2011-05-04 オラウータン |
優雅な、オラウータンの姿を上の画像をクリックし、スライドショウで見てくださいね!
オラウータンのスカイウォークについては、今まで見たことが無かったが、5月4日に初めて見ることができた。ちょうど、ワライカワセミの居る、恐らく多摩動物公園で一番高台の見晴らしの良いところから撮ることができた。3匹のオラウータンがかなり高いところのロープをつたって移動する。一匹は身体が小さいので子供のようだ。
初めてこのスカイウォークの立派な設備を見た時は、オラウータンが移動に使うとは考えても見なかった(音響装置かと考えたりも)。こんな高所を移動するのは、オラウータンしかできない。森の住民に感動。
昨日に引き続き、カールロジャースのパースナリティ理論( ロジャーズ全集 パースナリティ理論8 伊藤博訳 岩崎学術出版社 、生き甲斐の心理学 植村高雄著を参考)を味わってみよう。
8:全体的な知覚の場の一部は、次第に自己(the self)として分化されるようになる。
>オラウータンは森林に生息する。親にどのように教育されるのか知らないが、子供は親から空中での所作を学ぶのであろう。そして、人が自転車に始めは乗るのに苦労するものの、いったん覚えたら身体の一部のように身についていく。泳ぎを覚える、言葉を覚える・・・考えてみれば子供のころは新鮮な驚きであった。
9:環境との相互作用の結果として、とくに、他人との評価的な相互作用の結果として、自己の構造(the structure of self)が――、<わたくしは>もしくは<わたくしに(を)>の特質や関係についての知覚の、体制化された、流動的な、しかし首尾一貫している概念形成(conceptual-pattern)が、これらの諸概念と結びつけられている諸価値とともに――形成される。
>オラウータンは親から空中での所作を学んだりしつつ、自己を形成していく。優雅なオラウータンを見ていると、その文化というか、深さ(40億年の生命の歴史といった)を味わってしまう。人も基本は同じであろう。成育史の違いにより、簡単に行動が理解できたり、できなかったりするが、それも理路がある。
10:いろいろの経験に結びつけられている諸価値や、自己構造(the self-structure)の一部である諸価値は、ある場合には有機体によって直接的に経験される諸価値であり、ある場合には他人から投射され(introject)もしくは受けつがれるが、しかし、あたかも直接的に経験されたかのように歪められたかたちで知覚されるものである。
>親や師からの間接的影響は大きい。しかし、自分で育ったような錯覚に陥る。オラウータンはどうなのだろうか?
11:いろいろの経験が個人の生活において生起すると、それらの経験は、(a)なんらかの自己との関係へと象徴され、知覚され、体制化されるか、(b)自己構造との関係が全然知覚されないので無視されるか、(c)その経験が自己と矛盾するので、象徴化を拒否されるか、もしくは、歪曲された象徴化を与えられるか、のいずれかである。
>当日は、オラウータンの下には休日で沢山の観客が見上げていた。それにもかかわらず、オラウータンは優雅にスカイウォークする。観客はオラウータンにとって無視されるべき存在だったか、あるいは、スカイウォークをするには障害とならなかった。
12:有機体によって採択される行動のし方はほとんど、自己概念と首尾一貫としているようなし方である。
>オラウータンはオラウータンらしく。観客の子供達は何を学んだろうか。知らず知らず、パースナリティ理論を勉強したかもしれない(凄い)。
さて、蛇足ながら、自分の大震災の後のことを、以上のパースナリティ理論で考えてみよう。
一つは、原発に対する自分の反応である。一年前、原発の危険性などは、ちょっと気になりはしたが、命題11ではないが、殆ど無視していた。それが、マスコミに煽られたり、インターネットで情報を提供してもらったりで、随分変わってしまった。自分が経験していない、津波の恐ろしさや原発の恐ろしさも、あたかも自分の直接的な経験であるような錯覚に陥った時もあった。
そして、何故か動物園で動物を観察しつつ、パースナリティ理論を考えたりする。ヘンといえばへんだが、パースナリティ理論どうり。そして、自分の中に何か課題が生じ、今日もハーバーマスの本を買ったりする。
心理学の正統な理論(生き甲斐の心理学など)は、勉強して行くとそれだけで何かが見えるようになるのだと思います。いままで気づかなかった平安感との出会い。U先生に感謝です!
コミュニケーション 5/10
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