イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

日々、のんびりジコジツゲン!(のんびり自己実現 1/10)

2013-02-12 | 第十章「今ここでの恩寵」

 自己実現とか、生き甲斐とか、ちょっと馴染めないという人は意外に多いようです。私もかつてそうでした。また、時代の雰囲気もあるようです。今、アマゾンやYouTubeで「自己実現」を検索しても、何万人単位で注目を浴びている商品等にはおめにかかれません。私の子供たち(もう大人ですが)も、ひょっとしたら言葉すら知らないかもしれないのです。

 その理由は何でしょうか?すべての人(現在地球に70億人)に関係があるはずなのに・・・ 

 一生に一度の大事業のようなイメージがあり、敷居が高い言葉かなと思うのです。さらに追い討ちをかけるのは、自己実現が特にそうですが、理知的で感性等の問題とつながらないお硬い感じなのです。

 しかし、自己実現を勉強していくと、どうも日々の問題のような身近な問題のです。さらに、実態は決して計画とか事業とかの硬いものが全てではなく、感受性の問題とか柔らかいものも大切なのです。そして、自己実現を意識することで、何かが確実に変わってきます。

 さて、私の恩師U先生の「生き甲斐の心理学」では、そのテキストそのものが自己実現、生き甲斐に関係しているのですが、自己実現の領域として3つの問いかけを大切にしています。

 ①自分は何のために生きているのか?(哲学的な問いかけ、回答がいつまでたっても無い問いかけとも言われる)

 ②生き甲斐は何か?(現世的な問いかけ)

 ③自分を大切にしているか?(身体、心(生育史)、魂(宗教的領域))

  これ等の問いかけを、どう展開していくかですが、正月に一年の計と問いかけをするのも良いですが、今日一日に限定してみるのはどうでしょう。人間、いつ死ぬか判らないこともあり、今日一日で考えることは決して間違いでもないようです。

 のんびり自己実現 1/10 

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絞り込む意味を考える!(本音と感情 10/10)

2013-02-11 | 第九章「愛」

 U先生の「生き甲斐の心理学」テキストの最初にでてくるのは、「理想的なカウンセリング」というテーマで事例を取り上げている。しかし、その事例は、なんと新約聖書の有名なサマリアの女(ヨハネ福音書4-1)の話なのだ。

 サマリアの女は、欧米の心理学関係の学会でも話題になるそうで、イエスがサマリアの女と出会い癒していく過程が話題になるそうだ。臨床心理的に見ても実に理にかなっているのだが、余りの短時間に癒されることに皆驚くそうだ。

 もちろん、今回のテーマの本音とか感情もこの話の中で大事なポイントにもなっている。

 さて、カウンセリングの技術の中にフォーカシングというものがある。ジェンドリンが考案したものであるが、日本でもいろいろなところに使われポピュラーだ。

 この手法は、たくさんある感情をひとつに絞りこんだり、たくさんある不安の行く末を最善の時と最悪の時といったように絞り込む。そして、短時間で方向性を見出す。

 絞込みはビジネスの世界でも良く使うが、心の世界でも極めてたいせつなのだ。

 生き抜くための絞り込むということ。そういえば、動物園のオラウータンの母も自分の子を選択的に慈しんでいる。

 本音と感情 10/10

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自然に五感で癒される!(本音と感情 9/10)

2013-02-10 | 第九章「愛」

 精神的にまいっているときは、感情が自分で見えなくときといってよいかもしれない。心の健康を測る、世界的に有名なプロセススケールでも、感情が表出しない、感情が自分のものだと認めらないときを問題だとしているし。

 誰でも、そういう体験をするものであるが、私も何回かある。

 そういう時に、どのように回復したかを自問自答してみると、心の健康によいことが実感できる。「生き甲斐の心理学」には様々な知恵があるが、自分なりの経験から、そうだなと思うことを、今日は述べてみたい。

 かなり精神的にまいっていた、ある日。私は奥多摩に散策に行った。ちょうど梅雨のころであったであろうか、川の水が轟轟と流れ、飛沫をあげ暴れているようだった。天気は曇天であったが、ドクダミが白い花を沢山つけ美しかった。そしてドクダミの強い匂いが、不思議に心地よかった。幼いころ、よく遊んだ裏庭のドクダミを思い出したからかもしれない。

 何をすることもなく、自然の中にぼーっと佇む。そんな経験であったが、後から考えると、それで幾分でも癒されたようだ。こうした癒しの経験は、理論的にいうと、五感・体感(このケースは視覚、聴覚、臭覚、触覚)が自然の中で癒されることによる効果なのだろう。

 さて、良く考えてみるとちょっとした旅行では、美味しいものも食べたりで、味覚も含め五感・体感全部が癒される。あー旅行したいな!

 本音と感情 9/10

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自分の感情を誤解していたなぁ!(本音と感情 8/10)

2013-02-09 | 第九章「愛」

 思考・感情・行動は人間が生きる上での基本である。心理学でも、この三要素は大事にされている。

 ところで、思考や行動に関することは今まで学校や社会で沢山学んできたが、感情に関することはほとんど学ばなかったように思う。私が感情のことを体系的に学んだのは、「生き甲斐の心理学」が始めてだ。そして、これは本当に役に立っている。多くの人が、感情に対する正しい知識を得て、実生活の中に活かせば、どれほど良いかと思っている。

 さて、今日は、自分がかつてもっていた感情への代表的な誤解を3つ記してみたい。これだけでも、随分違うと思うからだ。

 倫理道徳に外れるような感情を持つことは良くない:

  嫉妬をしたり、激しく憎んだり、悲しむべき時に喜んだりする・・・こういう湧き起る感情を持つ自分を恥じる。心理学的な言葉を使うと抑圧したりする。私はこれは大変な誤解であると思う。湧き起る本当の感情は生命体にとっての貴重な情報である。最近の脳科学の発展の中でも、例えば物理的な怪我がもとで感情を喪失した人が、大きなハンディキャップを背負うということが判っている。個人的な経験でも、6歳の時に友達(いじめられていた)の交通事故死を喜ぶという感情を、倫理道徳で抑圧したために、心の傷になった経験がある。人間は、湧き起る感情をキャッチし、それを冷静に意味付することもできる存在になりうることを知るべきである。

 感情は一定時間続くものである:

 確かに、憂鬱な気分が続いたりすることもあるが、健康的な日々の中では、不安感、平安感、怒り、友好的感情など結構瞬間的だったり切り替わったりする。身体の緊張感や弛緩も含めて、自分の感情を外観すると、湧き起る感情の実態が見え始める。生き甲斐の心理学では感情を、10に分類する。暗い感情を、不安、怒り、身体症状、ウツ、錯乱。明るい感情を、平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感。敢えて、感情をこの10種類に分類して、自分の感情を反省してみるだけでもいろいろ判る。感情は自分でないと判らないものなので、意識してみるとよい。今日一日の感情の流れをノートに書いてみるなどもよい。

 感情は非論理的で得体のしれないものである:

 感情は理想と現実のギャップから発生する。ただ、自分の理想や現実は意識されるときもあるが無意識の世界に隠れ判らないこともある。それゆえ感情の原因がよく判らないので誤解を抱くのだろ。しかし無意識の発見(近代では)で事情は変わった。様々な臨床的アプローチで無意識の意識化をすることで原因をみつけることは可能だ。

 さらに、人間を身体、心(生育史)、魂(宗教的領域)を考えてみると、感情の発生も身体からの信号、生育史からの信号、魂からの信号と識別できるように思う。こうした知識があれば、不安が不安を呼ぶということも少なくなる。お腹がすいてイライラしていることを他人が察知しても、本人が気がつかないこともある。

 昨日は、夕方、近くの丘から富士山を眺めた。富士山を眺められる八王子に住んでいて幸せである(奈良も好きだが)。感情も、私にとって富士山のようなイメージに変わってきているようだ。

 本音と感情 8/10

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自分の本音、自分の生き甲斐をみつける知識の大事さ!(本音と感情 7/10)

2013-02-08 | 第九章「愛」

 先日、母校を訪れ楽しくお酒を酌み交わしたりした。高校を卒業して42年が経とうとしていた。

 何十年ぶりにあった友達とは、すぐ打ち解けたが、会が盛り上がった時に、高校生の時に自死で亡くなったAさんの話題が出た。私だけでなく、気にされている人がいるんだなと想ったが、40年以上の時を経過しても回りに与える影響大きさに驚いた。

 13年前から「生き甲斐の心理学」を学びはじめ、それとともに自死に関するイメージが随分変わってきた。大学生の頃読んだ「20歳の原点」とか、村上春樹の「ノルウェイの森」とか、臨床心理学の知識をもって読み返すと、病理に陥るプロセスが理解できるのである。もちろん、一人一人は多様な存在ではあろうが。

 自死は一つの極端な例であるが、自分の過去の事例を研究してみても、本音が分からなくなり軽い病理に陥ったケースに気がつく。6歳のころの友達の交通事故体験などがそれである。これも、小学生ながら倫理道徳ゆえに自分の本音が抑圧された事例といってよいだろう(昨日のブログを参考にしていただければ嬉しい)。病理的な現象は、幸運なことに大きくはなかったが、人生に暗い影をおとした影響は大きいと思う。

 生き甲斐の心理学の教育事業は、自己実現や生き甲斐の問題といったポジティブな面だけに光を与えるだけでなく、知識不足による悲劇を予防することもある。その知識の普及は身体の健康以上に大事だと思うのであるが、様々な思惑も絡み難事業である。一部の専門家のみが理解していればよいという問題では決してない!富士山のように広い裾のが必要だ。

 本音と感情 7/10

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