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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

生命の、宇宙の起源は何だろう?(歴史を振り返る 2/10)

2012-05-11 | 第一章「意識と知覚」

 今日は、久しぶりの快晴。家のネモフィラも青空に映えて綺麗だが、ちょっと悲しそう。本来であれば今日は、U先生の宝塚での勉強会だったが、台湾に行くことになり行けなくなってしまった。

 そんなことで、感情転移で悲しい感じがするのかもしれない。因みに、ネモフィラはカナダや米国の西部に咲く花だそうだ。

 さて、自分の歴史性を意識しだすと、いろいろなことに気付く。昨日は、雑談で、何故私がカトリック教徒になったかを話したりした。信仰という、かなり個人的な経験も、よく考えてみれば縁とか摂理とか、そういう不思議なことがいろいろ絡んでくる。

 このブログでも書いたが、不思議な体験で信仰を得たが、何故カトリックかと訊かれれば、家族の歴史も絡んでくる。私の場合は、直接的には母。その母も、不思議な縁とか摂理があった。それには祖父の意見もあったので、祖父の生育史も絡んでくる。台湾で夭折した祖父の兄の影響も祖父に何か与えたかもしれない(このへんになると、妄想であるが)・・・

 しかし、遡ることは人の常なのだろうか、どんどん遡ったりして考えていくと、やはり始原の世界に興味が出てくる。宇宙の起源である。

 今、世界的に有名なものはビックバーン。137億年前に、キリスト教の聖書にあるように光あれのように、宇宙が瞬間的に始まった。ただ、これも一つの仮説に過ぎず、膜宇宙とか始原の謎は、今後もいろいろ考えられていくだろう。

 始原のイメージは神話などでも語り継がれてきた。科学が発達し、現代の人間が昔の人間より賢いという感じがするが、脳科学的にはこの5万年くらい人類の脳はさほど変わっていないそうだ。なので、神話も決して馬鹿にできない。

 世界には天地創造神話がだいたい6パターンあるようだ。先の光あれパターン。二つ目が巨人の死体から生まれる。三つ目が宇宙卵。四つ目が世界両親。五つ目が自然にできた。六つ目が海の底の泥から。(日本の神話と世界の神話が面白いほどわかる! 青春出版社 28P参照)

 日本神話では、イザナミとイザナキが有名であるが、その前にもいろいろ神様が登場する。一番初めに、混沌の中からアメノミナカヌシが登場し、あっさり消える。次に・・・と造化三神の独り身の神が登場しては消える。アメノミナカヌシは、それ自体で完結しているのか、それから先の物語はない。

 何かウロボロス(蛇が自分のしっぽを食べている図で有名)のようで完全なものを象徴しているようだ。

 実際にはどんな始原があったのだろうか?みなさんも楽しんで考えてください!カトリックは三位一体の神で、神学書を昔読んだが、どうも不完全な人間が簡単に理解できるものではないようだ。ただ、自分とは何かを考える上でさけて通れず、ずっと時間を見つけて考えたい。

 歴史を振り返る 2/10

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