イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

きらめくさざ波・・・見えてくる世界!

2008-08-21 | 第八章「魂と聖霊」

 5年前に辞めた、サラリーマン時代。マーケティングや営業などの仕事をしていて、 全く知らなかった業界が2つあった。ひとつは食品業界、もうひとつは福祉の世界であった。

 当時は介護保険制度が始まり、これからは福祉が重要だという気運に満ちていた。今までと全く違った世界に行きたいと思ったこともあり、資格を取ったりした後、介護・福祉業界で働くようになった。将来はグループリビングのようなところを終の棲みかにして、世のため人のためにもなれればという思いもあった(これは今でも捨てていない)。

 そんな中で、見えてきた世界。うまく説明できないが、オリビア・ハッセイ主演のマザーテレサの映画の中で、駅の近くで死にかけている老人にマザーが遭遇し、祈る場面があるが、いつもその場面で目頭が熱くなる。恐らく、少しかもしれないが、仕事をした経験があるためだとも思う。

 当事者や利用者の方と接することで癒されること。そして、それをエネルギーとして明るく活動できるという循環があるように思う。その底には、きざかもしれないが愛を信じていることがあるかもしれない。

 さて、今年の夏は、緩やかに流れる川の水面にきらめくさざ波、あるいは筧の水を見たりして涼んだ。さざ波によって、見える世界が、見えなくなったり、見えなかった世界が見えだしたり・・・不思議な感じである。

 日常の生活。隣人に対する、自分の感情の流れをウオッチングしてみると、暗い感情(怒り、不安、嫉妬、・・・)から明るい感情(平安、友好的感情、・・・)まで様々である。さざ波どころか、怒濤のような日々もある。

 人の成熟とは何であろうか?生き甲斐の心理学では、「成熟した大人は、どんな感情に触れても、どんな厳しい現実に触れても、どんな厳しい状況に遭遇しても現実をありのままに一旦受容できる・・・」(生き甲斐の心理学 植村高雄著 91ページ)とある。

 日本神話でも、ギリシャ神話でも出てくる、厳しい状況を戦う神々。私たちの祖先達も、きっと成熟を目指して奮闘努力をしたように思う。

大変なことだと思うが、きらめく光は美しいのが救いである。

<昇華の人生3/4>

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海岸、とても曖昧なもの!

2008-08-20 | 第八章「魂と聖霊」

 先日は、甥や姪と父の実家の近くの海岸で、蟹を探し遊んだ。海岸にいると、潮の満ち欠けが判る。波は月と地球の醸し出す鼓動のようなものなのかもしれない。

 地図の上では、海岸線は満潮時を使っているそうである。実際は、海と陸の境である海岸は曖昧なのだろう。

 52歳で会社を辞めた時、エリクソンの「世話」の時期にある私は、「どうせこんなもんだろう」が多い、サラリーマン生活が嫌になっていた。停滞感が気になっていた。「生き甲斐をもってやっていこう」、小さくても実感がある・・そういう世界にどこか魅せられていた。

 そして実際にスタートをきったわけであるが、5年後の今、100%明るい感情の世界というより、曖昧な海岸線にいるようでである。陸でも海でもない曖昧さ。「どうせこんなもんだろう」の諦念と「生き甲斐をもってやっていこう」のロマンのせめぎ合いである。

 昔、福祉・介護の仕事に就くために、勉強をした時に学んだ一つの言葉がある。「寛解」(カンカイ)という言葉である。病気が完全に治癒するというのではなく、抑えられた状態という。

 想えば、波打ち際の海岸線の世界のようである。古事記の海幸彦、山幸彦の話ではないが、悪者を懲らす海をコントロールできる玉がこの世にある訳でもない。ただ、ひとつの宝がある、それをどう解釈するかである。どのような状況でも、解釈は自由である。

 写真は海岸にたどり着いた綺麗な緑の海藻。海岸には、思いがけないものも打ち上げられる。

<昇華の人生2/4>

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巨大な橋と私たちの尊厳!

2008-08-19 | 第八章「魂と聖霊」

 先日、鳴門の大塚国際美術館に行ったが、その時本州四国連絡橋の3つのルートのうち2つを車で通り、1つの一部を、遊歩道で渡りながら鳴門の渦を見た。

 宇宙からも確認できるとされる大建造物であり、遊歩道で実際に歩いてみると、その凄さが実感できる。車で渡ったり、電車で渡ったこともあるが、景色が綺麗だくらいで実感はなかったが、歩いて40-50メートルの高さの中、強風に吹かれながら橋を歩くと自然の恐ろしさ、工事の困難さが判って考え深い。

 さて私たちの存在のことも考えてみるとも、何千何万世代の中で、引き継がれた命を生きているわけであり、一人の祖先が欠けても、この世に生まれなかったことになる。自分もそうだが、周りの一人ひとりもそうである。

 ある意味で瀬戸の大橋より一人ひとりの尊厳は凄いのであるが、日常の中では高速道路を走っている車で感じるように、日常的に感じてしまう。それだけでなく、身体の調子や、成育史で決定された心の歪からか、不当に考えたり、行動したりしてしまう。愛そのものである魂の存在や尊厳を忘れてしまう。

 今年の、平和旬間は終戦から63年であったが、原爆や戦争を実際に体験された方のドキュメントをいくつかテレビで観ることができた。年を取り、人間が如何に紙一重で、正常で日常的な世界に住んでいられることが判ってくるだけ、体験者の言葉の重みが判るようでもある。

 ドキュメンタリーの体験者の方は、語り、祈り、平和に向けての行動をされたりしている。心の防衛機制では昇華ということになるのだと思うが、ここでは自分の昇華の問題を考えてみたい。

<昇華の人生 1/4>

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「仰げば尊し」で区切りをつけられないけれど!

2008-08-18 | 第八章「魂と聖霊」

 先日行った父の実家は、地元の県立高校から歩いて2分の場所にある。そんな場所の好さもあり、その高校に入った従兄達は、祖父母の実家を有効利用したようだった。

 今の私の住居も、某大学の近くにある。

 私も今まで、沢山引っ越しをしてきたが、駅前等便利な土地よりも、学校の近くのほうが何か落ち着く。

 考えてみれば、私は幼稚園から高校、予備校まで、徒歩で通った。その影響があるのかもしれない。

 学校といえば、同窓生と師である。そして学校は、大きな影響を与えてきている。57歳になり、師の訃報に接することも多くなってきた。寂しい。会うチャンスが意外になかった(つくらなかった)ことが悔やまれる。

 しかし、考えてみると、1年間とか特定の師と深く交流させて頂いた時期はあっても、学問・勉学の上で継続的に長く御付き合いすることは、大学までの人生ではなかった。

 私が40歳台後半になって、始めたユースフルライフ研究所での「生き甲斐の心理学」の勉強は、もっと長く勉強をされている先輩も多いが、既に8年となった。U先生をはじめ、ユースフルライフ研究所の方やNPOCULLの方からは多くのことを学び、そしてこれからも学ぶと思う。

 学校教育と違って、「生き甲斐の心理学」の社会教育は一生ものである。学校の卒業式のように、「仰げば尊しわが師の恩」と歌う機会もないが、感謝の気持ちでいっぱいである。エリクソンの「世話」の時代(35歳から60歳)で出会えたことは、最高の幸せである。

 写真は、父の実家から近くの風景。地元の高校の屋根が見える。 

<世話4/4>

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ある日突然!

2008-08-17 | 第八章「魂と聖霊」

 今年のお盆の休みは、父の実家への往復で内田樹氏の、「寝ながら学べる構造主義」や「私家版・ユダヤ文化論」、「街場の現代思想」を読んだ。久し振りの知的興奮を覚え、最近は近くの本屋さんや図書館で、内田樹氏の本を探したりした。

 特に、「寝ながら学べる構造主義」は、とても判り易く、生き甲斐の心理学を学ぶ私にとっても、とても役に立つ内容であった。ポスト構造主義の影響は、他の勉強をしながら、知らず知らず私の思考の中に入り込んでいたようでもある。

 内田樹氏のブログは一日、10,000アクセスを越え、図書館の本は全て貸し出し中、書店にも沢山ならんでいる。難しい哲学・思想の世界のことが、判り易く、身近に語られているのが人気なのかもしれない。個人的には多くの人が真面目に質の高い哲学的な話題に、興味を持っていることが嬉しい。

 さて、ある本との出会い。師との出会い。同志との出会い。人との出会い。様々な出会いを35歳以降57歳まで頂いてきた。

 ただ、それ以前の人生も含め、ほとんどの出会いは、後から考えると連続的であり、自分の変化は予想できる範囲であったように思う。例えば、内田樹氏の本との出会いも、今の私にとっては想定内の連続的な出来事のように感じる。

 1969年にヒットした、トワエ・モアの「ある日突然」は恋の物語であるが、ある日突然、劇的な出会いがあり、それ以降の人生が全く変わるということは、自分にはないだろうと思っていた。それが、「世話」の35歳から60歳のおじさんの年代になって起こったのである。

 その一つは、1999年の1月の出来事である。この出来事は、今までブログで書いてきたことでもあり内容については割愛させていただくが、そのカタストロフィ的な変化について、今日は述べてみたい。

 暗い感情があったかもしれないが、その出来事の中で、甘美な今まで味わったことのない、暖かい感情(統御感というのだろうか、幸福感というのだろうか)を味わった。プロセススケールが低から高に変わったようである。また、相対的に明るい感情が増えた。抑圧されていた罪責感のようなものが突然消えようだった。防衛機制が弱まったようだ。

 未来や過去に分散していた、混乱した思考が、不思議なほど、「今ここ」に焦点づけられたのが体感できた。

 これは、時間に関する感受性が変化したためかもしれない。過去から、未来に向けて平板に伸びている時間ではなく、別の時間を発見したみたいである。この感覚は不思議であるが、多くの宗教関係の本の中やミサなどの最中で感じられる。一方、いくら鋭い知性の持ち主でも、この感覚を持ち合わせていらっしゃらない方もいるのも事実だと思う。

 自分の生き甲斐の柱のようなものが、荒削りであるが立ち上がり、時とともに、思索を重ねていくうちに、より明確になっていくようであった。真善美により興味がわくようになった。

 私は幼児洗礼でカトリックの影響を受けて育った、日本では珍しい人間であるが、生き甲斐の柱は、カトリックに染まったようだ。

 さて、「それでどうした」と、読者の中から言われそうな気がする。別にそれは特別なことではないかもしれない。脳の生理的現象と考えるべき話かもしれない。しかし、私が変わったことは事実であり、私にとっては、人生最大の恵である。これも事実である。

 そして読者に期待するのは、ポスト構造主義の現代の中で、私のような人間がいることを、「ちょっと、変な経験したようだが、マリオともうまくやっていきたい。」と思ってくれればとても有難い。

<世話3/4>

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