イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

無力感から考える!

2009-10-05 | 第十章「今ここでの恩寵」

 朝から晩まで、いろいろなことが起こり、いろいろな情報が耳に入る。いちいち腹を立てていたらキリがないが、余りに理不尽なこと、愛する人が困難に陥っている様子を見たりすれば、怒りがむらむらと湧くことがある。

 そんな怒りの中でも、現実の壁の中で、他人の話を聴いたり、自分の限られたリソースを考えたりし、振りかざそうとした右腕を下ろし、いつの間にか日常の中に埋没していくことがあった。そして、屈折した自己否定{劣等感・・・)がどこかで芽生え始める。

 特に、現代は複雑なシステムの世の中であり、戦うべき相手も見えにくく、判りにくい。

 諦めることが、ひとつのスマートな対応のようでもある。

 但し、理性はなんとなく納得しても、感情は収まらない。

 本来、人はスマートではない(一般化してしまったが、実は自分がそうだからである)。泥臭い存在だ。無力感を感じた時、どうしたら良いか、最近考える。

 自分の生育史を振り返ると、無力感を味わった時代は、高校生ごろをピークにしている気がする。学園紛争とそのあとの屈辱の三無主義。そんな時代の影響もあった。ただ、無力感を放置していると、何かが蝕まれ、自分の生き甲斐が見えにくくなってくる。

 無力感を感じた時。まず、戦う(状況を変えること)ことを再検討すべきだ。但し、戦う相手の顔をもう一度見てみる価値はある(本来の敵を抑圧し、その感情を他に向けている自分にハッとしたことも。)。

 魂の声というか、深いところでも自分の本音と向き合う。戦うべきかどうかの回答は自分の中にあると思う。

(感情から考える 1/8)

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