私も人生のある時期、感謝することを忘れたことがある。様々な要因があってそうなったのだろうが、倫理道徳的に考えるのではなく、こころの健康面から考えるといろいろな発見があった。
将棋を指すように、AならB、BならCと理路を追い、その中には感謝などなく、無味乾燥の世界というか、人の心を思いやる余裕がなかった。
そんな私を当時人はどう思ったろうか?きっと、「理屈は正論だが、ちょっとへんな人」。そんな感じではなかったか。このような状態の時は、自分の中の真の回答は見つけにくく、大きな判断を間違えることも。
さて、もう一週間くらい前になってしまったが、世界卓球の女子シングルスの決勝を夜中に観戦した。卓球はメンタルなスポーツと言われているが、本当にそうだと思った。ちょっとしたことで、試合の流れが急激に変わる。実力もあるが、それ以上に意識、無意識の世界での格闘がある。
テレビの解説者の言葉に、印象に残る言葉があった。
「居直って、相手を追い上げる。」そんな言葉である。通常であれば絶対絶命。最高度の緊張。傍目からはマイナス要因ばかりと思われるのだが、それが、気持ちひとつで,軽やかさや、格段の瞬発力を産むのだ。
この居直り。言葉を見直すと,こころの変化なのだろうか。私は感謝心が含まれているように思えてならない。良く心理学の中で、一杯のコップの水の話がでてくる。水が半分あるとして、もうこれしかないと嘆く視点もあるが、まだ半分も残っているという感謝の視点。そうした、視点の変化が居直り、感謝心、そして不思議な力と結びつく。
10回におよび、愛の領域を考えて来た。奥が深く、まだまだ判らないことだらけ。そんな印象をもったが、皆さまに読んでいただき、本当に感謝である。
愛の領域 10/10