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合理的精神の欠如について… ダイヤル電話機?

2018-04-25 11:37:29 | 日記
A.文化的近代化としての宗教の革新
 ぼくは日本という場所にいて「近代化」modernizationということをずっと考えているのだが、このテーマに関してやはりマックス・ヴェーバーという人の考えたことは、きわめて重要だと思い、また日本の社会学者で「近代化」を正面から問い続けた富永健一という人の書いたものから、多くを学んだと思っている。富永の『マックス・ヴェーバーとアジアの近代化』という本は、西欧と東アジア(おもに中国・韓国・日本)の近代化を比較するというモチーフで、要約的に論じているもので、改めて読んでみると多くの示唆を与えられた。
 いまぼくが僭越ながらやっている講義のひとつに、「モダン・アートの社会学」というのがあるのだが、文化的近代化という論点は新たなヒントを提供しているように思ったので、少し引用してみる。富永の問題設定は、西欧に始まった「近代化」には四つの側面があり、それは同時並行して起こったのではなく、時間的な継起のずれがあったとする。四つとは、経済的近代化(資本主義的産業化)、政治的近代化(民主主義的議会政治)、社会的近代化(共同体から個人へ)、文化的近代化(精神の合理化)であり、西欧ではまず文化的近代化に始まり、それが社会的、政治的近代化を招き、最後に経済的近代化が実現したのに対し、アジアとくに日本の場合で考えると、順序は逆に、経済的近代化を優先して、政治的・社会的近代化が遅れて徐々に実現し、文化的近代化は一番遅れているという認識をとる。そして、この文化的近代化を、ヴェーバーの宗教社会学から敷衍して、日本の宗教の現状からみることになる。

「ヴェーバーの見るところによれば、日本人の生活態度の精神は、宗教的要因以外のところから来ている。それは日本が中国と異なって、早い時期に中国タイプの家産制からヨーロッパ・タイプの封建制に移行したからである、というのがヴェーバーの観察であった。封建制のレーエン関係(封土を介した封建領主と家臣との関係)は、ヴェーバーの解釈では、家産制における絶対的従属と異なり、主従のあいだに「解約可能の強固な契約的法律関係を作り出す」。このことが、日本に西洋的意味での個人主義の基盤を提供した。かくしてヴェーバーは、「日本は資本主義の精神を自ら作り出すことはできなかったとしても、比較的容易に資本主義を外からの完成品として受け取ることができた」と結論した(Weber, 1920, Ⅱ:300)。
 日本の資本主義の場合には、たしかにヴェーバーのように論ずることが可能であろう。しかしそれなら、韓国はどのように説明したらよいのだろうか。さらには、中国本土における文化大革命収束以後の高度経済成長は、どのように説明したらよいのだろうか。これらの問題について考えるとき、われわれはヴェーバーを超えて進まなければならないということに、気がつくのである。
 戦後日本における政治的近代化と文化的近代化の問題点
 アジアにおける「資本主義の精神」という問題を考える場合に重要なことは、「資本主義」は経済の近代化に関わる要因であるが、「精神」は文化の近代化にかかわる要因である、ということである。われわれは第一節において、近代化の構成要素を四つに分け、それら四つの近代化は、歴史的に見て同時に起こってきたものではないということに注意した。そしてそれらが起こる順序は、西洋と東洋とで逆になってきた、ということを見た。すなわち、西洋では文化的近代化はもっとも早く、経済的近代化は最も遅かったのに対して、日本ではその反対で、経済的近代化が最も早く、文化的近代化は最も遅いのであった。このコントラストは、西洋においては、資本主義の発展が起った時その精神的基盤はあらかじめできていたのに対して、東洋においてはそうではなかった、ということを示唆するものである。
 戦前における日本の近代化の歴史的経過を通観することから、経済的近代化の成功のみが先行し、それ以外の三つの近代化はそれよりずっと立ち遅れており、とりわけ文化的近代化は最も遅れている、ということを私は指摘した。そこでこの説の課題は、戦後五十年の日本の近代化において、経済的近代化以外の近代化におけるそのような遅れが、はたして解消したといえるかどうか、この一点に絞られることになる。
戦後日本の政治に関しては、まず政党政治における民主主義のルールが確立されたことが指摘できるであろう。少なくとも、戦後半世紀の日本には、戦前に大正デモクラシーが軍部独裁に逆戻りしたようなことは起こらなかったし、発展途上国に見られるような独裁政権の長期持続も起こらなかった。からこれは日本における政治的近代化の発展を意味する、といちおう言ってよかろう。しかしその政党政治の中身を見ると、(1)1955年いらい38年間自民党の単独支配がつづき、わずか二年の中断をへて1995年以後自民党はまた政権に復帰したこと、(2)1972年の田中角栄内閣の登場いらい、とりわけ金権政治と汚職事件の連続があったこと、(3)1990年代に入ってからはバブル崩壊にともなう大規模な金融不祥事と官僚制の腐敗が明るみに出たこと、この三つが主要な政治問題として注目されねばならない。これらの諸事件は、政治的近代化の遅れによってひき起こされてきた権力の固定化と非合理性が克服され得ない、という事実をあらわすものとして注目されねばならないであろう。
つぎに戦後日本における狭義の社会的近代化に関しては、戦後改革において家父長制家族の解体があったこと、高度経済成長にともなう都市化によって村落共同体の解体が起ったこと、の二点がまずあげられよう。これらは、社会的近代化の発展を意味する。しかし、日本の社会的近代化を経済的近代化と結びつけて見ようとするとき、戦後日本の最大の問題は、世界の注目を集めた「日本的経営」の持続があったということである。日本的経営は、これまで日本経済の高度成長の原動力として称賛されてきたし、それはたしかに否定できない事実であるが、同時にそれは、組織の社会的近代化における遅れとしてとらえられる面をもっており、この観点からは、日本の企業における近代化の未成熟の問題が注目されねばならないであろう。日本的経営は、1960年代を中心とする高度経済成長期に広まったが、石油ショック後不況において最初のゆらぎを経験し、ついでバブル後不況において解体の危機に立たされることになった。しかし戦後の半世紀間、日本的経営は日本の大企業に定着し、そのことが日本社会における世代内移動率を西洋先進諸国におけるよりも低い水準にとどめてきた事実は、否定することができない(富永健一・宮本光晴編、1998)。
第三に、戦後日本の文化に関しては、技術の進歩、科学的研究の進歩、芸術の進歩、などの事実がまずあげられよう。これらは、文化的近代化の発展を意味する。しかし目を宗教界に向けると、「新宗教」および「新新宗教」と呼ばれる多様な民衆宗教の非近代性が日本の社会に引き起こした、多くの非合理的な社会問題が指摘されなばならない。とりわけ影響の大きかったものとしては、(1)「折伏」と呼ばれる攻撃的な布教運動で教勢を拡大したのち、「公明党」として政治に進出した創価学会、(2)「原理運動」や「勝共連合」の名で多数の学生を全国規模で集団生活に引き込んで「洗脳」し、親たちの反対運動を引き起こしてきた統一教会、(3)多数の若者を全国規模で集団生活に組織化し、多くの場合彼らに薬物を用いるなどして激烈な「マインド・コントロール」を行ない、善良だったはずの若者たちをサリン事件のテロルにまで引き入れたオウム真理教、の三つがとりわけ大きな社会問題としてあげられねばならないだろう。
これら三つのうち、日本的経営の問題については第四節でとりあげることにしよう。この節では、政治の側面および文化の側面に関して、戦後日本の近代化の未成熟を分析することにしたい。」富永健一『マックス・ヴェーバーとアジアの近代化』講談社学術文庫、1998.pp.72-76.

富永の戦後日本近代化の未成熟の分析は、政治的近代化の戦後的形態としての自社二大政党が固定する55年体制と政権交代なしの自民党政治および官僚制の腐敗などを瞥見し、「保守二政党」+市民派第三極という混迷の構図に政治的近代化の未成熟を見る。これは1996年頃に書かれたものなので、その後の政治の展開とくに民主党による政権交代とその失敗については当然触れられていない。そして問題は、次の文化的近代化の未成熟の分析である。

「オウム真理教がひきおこした1994年6月の「松本サリン事件」と、1995年3月の「東京地下鉄サリン事件」は、文化面における戦後近代化の欠陥を、悲劇的に象徴化する出来事であった。オウム真理教事件はいったいなぜ起こったのか。それのもつ意味は、いったいどのように解釈したらよいであろうか。
 戦後に出現した「新新宗教」と呼ばれる多数の教団――阿含宗とか真光教団とかGLA教団などから幸福の科学やオウム真理教まで――を見ると、呪術力、超能力、霊能力、さらには薬物までも用いるというように、非合理的な力を公然と動員することにより、エクスタシーをつくり出すことを共通の特性とするようになっている。またそれらが興味本位にマスコミによってとりあげられたことが、核家族の中で親の影響力が低下した批判力のない若者たちに、非近代的・非合理的な呪術への関心を駆り立てたと思われる。宗教学者の中にも、そのような傾向を支持する雰囲気が見られたのは、驚くべきことであった――さすがにオウム真理教の集団的犯罪行為が露呈したあとでは、新新宗教を持ち上げる言論は消滅したが。
 第二節で述べたように、マックス・ヴェーバーの宗教社会学は、西洋ではカルヴィニズムが徹底して呪術からの開放を推進したのに対して、アジアでは仏教や儒教・道教が呪術を排除しなかった、という差異に注目した。カルヴィニズムの合理主義は、近代資本主義の精神に直結し得たのに対して、アジアの諸宗教は神秘主義にとどまって、資本主義の精神のような合理主義への道をとり得なかった、というのがヴェーバー・テーゼであった。この違いは、キリスト教が宗教改革をつうじて合理化と近代化を達成したのに対して、アジアの諸宗教には宗教改革の自生がなく、宗教は終始伝統主義にとどまったことによるのであった。
 ヴェーバーのこのような観点を日本の宗教にあてはめてみよう。宗教学者は、日本の宗教を、(1)古代から中世初期にかけて成立ないし渡来して以来の長い制度的伝統をもつ、既成宗教としての神道・仏教・儒教、(2)幕末から戦前期にかけて成立し戦後にいっそうの隆盛を見た天理教・創価学会・立正佼成会などの「新宗教」、(3)戦後とりわけ高度経済成長期以後に成立し急速に発展した阿含宗・真光教団・GLA教団その他多くの「新新宗教」、の三つに区分してきた。そこでこの三分類にしたがって、日本における宗教と近代化との関係を考えてみると、次のようなことがいえるだろう。
 日本における既成宗教である神道・仏教・儒教は宗教改革を経験しておらず、したがって伝統主義からの離脱を実現していない。だから日本では、それらの宗教は近代思想とは見なされてこなかった。日本において近代思想とは、宗教から出てきたものではなくて、福沢諭吉や中村正直らをはじめとする「明六社」系の明治啓蒙思想家たちによって、西洋の文献をつうじて教えられるものであった、という事実が重要である。日本の近代において、既成宗教はヴェーバーの意味での「合理化」の担い手になり得なかった。民衆の関心は、西洋におけるプロテスタントたちのように宗教の合理化を実現する方向には向けられず、仏教を中心とする既成宗教の信者たちは葬祭や祖先供養に終始するのに対して、既成宗教にあきたらない人びとは、非合理的な宗教体験を与えてくれるものを求める方向にすすんだ。そのような関心をみたすものとして登場してきたのが、宗教のいっそうの非合理化を実現する担い手としての、新宗教・新新宗教であった。オウム真理教の事件が日本の戦後史においてもつ意味は、戦後日本の若い世代にそのような非合理主義に対する批判力がまったくないことが端的に露呈された、ということにあるというべきだろう。
 天理教や創価学会や立正佼成会などの「新宗教」は、既成宗教と違って、専門聖職者でない民衆の中から教祖があらわれて、信者の獲得に成功するという前例を開いた。この方式が成功して、新宗教の中から巨大化したものがいくつも出現したことにより、近代日本の宗教界には、新興の諸宗教がつぎつぎに登場してくるというパターンができあがった。それらの新宗教は今日ではすでに十分エスタブリッシュされたから、いまやよりいっそう非合理的な呪術力の行使は「新新宗教」に求められることになったのである。
 とりわけここで問題にしたいのは、新新宗教がつぎつぎに信者を集め得たという事実である。このことは、戦後の高度産業化、技術と経済の合理化にもかかわらず、民衆が依然として非合理的な呪術に対する期待をもちつづけていることを意味する。ここに、日本人のうちの少なくない人々が「宗教」の名のもとに求めているものの不変の原点がある、と思われる。アメリカには、非合理的な新興宗教の叢生が見られるが、ヨーロッパにはそういうものはない。これは、キリスト教がなお強力な求心力をもちつづけているからであろう。日本には、西洋諸国のキリスト教のような強力な求心力をもった宗教がなく、既成宗教には強い組織力が欠けている。そこに一種の空白があり、この空白こそが、新新宗教が信者を集め得る原因をなしている、と思われる。戦後日本において文化的近代化が「成熟」していない、最大のあらわれがここに見出されるのではなかろうか。」富永健一『マックス・ヴェーバーとアジアの近代化』講談社学術文庫、1998.pp.80-83.

 富永はここで、近代的合理主義精神とはかけはなれたオウム真理教など日本の「新新宗教」が、若い世代の信者を獲得していることに注意を促し、経済的近代化を達成した日本で、文化的近代化がかくも遅れて(むしろ後退して)いることに大きな問題があると指摘している。ぼくもこの点で問題意識は共有するが、文化的近代化というテーマを宗教に限って論じているのは、ヴェーバーとの関連で書かれているという文脈はわかるけれども、他の要素についても考える必要があると思う。つまり、近代の文化的要因には、いわゆる宗教だけでなくアートも重要で、日本人の精神を考える場合、宗教の側面からだけ問題にしていると、ひとびとの感受性や認識の様態を意味づけているものが、西欧のユダヤ=キリスト教や中国の儒教などの宗教倫理に照準したヴェーバーの論点に縛られてしまうのではないか、と思う。



B.つれづれの感想
 明日に迫った絵画展のために、この数日は家に籠って絵を描いている日々である。追い詰められてきたので、気分転換につれづれの文章を記しておく。
 「天声人語」から
「東京・下北沢の骨董品店で、大学生らしき男性が黒電話と格闘していた。「指を突っ込んで回してごらんよ」と店主が教える。回すべきはダイヤル盤。だが男性は穴の一つに入れた指そのものをくるくると回し、あきらめたという▼この目撃談は、大阪市住吉区内で私設の「てれふぉん博物館」を運営する稲谷秀行さん(56)に教わった。ダイヤル式の電話を見なくなって久しい。スマホでも携帯でも指先で数字に触れれば足りる。「数字ごとに右へジーコジーコと盤を大回転させるとは夢にも思わないようです」▼稲谷さんが電話機の収集を始めたのは30年ほど前。買い集めた電話機をいつか展示したいと考えた。夢を母に打ち明けると、「んなもん作ったらアホやと言われる」。一念発起して大学の通信課程で学芸員の資格を得て、5年前に開館させた。▼収集総数700台強。館内を歩くと、明治期に輸入された大仕掛けの電話から、昭和世代には懐かしい赤や黄、緑の電話機までアナログ電話全史が一覧できる▼戦前の古い電話機を試させてもらった。だがダイヤル盤はなく、最初の一手がわからない。送話口と受話口の区別もできない。一世代前の技術にこれほど難渋するとは、黒電話にてこずる下北沢の若者と同じである▼通信機器の進化はめまぐるしくも慌ただしい。四半世紀前にあれほど欠かせなかったポケットベルも姿を消した。いまから半世紀もすれば、骨董品店で若者がスマホに四苦八苦する姿を見かけるのだろうか。」朝日新聞2018年4月23日朝刊1面。

 これもときどき読むコラムから。
「意地悪ホルモン :本音のコラム  宮古 あずさ
 患者さんとこじれる時は、しばしば私の余計な一言が絡んでいる。「やり込めたい」「一泡吹かせたい」という抑えがたい感情。その結果、口をついて出る嫌味や当てこすりが、余計な一言の正体である。
 私は余計な一言をひき出す感情を、意地悪ホルモンと呼んでいる。元々心の闇に潜み、活性化するとやっかいな本能に思えるからだ。
 放言、暴言の多くはこれに起因するように見える。事務次官のセクハラ発言を巡る麻生財務大臣の発言などは、その典型ではないだろうか。
 セクハラ被害を受けた女性記者について、テレビ朝日からの抗議文書が財務省に出された。これを見たかと記者に問われ、麻生氏はこう答えた。「もう少し大きな字で書いてもらった方が、見やすいなと思った程度に見ました」
 まさに余計な一言。あんなことを言って、いったい何の役に立つのだろうか。居合わせた人間を不快にする以外に、何の役にも立たない。実に無駄である。
 作家のフランソワーズ・サガンは哲学者のサルトルについて「とても頭のいい人に意地悪な人はいない」と評した。
 本当に賢い人は他者を思い、無駄を排する知性がある。いや、そこまでは望まない。ほんの少し考えただけでも、当てこすりや嫌味が事態を良くしないことは、わかるはずである。(看護師)」東京新聞2018年4月23日朝刊、21面特報欄。
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