イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

巨大な橋と私たちの尊厳!

2008-08-19 | 第八章「魂と聖霊」

 先日、鳴門の大塚国際美術館に行ったが、その時本州四国連絡橋の3つのルートのうち2つを車で通り、1つの一部を、遊歩道で渡りながら鳴門の渦を見た。

 宇宙からも確認できるとされる大建造物であり、遊歩道で実際に歩いてみると、その凄さが実感できる。車で渡ったり、電車で渡ったこともあるが、景色が綺麗だくらいで実感はなかったが、歩いて40-50メートルの高さの中、強風に吹かれながら橋を歩くと自然の恐ろしさ、工事の困難さが判って考え深い。

 さて私たちの存在のことも考えてみるとも、何千何万世代の中で、引き継がれた命を生きているわけであり、一人の祖先が欠けても、この世に生まれなかったことになる。自分もそうだが、周りの一人ひとりもそうである。

 ある意味で瀬戸の大橋より一人ひとりの尊厳は凄いのであるが、日常の中では高速道路を走っている車で感じるように、日常的に感じてしまう。それだけでなく、身体の調子や、成育史で決定された心の歪からか、不当に考えたり、行動したりしてしまう。愛そのものである魂の存在や尊厳を忘れてしまう。

 今年の、平和旬間は終戦から63年であったが、原爆や戦争を実際に体験された方のドキュメントをいくつかテレビで観ることができた。年を取り、人間が如何に紙一重で、正常で日常的な世界に住んでいられることが判ってくるだけ、体験者の言葉の重みが判るようでもある。

 ドキュメンタリーの体験者の方は、語り、祈り、平和に向けての行動をされたりしている。心の防衛機制では昇華ということになるのだと思うが、ここでは自分の昇華の問題を考えてみたい。

<昇華の人生 1/4>

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