A.読書階級が権力をもつ社会で挫折するということ
大学生が本を読むのは、昔は当然だった。だって本を読まずに知識を得、思考を鍛えることなどありえないから。読書といっても、そのへんで売っている一般大衆向けのハウツー本や、娯楽本などは問題外。薄っぺらい文庫新書の類もまだ安易。そんなものを読んでいるうちは三流学生で、インテリ予備軍なら本格的な学術書、できれば古典的名著からはじめて原典を英語、仏語、独語といった原語で読むくらいでないとダメ。大学院に行ってそれらを読みこなして立派な論文を書いてはじめてまっとうな知識人の仲間の入口に入れる。という暗黙の了解があったと思う。実際はそれを達成できる秀才は、そんなにいたはずもないのだが、そういう世界に大きな価値と尊敬を集める時代があったとは思う。
しかし、今の日本の大学生のマジョリティは、そんなことに意味を見出す土壌が失われていて、無理矢理宿題や試験でぎゅうぎゅう追い詰めない限り、自分で本を買って読もうなどという行動をとらない。本を読まないでテレビばかり見ている、と嘆かれた話も遠い昔のことで、今の大学生は本も読まないがテレビも見ない。マンガもあんまり読まない。じゃあ、何をしているのかというと、仲間とつるんでぐちゃぐちゃしゃべっているか、バイトやスポーツや旅行のスケジュールを一杯にしてエンジョイ・タイムに生きている、ように見える。もちろんそれは大人の偏見で、いろんな学生が見えない場所でいろんなことをしているはずだ。でも、知的な世界へのポジティブな憧れは、どうも地に墜ちたような気がする。
ある個人が社会で成功するということは、いずれにせよ同じ道を歩くライバルとの競争に勝ち抜く必要があるだろう。王侯貴族が支配する身分制社会はいざ知らず、いやハードな身分制社会でも個人の能力による競争はあるだろうから、問題はいかなる能力において競争が行われるか、になる。戦国時代のような武力がものをいう世界では、体力腕力に武器を扱う身体能力がものをいっただろう。しかし、武力腕力だけでは国家の統治はおぼつかないから、知識と思考力が優れた人材も重用される。中国文明が築き上げた科挙制度による読書階層の官僚権力支配は、読書階級のエリートが圧倒的な力を発揮できる社会だった。多くの書物を読み、美しい文字文章を書き、それゆえに人々に畏敬される知識人が、圧倒的な成功と称賛を得た社会。死ぬほど勉強して難関試験に受かったエリートは、栄光の未来が保証される社会。
しかしそれは同時に、エリートになりそこなった無様な敗北者を生む社会でもある。たとえ試験に受かったとしても、競争の論理はいつまでもついてまわるので、ライバルへの嫉視、葛藤、緊張は消えない。自分の能力とこれまでの努力に執着するかぎり、競争のストレスと不満に苛まれる。それに精神的に耐えられなくなった人間は、心を壊してしまう。儒教の経典は中国社会の官僚選抜試験の教科書になった。受験生はいやでもこれを頭に叩き込んで、すみずみまで暗記しなければならない。優秀な才能に恵まれた若者のうち、このエリート路線を疑いもなく歩く人たちがいて、しかし他方でこの路線を歩いていく先に何があるのか、を危惧する人もいる。じゅうぶんな知識と思考力を獲得した限られた学生だけの話だが、そこから先、輝く世俗の成功にすすむエリート、たいがいは鼻持ちならないエリートになる人と、そこに疑問を感じて脱落してしまう人がいるはずだ。いったんこの路線を脱落すると、復活はありえない。
中国の社会で、公認官学としての儒教にたいして、文字も読めない大衆の根深い信仰を提供したのは「道教」、老荘に発する読書エリートへの対抗文化である。

B.懐かしきマックス・ヴェーバーを引っ張り出してみた。
「世界宗教の経済倫理 序言」を、若い時に大塚久雄の訳で読んだ。なにかとても重要なことがここに書かれている、と思った。ぼくたちが生きているこの世界、近代と呼ばれる歴史の大きな流れの中で、日本やヨーロッパやアメリカや中東や、さまざまな地域の個別の文化や問題は異なっているものの、現代世界にはある共通の方向と価値のようなものがあって、それにどう向き合って人間の生き方の条件を考えるのか?ヒントのひとつは資本主義という経済のシステムであり、もうひとつはマックス・ヴェーバーが追求した宗教という価値のシステムだと意識するようになった。ぼくはヴェーバーを読んで、拙い卒論に取り入れた。
ヴェーバーの文章は、言葉に言葉を重ね、注釈に注釈をつけていくような粘着した文章なのだが、どこまでも正確に確実な言明を伝えようという迫力に充ちている。ヴェーバーの『宗教社会学論文集』巻一の中にある「儒教と道教」は、広範な比較宗教社会学において重要なアジアの宗教に関する綿密な研究である。ぼくはこの翻訳本を、大学生の頃に購入していたのだが、ちょっと読んで難しくてずっと本棚の奥にしまったまま、もう数十年が経過してしまった。たまたま道教のことをブログに書きはじめて、書棚をみたら『儒教と道教』があった!
「隠者Anachoretenは、荘子の書物によってのみならず、保存された画像作品からみても、儒教徒たち自身の認めるところによって考えても、中国には古い時代からつねに存在してきたのみならず、英雄や読書人たちはもともとは老年期には森林生活を孤独のうちに送っていたという仮定に導きかねない覚え書きさえ見出される。純粋な戦士壮行会においては、事実上しばしば『老人』は無価値なものとして遺棄にゆだねられていた。それで、隠者たちのこれ等の『年齢層』が当初はこの種の人たちから補充されていたということは、じゅうぶん考えられうることなのである。しかしながら、それは不確かな推測である。つまり、歴史時代においては老人たちの隠者=生活Vanaprastha-Existenzはけっして、インドにおけるようには、正常のものと見なされていなかったからである。
とはいえ、『現世』からの隠退だけが、思索と神秘的な感覚das mystische Fühlenとのための余暇と気力とをつくりだしたのである。――孔子も荘子も――官職を自身の救済追求のために拒んだが、孔子は官職に不自由していたという点にあったにすぎない。
政治的に不成功の読書人にとっても、この隠逸Anachoretentum は政治からの隠退の標準的な形式とみなされ、自殺や、処罰されたいという申し出のかわりになった。呉国における、ある諸侯国の君候の弟の仲雍は隠者の庵におもむいている。そして、成功をおさめた皇帝である黄帝についてすらも荘〔子〕の報ずるところによれば、かれは退位して神仙となった、というのである。
古代の隠者たちの『救済目的』は、たんに1.長寿法的makrobiotsch 2.呪術的magisch傾向のものにすぎないと考えてよい。つまり、長生と呪力と〔の獲得〕が、師匠たちの。また少数ではあったが、かれらのもとに逗留して師に仕えていた弟子たちの目標であった。」マックス・ヴェーバー『儒教と道教』木全徳雄訳、第7章正統と異端、第二節隠逸と老子(抜粋)。創文社、1971.pp.296-298. (原著:Max Weber “Konfuzianismus und Taoisumus”gesammelte Aufsatze zur Religionssoziologie�.第4版1947.)
よく知られているように、ヴェーバーの関心はなぜ西ヨーロッパにおいてだけ、近代資本主義が発達したのか?という歴史的難題である。世界を見渡すと、古代以来ヨーロッパなどは辺境であって、中東やエジプト、インド、なかんずく中国文明は、あらゆる意味で先進的で、近代をいち早く実現してもおかしくないのに、遂に中国は眠れる獅子のまま停滞した。その理由をヴェーバーは宗教を通じて探究する。当然、議論の中心は儒教になるが、儒教から分れてもうひとつの流れを形成したのが道教である。これについても、さすがにヴェーバーはドイツで手に入るあらゆる文献を渉猟網羅し、老荘思想の本質に迫っている。
「だが、それに連接して、現世にたいする『神秘主義的な』態度とそれを基礎とする哲学とが形成される可能性があったし、また事実そうしたことが起ったのであった。賢者は、ただ、世俗をことに世俗的な高位と官職とを引退した隠者たちAnachoretenにしかものを教えることはできない、――というのを、皇帝であった黄帝は答えとして受け取っている。隠者は『処士』》Gelehrten die Hause sitzen《つまり、官職につかなかった学者なのである。後世の、儒教的な官職補任期待者との対立関係はもうこの中に暗示される。隠逸の『哲学』はそれよりもはるかに徹底していた。すべての神聖の神秘主義genuine Mystikにとってそうであったように、絶対的な世事無関心die absolute Weltindifferenzが自明の目標であり、また――これは忘れてはならないことだが――長寿法的に重要な目標das markrobioteisch wichtige Zielでもあったのである。そこで、長生は――既述のように――隠逸生活の一つの傾向であった。
さてこの見地からみて重要だと思われたのは、原始的な『形而上学』によれば、とりわけ、生命の明らかな担い手である呼吸の節約的な、また合理的な処理(いうなれば、『管理〔法〕』》Wirtschaften《である。呼吸調節が特殊な種類の脳髄の状態を引き立てることができるという生理学的に確認しうる事実が、さらに徹底した結論に導いた。『至人』》der Heilige《は『不死不生』であるべきであり、あたかも生きていないかのようにふるまうべきである。『わしは愚かな(それゆえ、世才を脱した)人間なのだ』と老子は、自分の聖人らしさを保証して言っているし、荘子は(官職によって)『束縛』されることを欲しないで、むしろ『泥だらけの堀のなかの一匹の子豚のように』生存したいと願った。『みずからを一気dem Aetherに等しくし』『肉体を投げ棄てる』ことが目標となった。
かなり古い現象にインドの影響が働いていたかどうかについて、専門家たちの意見はまちまちである。官職から身を引いたこれらの隠者たちのうちのもっとも著名な者、すなわち、伝説が正しければ孔子より年長で孔子の同時代人であった老子のばあい、このインドの影響は痕跡がないようには見えないのである。
第四節 神秘主義の実際的帰結
本節でわれわれが老子を問題にするのは、哲学者としてではなくて、かれの社会学的な地位と影響においてである。儒教との対立は術語のなかからしてすでにあらわれている。カリスマ的皇帝に特有な調和的態度を、孔子の孫である子思は「中庸」〔という書物〕のなかで均衡状態と特徴づけているのに、――老子の影響をうけたもしくは老子を奉じていると自称している著作においては、右の状態は、空虚Leere(虚)または非存在(無)であるといわれ、『無為』(なにごともしない)および『不言』(なにごとも言わない)によって得られる、とされるのである。こうした虚や無や、無為や不言などは明らかに、決してたんに中国的であるにとどまらない、典型的に神秘主義的な範疇Kategorienなのである。
儒教の教義によれば、礼、つまり、儀式の規則と祭儀とは、中の産出のための手段なのだ、――〔ところが〕神秘家たちの見解によればそうしたものはまったく無価値であった。あたかも無心であるかのようにals hätte man keine Seeleふるまい、そうすることによって心を官能から解放すること、――それが、独力で道士(いわば道taoドクター)の力に至りうる精神的態度であった。生は『神』》shen《の所有に同じく、それゆえ長寿法は養神に等しい、――このことを、老子の著とされている道徳経は教えているが、それはまったく儒教徒と一致している。ただ手段こそがまさしく異なるのだが、長寿法的な起点は同じであった。
すでにわれわれがたびたび出会ってきた基礎的範疇である『道tao』は、これによって後世に異端説が『道家』として》als Taoisten《儒家から分れたものであるが、この『道』は両学派に、一般にはすべての中国的思惟にいつも共通であった。同様に、すべての古代の神々も両学派に共通であった、――もっとも『道教』は万神殿das Pantheonを、正統〔儒〕教には非古典的と見なされている多数の神々の分だけ、主として人間の神格化Apotheose von Menschen――これは長寿法の歪曲である――によって豊富にしてきたのではあるが。古典的文献も――ただ異端者たちのもとでは、儒教徒からは非古典的として拒否された老子の道徳経と荘〔子〕の書とがそれに加わった点を除けば――両学派に共通であった。しかし孔子みずからさえも――その点をデ・フロートは大いに力説するが――敵手の基礎的範疇を、あの「無為」(放任laissez faire)すらも、拒否しなかったし、また明らかに時折りは、道において完全な無為者の呪術的カリスマの説に近い態度をとっていたらしい。」M・ヴェーバー『儒教と道教』創文社、pp.298-300.
老荘思想って、ある意味で読書階級、選抜競争試験社会のエリート挫折者の思想なのかもしれない。エリート君たちよ!君たちの理想とする社会、それは自分の浅はかな権力欲を満たすための虚構であり、世俗の欲望を求めるだけの愚かなものなのだよ。俺たちはもうその路線は捨てたんだ。どっちが心地よく快適な人生を生きられるか、どっちが健康で長く生きられるか、さあ勝負だぜ!「老いた知識人」は無用の人なのだが、無用の人であることほどadventageousなことはないのだ、と主張しているわけだな。居直りといえば居直りなんだけど、本も読まない庶民にはじっくり受ける要素があるよな。
大学生が本を読むのは、昔は当然だった。だって本を読まずに知識を得、思考を鍛えることなどありえないから。読書といっても、そのへんで売っている一般大衆向けのハウツー本や、娯楽本などは問題外。薄っぺらい文庫新書の類もまだ安易。そんなものを読んでいるうちは三流学生で、インテリ予備軍なら本格的な学術書、できれば古典的名著からはじめて原典を英語、仏語、独語といった原語で読むくらいでないとダメ。大学院に行ってそれらを読みこなして立派な論文を書いてはじめてまっとうな知識人の仲間の入口に入れる。という暗黙の了解があったと思う。実際はそれを達成できる秀才は、そんなにいたはずもないのだが、そういう世界に大きな価値と尊敬を集める時代があったとは思う。
しかし、今の日本の大学生のマジョリティは、そんなことに意味を見出す土壌が失われていて、無理矢理宿題や試験でぎゅうぎゅう追い詰めない限り、自分で本を買って読もうなどという行動をとらない。本を読まないでテレビばかり見ている、と嘆かれた話も遠い昔のことで、今の大学生は本も読まないがテレビも見ない。マンガもあんまり読まない。じゃあ、何をしているのかというと、仲間とつるんでぐちゃぐちゃしゃべっているか、バイトやスポーツや旅行のスケジュールを一杯にしてエンジョイ・タイムに生きている、ように見える。もちろんそれは大人の偏見で、いろんな学生が見えない場所でいろんなことをしているはずだ。でも、知的な世界へのポジティブな憧れは、どうも地に墜ちたような気がする。
ある個人が社会で成功するということは、いずれにせよ同じ道を歩くライバルとの競争に勝ち抜く必要があるだろう。王侯貴族が支配する身分制社会はいざ知らず、いやハードな身分制社会でも個人の能力による競争はあるだろうから、問題はいかなる能力において競争が行われるか、になる。戦国時代のような武力がものをいう世界では、体力腕力に武器を扱う身体能力がものをいっただろう。しかし、武力腕力だけでは国家の統治はおぼつかないから、知識と思考力が優れた人材も重用される。中国文明が築き上げた科挙制度による読書階層の官僚権力支配は、読書階級のエリートが圧倒的な力を発揮できる社会だった。多くの書物を読み、美しい文字文章を書き、それゆえに人々に畏敬される知識人が、圧倒的な成功と称賛を得た社会。死ぬほど勉強して難関試験に受かったエリートは、栄光の未来が保証される社会。
しかしそれは同時に、エリートになりそこなった無様な敗北者を生む社会でもある。たとえ試験に受かったとしても、競争の論理はいつまでもついてまわるので、ライバルへの嫉視、葛藤、緊張は消えない。自分の能力とこれまでの努力に執着するかぎり、競争のストレスと不満に苛まれる。それに精神的に耐えられなくなった人間は、心を壊してしまう。儒教の経典は中国社会の官僚選抜試験の教科書になった。受験生はいやでもこれを頭に叩き込んで、すみずみまで暗記しなければならない。優秀な才能に恵まれた若者のうち、このエリート路線を疑いもなく歩く人たちがいて、しかし他方でこの路線を歩いていく先に何があるのか、を危惧する人もいる。じゅうぶんな知識と思考力を獲得した限られた学生だけの話だが、そこから先、輝く世俗の成功にすすむエリート、たいがいは鼻持ちならないエリートになる人と、そこに疑問を感じて脱落してしまう人がいるはずだ。いったんこの路線を脱落すると、復活はありえない。
中国の社会で、公認官学としての儒教にたいして、文字も読めない大衆の根深い信仰を提供したのは「道教」、老荘に発する読書エリートへの対抗文化である。

B.懐かしきマックス・ヴェーバーを引っ張り出してみた。
「世界宗教の経済倫理 序言」を、若い時に大塚久雄の訳で読んだ。なにかとても重要なことがここに書かれている、と思った。ぼくたちが生きているこの世界、近代と呼ばれる歴史の大きな流れの中で、日本やヨーロッパやアメリカや中東や、さまざまな地域の個別の文化や問題は異なっているものの、現代世界にはある共通の方向と価値のようなものがあって、それにどう向き合って人間の生き方の条件を考えるのか?ヒントのひとつは資本主義という経済のシステムであり、もうひとつはマックス・ヴェーバーが追求した宗教という価値のシステムだと意識するようになった。ぼくはヴェーバーを読んで、拙い卒論に取り入れた。
ヴェーバーの文章は、言葉に言葉を重ね、注釈に注釈をつけていくような粘着した文章なのだが、どこまでも正確に確実な言明を伝えようという迫力に充ちている。ヴェーバーの『宗教社会学論文集』巻一の中にある「儒教と道教」は、広範な比較宗教社会学において重要なアジアの宗教に関する綿密な研究である。ぼくはこの翻訳本を、大学生の頃に購入していたのだが、ちょっと読んで難しくてずっと本棚の奥にしまったまま、もう数十年が経過してしまった。たまたま道教のことをブログに書きはじめて、書棚をみたら『儒教と道教』があった!
「隠者Anachoretenは、荘子の書物によってのみならず、保存された画像作品からみても、儒教徒たち自身の認めるところによって考えても、中国には古い時代からつねに存在してきたのみならず、英雄や読書人たちはもともとは老年期には森林生活を孤独のうちに送っていたという仮定に導きかねない覚え書きさえ見出される。純粋な戦士壮行会においては、事実上しばしば『老人』は無価値なものとして遺棄にゆだねられていた。それで、隠者たちのこれ等の『年齢層』が当初はこの種の人たちから補充されていたということは、じゅうぶん考えられうることなのである。しかしながら、それは不確かな推測である。つまり、歴史時代においては老人たちの隠者=生活Vanaprastha-Existenzはけっして、インドにおけるようには、正常のものと見なされていなかったからである。
とはいえ、『現世』からの隠退だけが、思索と神秘的な感覚das mystische Fühlenとのための余暇と気力とをつくりだしたのである。――孔子も荘子も――官職を自身の救済追求のために拒んだが、孔子は官職に不自由していたという点にあったにすぎない。
政治的に不成功の読書人にとっても、この隠逸Anachoretentum は政治からの隠退の標準的な形式とみなされ、自殺や、処罰されたいという申し出のかわりになった。呉国における、ある諸侯国の君候の弟の仲雍は隠者の庵におもむいている。そして、成功をおさめた皇帝である黄帝についてすらも荘〔子〕の報ずるところによれば、かれは退位して神仙となった、というのである。
古代の隠者たちの『救済目的』は、たんに1.長寿法的makrobiotsch 2.呪術的magisch傾向のものにすぎないと考えてよい。つまり、長生と呪力と〔の獲得〕が、師匠たちの。また少数ではあったが、かれらのもとに逗留して師に仕えていた弟子たちの目標であった。」マックス・ヴェーバー『儒教と道教』木全徳雄訳、第7章正統と異端、第二節隠逸と老子(抜粋)。創文社、1971.pp.296-298. (原著:Max Weber “Konfuzianismus und Taoisumus”gesammelte Aufsatze zur Religionssoziologie�.第4版1947.)
よく知られているように、ヴェーバーの関心はなぜ西ヨーロッパにおいてだけ、近代資本主義が発達したのか?という歴史的難題である。世界を見渡すと、古代以来ヨーロッパなどは辺境であって、中東やエジプト、インド、なかんずく中国文明は、あらゆる意味で先進的で、近代をいち早く実現してもおかしくないのに、遂に中国は眠れる獅子のまま停滞した。その理由をヴェーバーは宗教を通じて探究する。当然、議論の中心は儒教になるが、儒教から分れてもうひとつの流れを形成したのが道教である。これについても、さすがにヴェーバーはドイツで手に入るあらゆる文献を渉猟網羅し、老荘思想の本質に迫っている。
「だが、それに連接して、現世にたいする『神秘主義的な』態度とそれを基礎とする哲学とが形成される可能性があったし、また事実そうしたことが起ったのであった。賢者は、ただ、世俗をことに世俗的な高位と官職とを引退した隠者たちAnachoretenにしかものを教えることはできない、――というのを、皇帝であった黄帝は答えとして受け取っている。隠者は『処士』》Gelehrten die Hause sitzen《つまり、官職につかなかった学者なのである。後世の、儒教的な官職補任期待者との対立関係はもうこの中に暗示される。隠逸の『哲学』はそれよりもはるかに徹底していた。すべての神聖の神秘主義genuine Mystikにとってそうであったように、絶対的な世事無関心die absolute Weltindifferenzが自明の目標であり、また――これは忘れてはならないことだが――長寿法的に重要な目標das markrobioteisch wichtige Zielでもあったのである。そこで、長生は――既述のように――隠逸生活の一つの傾向であった。
さてこの見地からみて重要だと思われたのは、原始的な『形而上学』によれば、とりわけ、生命の明らかな担い手である呼吸の節約的な、また合理的な処理(いうなれば、『管理〔法〕』》Wirtschaften《である。呼吸調節が特殊な種類の脳髄の状態を引き立てることができるという生理学的に確認しうる事実が、さらに徹底した結論に導いた。『至人』》der Heilige《は『不死不生』であるべきであり、あたかも生きていないかのようにふるまうべきである。『わしは愚かな(それゆえ、世才を脱した)人間なのだ』と老子は、自分の聖人らしさを保証して言っているし、荘子は(官職によって)『束縛』されることを欲しないで、むしろ『泥だらけの堀のなかの一匹の子豚のように』生存したいと願った。『みずからを一気dem Aetherに等しくし』『肉体を投げ棄てる』ことが目標となった。
かなり古い現象にインドの影響が働いていたかどうかについて、専門家たちの意見はまちまちである。官職から身を引いたこれらの隠者たちのうちのもっとも著名な者、すなわち、伝説が正しければ孔子より年長で孔子の同時代人であった老子のばあい、このインドの影響は痕跡がないようには見えないのである。
第四節 神秘主義の実際的帰結
本節でわれわれが老子を問題にするのは、哲学者としてではなくて、かれの社会学的な地位と影響においてである。儒教との対立は術語のなかからしてすでにあらわれている。カリスマ的皇帝に特有な調和的態度を、孔子の孫である子思は「中庸」〔という書物〕のなかで均衡状態と特徴づけているのに、――老子の影響をうけたもしくは老子を奉じていると自称している著作においては、右の状態は、空虚Leere(虚)または非存在(無)であるといわれ、『無為』(なにごともしない)および『不言』(なにごとも言わない)によって得られる、とされるのである。こうした虚や無や、無為や不言などは明らかに、決してたんに中国的であるにとどまらない、典型的に神秘主義的な範疇Kategorienなのである。
儒教の教義によれば、礼、つまり、儀式の規則と祭儀とは、中の産出のための手段なのだ、――〔ところが〕神秘家たちの見解によればそうしたものはまったく無価値であった。あたかも無心であるかのようにals hätte man keine Seeleふるまい、そうすることによって心を官能から解放すること、――それが、独力で道士(いわば道taoドクター)の力に至りうる精神的態度であった。生は『神』》shen《の所有に同じく、それゆえ長寿法は養神に等しい、――このことを、老子の著とされている道徳経は教えているが、それはまったく儒教徒と一致している。ただ手段こそがまさしく異なるのだが、長寿法的な起点は同じであった。
すでにわれわれがたびたび出会ってきた基礎的範疇である『道tao』は、これによって後世に異端説が『道家』として》als Taoisten《儒家から分れたものであるが、この『道』は両学派に、一般にはすべての中国的思惟にいつも共通であった。同様に、すべての古代の神々も両学派に共通であった、――もっとも『道教』は万神殿das Pantheonを、正統〔儒〕教には非古典的と見なされている多数の神々の分だけ、主として人間の神格化Apotheose von Menschen――これは長寿法の歪曲である――によって豊富にしてきたのではあるが。古典的文献も――ただ異端者たちのもとでは、儒教徒からは非古典的として拒否された老子の道徳経と荘〔子〕の書とがそれに加わった点を除けば――両学派に共通であった。しかし孔子みずからさえも――その点をデ・フロートは大いに力説するが――敵手の基礎的範疇を、あの「無為」(放任laissez faire)すらも、拒否しなかったし、また明らかに時折りは、道において完全な無為者の呪術的カリスマの説に近い態度をとっていたらしい。」M・ヴェーバー『儒教と道教』創文社、pp.298-300.
老荘思想って、ある意味で読書階級、選抜競争試験社会のエリート挫折者の思想なのかもしれない。エリート君たちよ!君たちの理想とする社会、それは自分の浅はかな権力欲を満たすための虚構であり、世俗の欲望を求めるだけの愚かなものなのだよ。俺たちはもうその路線は捨てたんだ。どっちが心地よく快適な人生を生きられるか、どっちが健康で長く生きられるか、さあ勝負だぜ!「老いた知識人」は無用の人なのだが、無用の人であることほどadventageousなことはないのだ、と主張しているわけだな。居直りといえば居直りなんだけど、本も読まない庶民にはじっくり受ける要素があるよな。
日本人は、「漢文」を学校で習ったので論語が立派な道徳であると刷り込まれている節があるようです。
それにしては、最近の中国や朝鮮の理不尽なふるまいを不審に思っていました。
どうも儒教は、いろいろと問題がある考えのようです。