。WTOやNATOのようなアメリカの主導で生まれた機関がアメリカの国益を害するとは考えにくい。それでもここには無視できない国際政治の変化が投影されている。それは、国際機構を主導することによって力を確保するアメリカから、国際合意を離れ、新たな外交交渉に訴えることで国益の拡大を追求するアメリカへの変化である。
国際協定や国際機構は各国がそのルールに従うことによって予測可能性を高め、国際関係を安定に導く役割を担っている。だが、ルールを保つためには各国独自の行動を抑える必要も生まれる。そこから、各国の国益と国際協力との間に緊張が生まれることになる。
日本はそのよい例だろう。日米同盟によって安全保障を実現しながら日米間の防衛分担は国論を二分してきた。自由貿易によって経済が潤いながら、TPP反対が高揚した。同盟と貿易協定はアメリカが日本をいいように操作する手段として見られてきたのである。
国際協力と国益の緊張は覇権国アメリカについても認めることができる。アメリカに不利な同盟や貿易体制とは言葉の矛盾のようにも響くが、各国にアメリカが利用されている、「ただ乗り」されているというアメリカ国内の不満には長い歴史がある。NATO諸国が国防の分担を渋り、EUに有利な貿易が強いられているというトランプ氏の批判は、「ただ乗り」されるアメリカというイメージの延長上にある。
トランプ氏がNATOとEUを繰り返し難じる背景には、アメリカがヨーロッパを必要とする以上にヨーロッパがアメリカを必要としているという現実がある。圧力をかければヨーロッパ諸国がアメリカに譲歩するという期待があるからこそ暴言が繰り返されるのである。
ここに見られる国際政治のイメージは力の支配する世界だ。もとより国際政治には力の論理の支配する側面がつきまとっており、国際協定や国際機構は法と制度をもち込むことで弱肉強食を和らげることはできても、力の論理を払拭することは難しい。トランプ政権のもとでアメリカが国際的な合意へのコミットメントから後退すれば、法の秩序という外観をかろうじて保ってきた世界が変わることは避けられないだろう。
そして今回の米ロ首脳会談において、トランプ氏は明確にロシアとの関係改善に踏み切った。プーチン氏は欧米諸国の主導する国際機構に正面から立ち向かってきただけに、トランプ氏の選択とは親和性が高い。米ロ両国の強調は国際機構から退くアメリカと裏表の関係に立っている。
だが、トランプ氏が力をちらつかせるだけで国際関係の安定を実現することはできない。高関税を課したところでEUや中国が貿易政策を変えるわけではないし、米朝首脳会談は核保有国としての北朝鮮に安全を保障する結果で終わった。威勢よいレトリックにもかかわらずトランプ氏が外交で達成した成果は少ない。
トランプ氏のアメリカは、国際政治の安定を脅かす脅威、燃え上がる山火事のような存在となった。国際協定や国際機構がすべて焼き払われる前に、日本はEU諸国などの国際社会における力の論理ではなく法と制度を選ぶ側と連帯して、この山火事に立ち向かわなければならない。 (国際政治学者)」朝日新聞2018年7月18日夕刊3面文芸・批評欄。
20世紀後半の世界を圧倒的な経済力と軍事力で牛耳ったのは、アメリカ合衆国だったのは言うまでもない。そのパクス=アメリカーナに対抗したソヴィエトが崩壊したことで、今世紀の初めには人類の未来にアメリカ的キャピタリズム以外の選択肢はなく、諸民族が興亡する歴史は終焉するとの言説が一瞬流布した。でも、どうやらそうはならなかった。野蛮なプレモダン宗教テロリズムの跋扈はいっこうに衰えず、アメリカとその同調国はモグラ叩きの軍事作戦で結局、現地人民の倫理道徳的な共感・支持を得ることに失敗している。
さて、ぼくらはそういう過酷な世界とはとりあえず触れ合わず、穏やかな、しかし空虚で自閉的な日常にたゆたっている。それはこの国の過去50年の戦のない安定に、根拠もなく何とかなるだろう、政治家がうまくやってくれるだろうという幻想に乗っている。その枠組みは、この先10年のうちにおそらく壊れる。アメリカの力に依存した平和を疑うこともできなくなっている日本は、不本意な形で世界の秩序においてきぼりを喰う。アメリカ合衆国は、正義の世界秩序への責任を果たそうとする倫理的道徳的正当性をかなぐり捨てて、ただ自国の利益を追求する凡百の国家になってしまった。そのような利己的国家の道具になることをよしとする売国政権は、国際政治の修羅場でばかにされることはあっても、敬意を払われることはない。考えるべきことはまず、日本が明治以来の自国の歴史を見直し、「俺たちは凄い!」などというバカげた自惚れ史観ではなく、世界に納得される新しい理念と価値をうちたて、人間として充実した生命を生きているのだ、という実例を示すことだと思う。
それは安倍晋三氏の考える、日露戦争からつづく敗北した15年戦争の失敗した過ちの美化・栄光の虚偽ではなく、極東の島国で発酵した矜持・精神の屹立にこそあると思う。
映画の話は、誰でもいくらでも語ることができる。でも、一本の映画は90分とか100分とか連続する映像で、そこには画像・言葉・演技・物語・背景・音楽など多様な表現・情報が盛り込まれていて、そのどこを見て記憶するかは人によって全部違う。だから、どのようにその映画を観たか、それは自分の認識能力を問われていると思う。ぼくがそういうことを考えたのは、ポストモダン論の流行った1980年代の蓮實重彦の小津映画論だった。
「恒常不変な形式を指摘するには、例外的な細部を排除せざるをえないことを充分に承知しているからである。ただ、恒常的な要素と例外的な要素との対立をとりあげることじたいが、小津の骨董化に貢献してしまう以上、その対立関係をもそっくり肯定することで小津を語りたいと思うだけである。というのも、シュレイダー氏の言葉に従って小津を定義することは、結局のところ、それを単調さと呼んで批判したかつての日本の批評家たちの視点とさして異質のものとはいえないからだ。誰もが、小津の形式の中に同じものをみていながら、あるときまで創意の枯渇ぶりと断じられていたものが、独特な世界観の表現に通じる貴重な姿勢として評価されはじめたというのであれば、こうした事態は、ただ時代の変化を証拠だてるのみである。つまり、欠如と否定的な言辞によって定義される小津的な世界に対して、二つの対照的な価値が下され、戦後と呼ばれる歴史的な一時期が曖昧に遠ざかって行ったいま、かつて批判の対象であったものが徐々に再評価され、その再評価に、異質の文化圏に属するが故に相対的に非=歴史的な姿勢をとることが可能な外国人が深く貢献したというだけのはなしになってしまう。それは、同じ一つの「記号」に対する読み方が変わったということである。われわれは、その変った読み方にいま一つ別の読み方をつけ加えようとは思わない。そうではなく「記号」としての小津安二郎そのものを変化させなければならない。そのために、「記号」を形成しているより多くの要素を、つまりはその複数の表情を捉えてみたいと思う。読み方の変化は、時間軸にそったかたちでしか進行しない。だが「記号」の表情の変化は、同時的に演じられる時間を越えた戯れだ。混在し共存する複数の表情を同じ一つの身振りで肯定すること。そのとき「記号」は、言葉の真の意味で生産的となり、人を動かす、読み方の変化に一つの意義が認められるとするなら、この生産的な運動に同調しうるときばかりである。
例えば「小津作品における空間と説話」と題された詳細な小津研究を著したクリスティン・トンプソンとディヴィッド・ボードウェルは、「現代的で革新的な作品としてもっとも実り多い読み方ができる」対象として小津を想定しているかぎりにおいて、様式的完璧性といった視点の分析とは異なる位置に立っているように思われる。読み方そのものの変革を可能にする作品という視点には、明らかに、分析対象としての小津が果たしうる創造的な役割に対する自覚が感じられはする。だが、その現代性と革新性とは、あくまでも対比による差異の強調の上に築かれているという意味で、真に肯定的な言説とはなりがたい。論者たちは、ロシアのフォルマリズムが提起した《偏差》《差異》の概念によって、小津が「古典的ハリウッド映画」のパラダイムに対して保っている距離を計測しようとしているのである。
古典的な映画のパラダイムという背景に対照して見ると、小津作品の現代性は説話的な因果関係の優越性に挑戦する特殊な空間的工夫を使うことにかかわってくる。(『ユリイカ』(特集=小津安二郎)1981年6月号、青土社、140頁)
この引用文には一つの否定的な言辞も含まれていないが、差異をきわだたせるという作業そのものが内包する否定性の批判こそが今日の思想的な課題であるときに、われわれはこの種の立場に同調することはできない。問題は、パラダイムからの偏差の測定という否定的な身振りから小津を解放することにあるからだ。もちろん、比較を原理的に排除することは無意味だし、またトンプソンとボードウェルの研究は、その範囲内ではいくつかの創見を提示しえてもいる。だが、われわれにとって小津が刺激的なのは、その作品がたんに一時代の映画的コードの諸体系におさまりがつかないからではなく、それにもまして、映画という表現形式の限界そのものを露呈せしめるかたちで撮られているからにほかならない。たえず映画そのものの不可能性と向き合っているが故に、小津は現代的で革新的なのだ。「記号」の生産性とは、映画が映画でなくなる瞬間をその生の条件として生きつつあるものにのみ可能な事態にほかならない。われわれが小津に執着するのは、その作品が同時代のパラダイムから大きく逸脱しているからではなく、ときとして、ほとんど映画ではなくなることがあるからにほかならない。」蓮實重彦『監督 小津安二郎』ちくま学芸文庫、1992.pp.28-30.
「見ることはむつかしい。とりわけ小津を見ることはむつかしい。だがそれは、小津安二郎の映画が難解な思想を語った作品だからではもちろんない。一篇のフィルムを撮るにあてって作者がいだいていた意図といったものであれば、それはほぼ万遍なく観客にうけとめられるだろう。事実、誤解ほど小津的な風土から遠いものはない。小津を見ることのむつかしさは、むしろ、あらゆるものが鮮明な輪郭のもとに提示されていることからきている。そこには、文字通りの画面しか存在しない。画面は、その背後に何かを隠したりしてはいないのだ。すべてはスクリーンの表層に露呈されており、いま見ている画面がかりに何かを隠しているとしたら、それはいま見てはいない別の画面でしかないだろう。『東京物語』に一滴の雨も降らないとしたら、その全篇をかたちづくるショットは『浮草』の雨の画面を隠している。『麦秋』のすべての画面から階段が排除されているとしたら、それは『秋刀魚の味』の最後に姿を見せる階段のショットを隠している。『晩春』に結婚披露宴の画面が描かれていないとしたら、それは『秋日和』の最後の、あの新郎新婦の記念撮影の画面を隠している。
こうした現存と不在による隠蔽関係にとどまらず、現存が現存を隠している画面もあるだろう。『風の中の牝鶏』の階段落下の画面が『風と共に去りぬ』のヴィヴィアン・リーの階段落下の画面を隠し、『その夜の妻』の八雲恵美子がソフト帽をかぶる画面が、ゴダールの『勝手にしやがれ』でジーン・セバーグがソフト帽をかぶる画面を隠しているといった、間=テキスト的な隠蔽関係もあるだろう。そうしたものにとどまらず、これまで子細に検討してきた説話論的な関係、主題論的な関係、等々、多くの画面が、統合論的な、あるいは範列論的な相互隠蔽の戯れを演じ合ってもいるだろう。いずれにせよ、小津にあって、画面は他の画面しか隠してはおらず、そうでない場合は、真夏の陽光のまばゆさの中に自分自身をさらしているばかりなのだ。画面を見ている瞳は、その場で中に吊られるか、他の画面へと横滑りするほかはなく、画面の背後へと進む錯覚を楽しむことさえ禁じられている。視線は、きわめて具体的にいくつもの壁によって遮断されてしまうのだ。それが、小津の残酷さというものである。どこまでいっても画面にしかたどりつくことのない映画を見ることほどむつかしいこともまたとあろうか。
その困難さに行きあたった瞳がどんな振舞いを演ずるかは明らかである。画面を抹殺するのだ。いうまでもなく、画面の抹殺は見る機能の放棄と同時的である。そして、見ることをやめた瞳は、あたかもそれが小津安二郎の映画であるかのように、小津的なものと戯れる。しかもその戯れは、日本的なものの方へと滑り出すことによってさらに小津安二郎から遠ざかる。小津と「もののあわれ」、小津と「幽玄」といったもっともらしい命題は、見る機能を放棄した瞳が、小津的なものから日本的なものへと、徐々に画面から遠ざかる過程ではじめて問題体系に浮上するものにすぎない。白昼の作家としての小津がフィルムの表層に定着しえた光線のまばゆさを見ることの出来る瞳は、その占めた陰影とは無縁の画面が、そうした美意識からどれほど遠いものであるかを感覚的に察知しうるはずである。にもかかわらず「俳句」や「もののあわれ」や「幽玄」を介して小津的なものと戯れようとする者が跡をたたぬのは、人が、たえず更新される現在としてそこに露呈されているものをうけとめることより、いまそこにはない物語に自分を一体化させることを好んで選ぶものだからである。そうした選択が招き寄せる思考と感性の硬直ぶりを、十九世紀フランスの小説家ギュスターヴ・フローベールは「紋切型」と呼んだ。二十世紀フランスの批評家ロラン・バルトが「神話作用」と名づけたものもまたそれである。
見ることが文化的な振舞いである以上、視線はとうぜんのことながら自由ではない。だいいち、開かれている瞳があらゆる瞬間に目覚めているわけではないのだし、また、よりよくものを見ようとする善意そのものが、しばしば瞳から視線を奪ってもしまう。映画を見ること、とりわけ小津を見ることはむつかしいというのは、そうした意味においてである。にもかかわらず、見ることがいつでも可能であるかに信じられていることのうちに、映画をめぐる言説の虚構化が大がかりに進行する。というのも、映画における一つの画面は、それがどれほど簡潔な構図からなっていようと、またそれが現実の一断面とどれほど類似していようと、そこには無限に開かれた意味がこめられているからである。にもかかわらず、多くの人が、ごく限られた意味しか読みとろうとはしない。事実、人は、説話論的な持続から置いてきぼりをくわされるのを恐れ、無限に織りあげられては解きほぐされてゆく複数の意味をごく貧しい組み合わせに還元し、それを中心とした構図を想定して残りを周縁に追いやる。こうした瞬間的な作業を機械的にやってのけないかぎり、物語に追いつくことはできないだろう。
たえずわかっている状態に自分を置いておくためのこの機械的な中心化、それが視線の蒙る文化的な不幸にほかならない。瞳は、決して野蛮な状態で画面と向き合いはしないのである。そのときに起るのは、見ずにおくことと見ることとの混同である。つまり、見たことを思考するのでなく、思考することによって画面を見ることを選んでしまうのである。視線は思考に従属し、その硬直ぶりに応じて画面を大胆に中心化する。そのとき瞳が無効にされるのはいうまでもない。
〈壺の画面〉
たとえば、小津を語るものがしばしばそれについて論する一つの画面について考えてみる。『晩春』の終わり近く、笠智衆と原節子の父娘が泊る京都の旅館の寝室に置かれている壺を捉えた場面がそれである。では、そこで何が問題となっているのか。
話の筋を思い出しておくなら、このとき原節子は、叔母の杉村春子の持って来た結婚話に同意したばかりである。まるで初期のサラリーマンものの子供たちの一人のように、彼女は不機嫌な沈黙によって叔母に承諾の返事をする。そして、結婚前の最後の旅行として、父親と京都に来ているわけだ。彼女は父親に再婚の意志があると思いこんでいる。かつて後妻を迎えることを不潔だわと非難したこともある父の友人の三島雅夫一家と名所見物をしたあと、二人して宿の布団に横たわる。電気を消すと、雨戸のない寝室の障子に月影が落ちる。すべてはこの舞台装置の一変したのちに起る。娘は、三島の後妻の上品な容貌が、きたならしさとは無縁のものであることをさとり、自分の過去の言動を悔いているといった言葉をかたわらの父親につぶやきかける。気にしてはおらんだろうと応じる笠智衆は、それを口実に何かを訴えかけようとする娘のかたわらで、早くも寝息をたてはじめる。原節子は、黙ってその視線を天上の方に向ける。壺の画面が姿を見せるのはその瞬間である。では、そこで問題になっているのは何か。
問題は、そこに挿入される画面をあっさり壺の画面と呼んでしまうことのうちにすでに含まれている。というのも、そこには壺ならざる多くのものが見えているにもかかわらず、そう呼ばれてしまっているからである。実際、その画面の左手には床の間の柱と思われるものが薄暗い光の中にきわだって見えているし、奥には、月明かりに白くはえる障子が丸く浮きあがっている。
もちろん、便宜上それを壺の画面としか呼びえないのは明らかだろう。しかしそれは、あくまで要約であり、とりあえずそうしているまでである。この暫定的な名称は、だが、決して無償のものではない。機械的な中心化がその瞬間に始動し、視線を無効にすると同時に、たちまち思考が文化的な水準へと移行してしまうからだ。そのことは、思考が壺そのものから壺が象徴しうる二次的な意味へと移行したことだけを意味しはしない。そもそも、映画には、壺の画面などというものはありえないにもかかわらず、それをそう呼び、またそう呼ぶことで文化的象徴性を話題とせずにはいられないのは、なによりもまず、見る以前に思考が紋切型の虚構を始動させてしまっているからだと理解されなければならない。虚空に浮かびあがった一つの壺ですら壺の画面ではなく虚空に浮かんだ壺の画面であるはずなのに、ここでの画面には、虚空ならざるさらに多くの情報が充ちあふれている。にもかかわらずそれを壺の画面と呼び、あるいは壺の画面として見てしまうことは、すでに中心化による象徴性が思考と視線とをともに捉えてしまっていることを意味する。したがって、人はすでに文化的不自由の領域に足を踏みこんでいる。少なくとも、比喩の活動が始まっているのだといえるだろう。
そのとき何が視線から一掃されたかはのちに詳しく見ることとして、思考がどんな戯れを演じて視線を裏切り続けるのかという点を、具体的な例によって検討してみようと思う。
たとえばポール・シュナイダーはこの壺の画面を人間と自然との「乖離を解決するのではなく、それを静止状態に凍結」しながらも、逆説的により高次の一体化を実現しうる形式の見事な達成の一例として語っている。「超越的スタイルは、壺のようにそれ自体よりもずっと深みのあるなにかをつまり万物の一体性を表現することのできる形式である」と、のちに『アメリカン・ジゴロ』の監督となるだろう著者は述べているのだ。
小津作品では禅におけるように、静止状態が“風流”の気分とりわけ“もののあわれ”を引き起こす。人間はふたたび、しかし今度は愁いをもって、自然と一体になるのだ。(前掲書、85頁)
この引用文のあとに、鈴木大拙による禅における自己解脱と自然との関係を説いた一節が続くのだから、彼が視線をどれほど思考に従属させているかは明らかだろう。
役者の山本喜久男もその「訳者あとがき」でも述べているように、西欧の多くの論者はこの壺の画面に異様な執着を示している。そしてそのほとんどが、これを文字通り壺の画面としてしか見ていないのだ。「空」を語るにあたって、まさに「空」そのものを否定する機械的な中心化が即座に作動してしまうという論者たちの矛盾についての判断を下すことはここでの主題ではないが、山本氏が「中心思考と周辺思考」という言葉で要約している「西欧人と日本人の解釈の違い」という問題は、文化的に制度化された視線の不自由という主題と深いかかわりを持つものだろう。つまり、人は、視界に浮上するさまざまな要素を、決して万遍なく見はしないという問題だ。
山本氏は、われわれ日本人の視界が、画面の前掲に位置するいわば構図の中心の壺よりも、背後の障子に落ちる庭の植物の影へと伸び、そこから晩春という季節感や、月夜という時間的な情感が漂ってくるのを感じとると説いている。おそらくそうした論述には、二つのことが問題となっているとみるべきだろう。一つは、小津の同国人の視線が問題なく捉えたはずの障子の影を、西欧の批評家たちが見落としているという視線の制度的な不自由性の主題である。いま一つは、この固定ショットで捉えられた壺の画面を、われわれの映画的感性が「静止状態」として特権的に孤立化させることなく、素直にフィルム的持続のなかに位置づけたままで受け入れているという点であり、ここでは画面の説話論的な連鎖が問題となってくる。事実、山本氏は、京都を代表する山や五重塔のショットの背後に流れていた主題旋律がこの壺の画面から再び響きはじめる点を指摘しつつ、持続する音楽とともに導きだされる次のシークエンス、つまり、いまや宿の寝室ではなく竜安寺にいる笠智衆と三島雅夫を示す画面に映しだされる石庭の、その石のイメージと壺とが饗応しあっているという点を指摘している。壺の画面が担うこうした説話論的な条件は、ノエル・バーチやドナルド・リチーによる「意味の空白状態」とも呼ぶべき側面の強調を否定せざるをえない。「したがって、この壺のショットは観客の感情の容れ物ではないのだ。それはある感情を表出しているのである」と山本氏は続ける。それは「風流」でも「もののあわれ」でもなく、「時間(晩春の夜)と空間(京都の宿屋)がみごとに有機的に融合している俳句におけるような季節の雰囲気、感情を表出しているのである。」
ここで問題となっているのは、文化的に制度化された視線が何を見たか、そして何を見なかったのかという点から出発した解釈の問題である。壺と静止とを特権化し、そこに過剰な意味を読みとらずにはいない文化圏と、それを曖昧に拡散させ、周囲のあまたのものごとと調和させることで納得する文化圏とが存在し、それぞれの領域で教育された視線が、おそらくは現実生活でも起こっただろう行き違いを、映画の一画面を見ながらも演じてしまったというだけのことである。したがって、それは比較文化論的にはそれなりの興味の対象とはなりえても、映画的にはさして刺激的な事実ではなかろう。但し、そうした水準においてもそれなりに興味深いのは、ポール・シュレイダーをはじめとして、ドナルド・リチーも、あえて異質の文化圏に流通している記号の意味をさぐろうと努力する場合に、その流通圏域とはもっとも遠い言葉で意味を解読しようとしているという点だ。つまり、未知を理解しようとする善意が、より大きな不自由を抱え込むことになるという、よくある矛盾がここにも露呈されているのである。」蓮實重彦『監督 小津安二郎』ちくま学芸文庫、1992.pp.238-246.
「それなら、『晩春』の壺の画面の象徴的な意味の一つとして、「もののあわれ」を選びとることも許されているといえるだろうか。それは、原則として、見るものの自由だということになろう。画面は、いかなる連想をも禁じたりはしないからだ。ただし、ここでは、その連想の自由が見ることの不自由と等価的だという問題に立ち戻らねばならぬ。すでに指摘したように、この画面は壺いがいの多くのもの、たとえば障子に落ちる月影や床の間の柱などをその構成要素として持っている。そうしたものが壺を中心に配しながらも具体的なイメージとして明らかに見えているのだが、ここで重要なのは何が見えるかではなく、どのように見えるかという点なのである。というのも、この旅館の寝室のかたすみの光景が、小津には例外的に逆光で撮影されているという事実は、人を「もののあわれ」という連想に誘う以前に、はたしてこんな照明が小津に存在しうるのだろうかという不安の念をかきたてずにはおかぬからである。白昼の作家としてすべてを鮮明な輪郭のもとに、しかも表面に万遍なく光線をあてて示すのが常であった小津が、事物をシュリエットとして描き出したことなどあったろうか。もちろん、逆光といっても、障子の月明かりがきわだたせる物影は完全な暗さそのものには達していない。しかし、キャメラは明らかに障子を正面に捉えているので、壺は、その輪郭の部分を鈍い光で包まれた影となってスクリーンに浮きあがってくる。この例外的な光線処理は、ゆかた姿の原節子が伝統を消した瞬間に予想をこえた明るさで障子に落ちる月影によって、同一画面でありながらも照明がまったく異質のものとなり、構図そのものが一変してしまったかのような印象を与えるということの例外性に対応している。壺は、こうした例外的な光線をうけて姿を見せるのである。
だが、ここで例外的なのは画面を彩る照明ばかりではない。旅館の寝室という空間そのものが例外的なのである。例外的といっても、そこには語の常識的な意味あいでのレアリスムが維持され、就寝間ぎわの時間として容易に想像しうる雰囲気が、旅さきの宿として人が知っている空間と矛盾なく調和している。ただし、いつもなら二階と一階とで床につく父と娘とが、それぞれの聖域を離れて同じ空間を共有し、枕を並べて眠りにつくという点はあくまで例外的なのでる。主題論的にいって、これはきわめて特殊なことだとさえいうべきだろう。」蓮實重彦『監督 小津安二郎』ちくま学芸文庫、1992.pp.248-250.
なにかこれにつけ加える言葉はもうないが、蓮實の「説話論的」「主題論的」テキスト解読の方法は、「記号論」の範囲を超えて応用可能なもののように思える。
B.世界史のゆくえをあと10年考えてみる
この先、とりあえず10年、ぼくは生きながらえているかどうか予測不可能だが、それよりは多少現実的な予想として、世界がどういう方向に動いていくかは、予想できないこともない。つまり、21世紀が始まったころには誰も予想していなかった事態が、18年経った今は少しほの見えている。もちろんそれは、いろんな要因が絡み合い、不測の事態が突発することもあるだろう。でも、ものごとをわかりやすく単純化する陰謀史観や、空想に近い身勝手なイデオロギーで世界や歴史を説明しようとする妄想史観を排して、人間の歴史というものを偏見なく直視するならば、この21世紀の20年代に何が起こるのか、そこで人びとがどういう事態を生きるのか、70歳に達しようとするぼくには、ある程度考えて見えるものがある。
「揺らぐ協調 力の論理へ:トランプ氏の欧州歴訪 時事小言 藤原帰一
アメリカがロシアと結び、EU(欧州連合)とNATO(北大西洋条約機構)を敵に回す。欧州訪問におけるトランプ米大統領が振りまいたのは、そんなイメージである。
ヘルシンキにおけるプーチン・ロシア大統領との会談では、米ロ関係を改善する必要を強調し、ロシアが米大統領選挙に干渉を行ったかどうかについては、判断を下さなかった。スコットランドではアメリカの敵は誰かとの問いに対して、第一に挙げたのがEUである。ブリュッセルのNATOの首脳会議では各国の国防支出が少なすぎると批判し、ドイツはロシアの人質だとまで言い放った。メイ英首相に向かってEUを訴えればいいと勧めたとも伝えられている。
知恵なき雄弁を戒めたのはキケロであるが、トランプ氏の場合は雄弁よりも暴言と呼ぶべきだろう。だが、ここでの問題はトランプ氏の言語感覚よりも、国際機構に対する感覚である。トランプ氏の目には、TPP(環太平洋経済連携協定)、WTO(世界貿易機関)、あるいはNATOなど、数多くの国際機構や国際協定はアメリカを利用し負担を強いる存在として映るらしい。
アメリカの外にいるものにとって、これは奇異な光景だ。WTOやNATOのようなアメリカの主導で生まれた機関がアメリカの国益を害するとは考えにくい。それでもここには無視できない国際政治の変化が投影されている。それは、国際機構を主導することによって力を確保するアメリカから、国際合意を離れ、新たな外交交渉に訴えることで国益の拡大を追求するアメリカへの変化である。
国際協定や国際機構は各国がそのルールに従うことによって予測可能性を高め、国際関係を安定に導く役割を担っている。だが、ルールを保つためには各国独自の行動を抑える必要も生まれる。そこから、各国の国益と国際協力との間に緊張が生まれることになる。
日本はそのよい例だろう。日米同盟によって安全保障を実現しながら日米間の防衛分担は国論を二分してきた。自由貿易によって経済が潤いながら、TPP反対が高揚した。同盟と貿易協定はアメリカが日本をいいように操作する手段として見られてきたのである。
国際協力と国益の緊張は覇権国アメリカについても認めることができる。アメリカに不利な同盟や貿易体制とは言葉の矛盾のようにも響くが、各国にアメリカが利用されている、「ただ乗り」されているというアメリカ国内の不満には長い歴史がある。NATO諸国が国防の分担を渋り、EUに有利な貿易が強いられているというトランプ氏の批判は、「ただ乗り」されるアメリカというイメージの延長上にある。
トランプ氏がNATOとEUを繰り返し難じる背景には、アメリカがヨーロッパを必要とする以上にヨーロッパがアメリカを必要としているという現実がある。圧力をかければヨーロッパ諸国がアメリカに譲歩するという期待があるからこそ暴言が繰り返されるのである。
ここに見られる国際政治のイメージは力の支配する世界だ。もとより国際政治には力の論理の支配する側面がつきまとっており、国際協定や国際機構は法と制度をもち込むことで弱肉強食を和らげることはできても、力の論理を払拭することは難しい。トランプ政権のもとでアメリカが国際的な合意へのコミットメントから後退すれば、法の秩序という外観をかろうじて保ってきた世界が変わることは避けられないだろう。
そして今回の米ロ首脳会談において、トランプ氏は明確にロシアとの関係改善に踏み切った。プーチン氏は欧米諸国の主導する国際機構に正面から立ち向かってきただけに、トランプ氏の選択とは親和性が高い。米ロ両国の強調は国際機構から退くアメリカと裏表の関係に立っている。
だが、トランプ氏が力をちらつかせるだけで国際関係の安定を実現することはできない。高関税を課したところでEUや中国が貿易政策を変えるわけではないし、米朝首脳会談は核保有国としての北朝鮮に安全を保障する結果で終わった。威勢よいレトリックにもかかわらずトランプ氏が外交で達成した成果は少ない。
トランプ氏のアメリカは、国際政治の安定を脅かす脅威、燃え上がる山火事のような存在となった。国際協定や国際機構がすべて焼き払われる前に、日本はEU諸国などの国際社会における力の論理ではなく法と制度を選ぶ側と連帯して、この山火事に立ち向かわなければならない。 (国際政治学者)」朝日新聞2018年7月18日夕刊3面文芸・批評欄。
20世紀後半の世界を圧倒的な経済力と軍事力で牛耳ったのは、アメリカ合衆国だったのは言うまでもない。そのパクス=アメリカーナに対抗したソヴィエトが崩壊したことで、今世紀の初めには人類の未来にアメリカ的キャピタリズム以外の選択肢はなく、諸民族が興亡する歴史は終焉するとの言説が一瞬流布した。でも、どうやらそうはならなかった。野蛮なプレモダン宗教テロリズムの跋扈はいっこうに衰えず、アメリカとその同調国はモグラ叩きの軍事作戦で結局、現地人民の倫理道徳的な共感・支持を得ることに失敗している。
さて、ぼくらはそういう過酷な世界とはとりあえず触れ合わず、穏やかな、しかし空虚で自閉的な日常にたゆたっている。それはこの国の過去50年の戦のない安定に、根拠もなく何とかなるだろう、政治家がうまくやってくれるだろうという幻想に乗っている。その枠組みは、この先10年のうちにおそらく壊れる。アメリカの力に依存した平和を疑うこともできなくなっている日本は、不本意な形で世界の秩序においてきぼりを喰う。アメリカ合衆国は、正義の世界秩序への責任を果たそうとする倫理的道徳的正当性をかなぐり捨てて、ただ自国の利益を追求する凡百の国家になってしまった。そのような利己的国家の道具になることをよしとする売国政権は、国際政治の修羅場でばかにされることはあっても、敬意を払われることはない。考えるべきことはまず、日本が明治以来の自国の歴史を見直し、「俺たちは凄い!」などというバカげた自惚れ史観ではなく、世界に納得される新しい理念と価値をうちたて、人間として充実した生命を生きているのだ、という実例を示すことだと思う。
それは安倍晋三氏の考える、日露戦争からつづく敗北した15年戦争の失敗した過ちの美化・栄光の虚偽ではなく、極東の島国で発酵した矜持・精神の屹立にこそあると思う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます