U先生の推薦図書で、なかなか読めなかった「愛と意志」(ロロ・メイ著 誠信書房)を読み始めている。1969年の本で随分昔の本ではあるが、なかなか新鮮なのである。
次の個所など、かなり衝撃的であった。アパティという、無関心や無感動の冷たさと「愛と意志」について語っている次のくだりは、マザーテレサ―の言葉より私には衝撃的だった。
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アパティがとりわけ重要なのは、愛と意志が密接な関係をもっているからである。憎しみは愛の対立物ではない。アパティが愛の対立物である。意志の対立物は優柔不断ではない。優柔不断は実際にはウィリアム・ジェームスの場合のように決断しようと努力している戦の姿を表しているが、意志の対立物は、やはり重大な事象に対してかかわり合いをもたず、離れていて、無関係でいることである。そこでは意志の問題は決して起こってこない。
・・・(愛と意志 ロロ・メイ著 小野泰博訳 誠信書房)
簡単に、少し乱暴にいうと、「愛と無関心」、「意志と無関心」の話題である。
自分の成育史を考えると、6-7歳から青年期にかけて、このアパティ、無関心が心を占めていたように思えるのだ。ただ、これは個人的な問題もあるが、社会の流れの問題もあるようで、同世代でも学生時代など、「無関心」が話題になり、今でも選挙に対する「無関心」が話題になったりする。
自分の中のアパティ、無関心への傾向と渇望(ロジャースの4番目の命題)。どんなものなんでしょうかね?
性格を考える 2/10
(多摩動物公園のカンガルー、カンガルーらしくないカンガルーを観るの、楽しみです。)