二泊三日の合宿で、生き甲斐の心理学を勉強してきた。今回は「日本人のアイデンティティ」を中心に勉強してきた。
生き甲斐の心理学のベースは、100年の歴史の日本でもポピューラーな臨床心理学なのだが、その理論はウイリア・ムジェームス、フロイト、ユング、エリクソン、ロジャース、…等欧米の学者の理論が中心をなしている。それで、日本人に対し本当にその理論が有効なのか?最近は、海外に昔に比べれば簡単に行ける。そして、様々な外国人と接する方も増え、日本人と外国人の違いを経験する人も多い。ましてや、心の問題は奥が深い。外国の理論を日本に適用するにあたり、日本人のアイデンティティを考えることはとても大事である。
今まで、このブログでも、恥の文化、穢れと禊、甘えの構造、などに触れたことがあるが、そういう文化は意外にも、自分の感情・行動・思考を支配しているところがある。
日本人のアイデンティティといえば、かつて1970年台の高度経済成長のころか、私の若かりし頃、さまざまな日本人論がブームになったことがある。当時の人たちは日本人論を理解しなければと、楽しんで読んだ記憶がある。
今は、どちらかというと、日本や世界は右肩上がりの神話は崩れてきていて1970年台とは大きく違うが。時代も、何か大きく変わる時で、再度、日本人のアイデンティティが見直され始めているように、私は思えてならない。
今日はこれから、自分の生育史の事例の中で、恥の文化をバネに生き抜いたこと。穢れと禊ゆえに生き抜けたこと。そんなことを、考えてみたい。先ほどまで、甘えの構造の日本に生まれて助かったなぁとしみじみ感じたこともあったので。まずは、自分のことから初めてみよう。
森羅万象 2/10