イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

身体から来る不安、こころから来る不安を識別する!(感情生活 4/10)

2012-05-27 | 第一章「意識と知覚」

 孫娘と昨日は多摩動物公園に行った。初めて乳母車なしで歩き通し。始めは元気に歩き回っていたが、閉園近くになると疲れたのか、あるいは眠くなってきたのかグズリはじめた。身体から来る不安感を、別の問題に転化させ困らせる。

 人が身体とこころ(生育史)と魂(宗教的次元)からなるものと考えると、不安感も身体からくるもの、こころからくるもの、魂からくるものというふうに分類できる。しかし、こうした孫娘のグズリなどの現象にあるように、人間の脳は身体からくる不安感を別の問題として混同しがち。

 お腹がすくと怒りやすくなったり、疲れると思考が何か歪んできたり、身体から来る不安感が混乱を起こすことは多い。

 何となくイライラしているときに、このイライラはどこからくるのか?身体か、こころか、魂か・・・こんなことを意識して自問自答すると、思いがけなく問題解決ができたりする。

 

 感情生活 4/10

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魂の痛み!(感情生活 3/10)

2012-05-26 | 第一章「意識と知覚」

 今年は、正月から重い経験が多かった。一月の後半は、初めて3.11の被災地を訪れた。U先生が傾聴についての被災地で講演されるとのことで、お供させていただいたのだ。実際に大津波の被災現場を観てなんとも心が痛んだ。

 今月の台湾旅行では、27才で亡くなった大伯父さんの惨殺された遭難の地を訪れることができた。運良く出会った「芝山巖事件の真相」(篠原正巳著)のお蔭で、詳しく遭難の記録を読むことができ(その事実をきちっと記録に残された真摯なご努力に深く感謝)、さらに親切な台湾の地元の方のお蔭で実り多い訪問となった。後で写真で気づいたが、墓石の大伯父さんの名前の部分に、不思議にも泣いているようにかけた水が伝って光っていた。

 訪問は実り多かったが、今までの墓参りと違い、晴れ晴れとした感情で終わらず今でも心が痛む。

 人は身体とこころ(生育史)と魂(宗教の次元)から成り立つとすると、今の心の痛みは単純な自分の生育史からくるもの(臨床心理学の対象)というより、もっと深い魂(宗教や哲学)の領域の問題のようだ。

 被災地でU先生が現場をご覧になってから、今まで話そうとしていたことに納得がいかなくなり、話題をかなり替えたとお話されていたが、本当にそうだったのだなと、今になって実感できてきた。

 臨床心理学はたかだか100年ちょっとの歴史を持つ学問である。もちろん、その中には多くの有用な知見があるが、それ以前の歴史の中では人類は宗教や哲学でやってきたのである。

 今の世の中、魂の問題を持つ方に安易に副作用の強い投薬をする悲しい現実があるようだ。一概に否定するわけではないが、何か根本的な間違いがあるように感じてしまう。そんな中、日本にも薬漬けの医療に対し内部告発する勇気あるかたも出てこられたようだ。

 感情生活 3/10

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感情のもつれあいを思索する!(感情生活 2/10)

2012-05-25 | 第一章「意識と知覚」

 自分の感情を意識すると、いろいろなことが見えてくるが、今日は、私とあなたの関係を考えてみる。

 親子とか、夫婦とか、友達とか親しい関係が今日の話題である。自分と他人との間の距離がある程度離れていれば、ある意味で気楽である。以前寅さん映画で満員電車の中でおならをするシーンがあったが。所詮電車の中の他人なんだから何も気にすることはない。そんなセリフを寅さんが言ったのを覚えている。

 しかし、親密になってくると、良い面(愛そのものの魂と魂が会話するような時)もあるが、感情的にも親しい関係ならではの歪み(感情のもつれ?プロセススケールが低の状態)が生じてくるようだ。それは二人の間の距離が近いために生じる、ちょっとした自他混合と関係があるのだろう。自分の感じた自己嫌悪などの不安を身近な相手に投影したり、いろいろな混合がおこりがちだ。そして、何かに火がつくと、お互いの防衛機制により、さらに歪みが増したりする。

 「覆水盆に返らず」という言葉があるが、そんな時の歪みからお互いが反発していくことも。しかし、こころの知識をもち、さらに感情を大事にしていくと、「覆水盆に返る」ということもある。そういうことを経験してみると(傷はのこるかもしれないが)。変に悲観的になることもない。

 私は、こうしたときにもう一度、自分の不安感をのんびりと掘り下げてみる。その中で相手にしてもらうことではなく、主語が私の「私は・・・・を不安に思っている」・・・核心を発見することが大切なようだ。そして、それが解決への決め手になることも。

 もう一つは、わたしとあなたの関係において、私が真実(魂と魂が繋がっているような時)の時と感情がもつれている時(プロセススケール低)を冷静に識別してみることだ。そして、相手に置いても、同じように真実の時と感情がもつれているときの二通りを識別できれば、理論的には2X2の4つの状態に物事を整理できるようになる。これを意識すると、何か希望が湧いてくる。

 二人で話すときは、のんびりお互いに歪んでいる話題より、まずは、私が歪んでいる部分を話題にし謙虚に相手から学ぶようにするとどうだろうか。それには、難しいかもしれないが、自己肯定・他者肯定のスタンスが大切になる。

 感情生活 2/10

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世界累積人口800億人の感情生活!(感情生活 1/10)

2012-05-24 | 第一章「意識と知覚」

 先日知人に借りた、フランスのカトリックの知識人アベ・ピエール著「神に異をとなえる者」(新教出版社)を読んでいたら、現世人類が生まれてから今に至るまでの累積人口が800億人と知った。ネットで検索しても、大筋同じような数字なので、それほど誤った数字ではないようだ。

 今の世界人口は70億人を越えたそうであるので、累積数は意外に少ないというのが実感である。しかし、アベ・ピエールも述べていたが、その800億人の人間は、それこそ涙の谷を歩んできて、何のために生きている(きた)のだろうか?神はいるのだろうか?という問いかけは、恐らく永遠に理論的には解決できないだろう(信仰の世界はあるが)。

 私も最近、非業の死の理不尽さをみじかに感じたりし、今さらながら、涙の谷の意味を考えることが多くなった。

 さて、話は変わるが昨日は、U先生の勉強会で持統天皇を中心に日本文化の勉強をした。臨床心理学のエッセンスを生活に活かすにも、欧米から来た知識であるため、日本人の文化の特性を知らなければ、健全さを病理と取り違えたりするという問題意識からのものだ。しかし、持統天皇の涙の谷を考えるとさまざまな不思議を感じてしまう。

 U先生は、オックスフォード大学などでの勉学の経験もあり、比較文化、比較宗教学などのバックボーンのもとでの勉学なのでとても楽しい。

 私も習い始めて12年であるが、余りに奥が深いので死ぬまで勉強しつづけるつもりだ。そして、その勉強のポイントの一つは、この涙の谷の中で、如何に豊かな感情生活を送ることではないかと思う。

 普通、日本では感情について真面目に意識する人は少ない。臨床心理学とか、そういうものにたまたま触れた人くらいかもしれない。でも、恐らく800億人の人類の魂にとって、感情生活への知恵はもっとも大切だと実感している。感情生活を豊かにすることにより、生活の質を高め真の自己実現の道を歩めるのではないか。

 感情生活 1/10

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歴史の中のif・・・神秘的!(歴史を振り返る 10/10)

2012-05-23 | 第一章「意識と知覚」

 今日、U先生の「生き甲斐の心理学」の勉強会もあるので、先日触れた持統天皇の幼少期の悲劇をおさらいするため、吉野裕子氏の「持統天皇」(人文書院)を読んでいた。

 その中で、持統天皇の数奇な運命で、私の気が付かなかった視点にはっとした。それは、持統天皇が生まれてくるための、実に不思議な出来事に関してであった。

 その一つは、中臣鎌足が乙巳の乱(大化の改新)を図るために、飛鳥寺で中大兄に近づき(蹴鞠の会)、やがて中大兄(後の天智天皇)に献策をしたということだ。それは、蘇我倉山田石川麻呂の長女と中大兄が政略結婚することでもきっと含まれているのだろう。

 さらに、石川麻呂の長女である兄媛(えひめ)が中大兄と結婚することになり、いよいよの結婚当夜に身狭臣(むさのおみ)に兄媛が強奪されてしまうハプニングがあった。そして、それに驚き悲しむ石川麻呂に対し、兄媛のいもうとの弟媛である遠智娘(持統天皇の母)が、健気にも身代わり結婚を提案し、それで遠智娘との結婚が成立することだ。

 こうした出来事がなければ、当然ながら持統天皇は誕生しなかった。歴史にifを言うことはサイエンスフィクションの世界になってしまうが、もし、そのようなことがなければ今はなかったのだろう。日本の官僚制、日本の法律、日本の宗教、....

 持統天皇の人生と自分を比較するのはとんでもないことだと思うが、自分の生育史も、誕生の前の出来事を含め、考えてみれば神秘的ですらある。先日の台湾の芝山巖参りも、口をつぐんでいた祖父への興味と「芝山巖事件の真相」(和鳴会 篠原正巳著)との出会いがなければ、こんな感動もおこらず、このブログもなかった。

 歴史を振り返る 10/10

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