イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

海岸、とても曖昧なもの!

2008-08-20 | 第八章「魂と聖霊」

 先日は、甥や姪と父の実家の近くの海岸で、蟹を探し遊んだ。海岸にいると、潮の満ち欠けが判る。波は月と地球の醸し出す鼓動のようなものなのかもしれない。

 地図の上では、海岸線は満潮時を使っているそうである。実際は、海と陸の境である海岸は曖昧なのだろう。

 52歳で会社を辞めた時、エリクソンの「世話」の時期にある私は、「どうせこんなもんだろう」が多い、サラリーマン生活が嫌になっていた。停滞感が気になっていた。「生き甲斐をもってやっていこう」、小さくても実感がある・・そういう世界にどこか魅せられていた。

 そして実際にスタートをきったわけであるが、5年後の今、100%明るい感情の世界というより、曖昧な海岸線にいるようでである。陸でも海でもない曖昧さ。「どうせこんなもんだろう」の諦念と「生き甲斐をもってやっていこう」のロマンのせめぎ合いである。

 昔、福祉・介護の仕事に就くために、勉強をした時に学んだ一つの言葉がある。「寛解」(カンカイ)という言葉である。病気が完全に治癒するというのではなく、抑えられた状態という。

 想えば、波打ち際の海岸線の世界のようである。古事記の海幸彦、山幸彦の話ではないが、悪者を懲らす海をコントロールできる玉がこの世にある訳でもない。ただ、ひとつの宝がある、それをどう解釈するかである。どのような状況でも、解釈は自由である。

 写真は海岸にたどり着いた綺麗な緑の海藻。海岸には、思いがけないものも打ち上げられる。

<昇華の人生2/4>

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