思考・感情・行動は人間が生きる上での基本である。心理学でも、この三要素は大事にされている。
ところで、思考や行動に関することは今まで学校や社会で沢山学んできたが、感情に関することはほとんど学ばなかったように思う。私が感情のことを体系的に学んだのは、「生き甲斐の心理学」が始めてだ。そして、これは本当に役に立っている。多くの人が、感情に対する正しい知識を得て、実生活の中に活かせば、どれほど良いかと思っている。
さて、今日は、自分がかつてもっていた感情への代表的な誤解を3つ記してみたい。これだけでも、随分違うと思うからだ。
倫理道徳に外れるような感情を持つことは良くない:
嫉妬をしたり、激しく憎んだり、悲しむべき時に喜んだりする・・・こういう湧き起る感情を持つ自分を恥じる。心理学的な言葉を使うと抑圧したりする。私はこれは大変な誤解であると思う。湧き起る本当の感情は生命体にとっての貴重な情報である。最近の脳科学の発展の中でも、例えば物理的な怪我がもとで感情を喪失した人が、大きなハンディキャップを背負うということが判っている。個人的な経験でも、6歳の時に友達(いじめられていた)の交通事故死を喜ぶという感情を、倫理道徳で抑圧したために、心の傷になった経験がある。人間は、湧き起る感情をキャッチし、それを冷静に意味付することもできる存在になりうることを知るべきである。
感情は一定時間続くものである:
確かに、憂鬱な気分が続いたりすることもあるが、健康的な日々の中では、不安感、平安感、怒り、友好的感情など結構瞬間的だったり切り替わったりする。身体の緊張感や弛緩も含めて、自分の感情を外観すると、湧き起る感情の実態が見え始める。生き甲斐の心理学では感情を、10に分類する。暗い感情を、不安、怒り、身体症状、ウツ、錯乱。明るい感情を、平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感。敢えて、感情をこの10種類に分類して、自分の感情を反省してみるだけでもいろいろ判る。感情は自分でないと判らないものなので、意識してみるとよい。今日一日の感情の流れをノートに書いてみるなどもよい。
感情は非論理的で得体のしれないものである:
感情は理想と現実のギャップから発生する。ただ、自分の理想や現実は意識されるときもあるが無意識の世界に隠れ判らないこともある。それゆえ感情の原因がよく判らないので誤解を抱くのだろ。しかし無意識の発見(近代では)で事情は変わった。様々な臨床的アプローチで無意識の意識化をすることで原因をみつけることは可能だ。
さらに、人間を身体、心(生育史)、魂(宗教的領域)を考えてみると、感情の発生も身体からの信号、生育史からの信号、魂からの信号と識別できるように思う。こうした知識があれば、不安が不安を呼ぶということも少なくなる。お腹がすいてイライラしていることを他人が察知しても、本人が気がつかないこともある。
昨日は、夕方、近くの丘から富士山を眺めた。富士山を眺められる八王子に住んでいて幸せである(奈良も好きだが)。感情も、私にとって富士山のようなイメージに変わってきているようだ。
本音と感情 8/10