幼いころ、よく柱時計を見つめていたことを記憶している。一時間ごとに、時の数だけ柱時計が鳴り、30分を示す時は一回鳴った。
じっと短針と長針を、今鳴るかと見つめていた。長針が12時の位置を指し、時計が生き物のように鳴る様は、感動的な一瞬であった。
父にしかられ、30分正座をさせられたときもあったが、その時も柱時計を見つめていた。時間がゆっくりと滞り、30分が長く感じた。
当時(約50年前)の家の中は、今と比べるとテレビもパソコンも、ましてゲーム機も無く殺風景だった。そんなこともあり柱時計の印象が強かったのだと思う。
大人になると、「今ここ」より、明日のことや、過去の出来事のことを考えることがずっと多くなった。会社から家に戻っても、仕事のことが頭を離れず、妻から呆れられた。
生き甲斐の心理学を学び、過去や未来も大事だが、今ここが大変重要であることを学んだ。「今ここ」はリアルな感情の表出する場であり、その背景の自分の理想と現実認識の、思考や行動のリアルな場である。
リアルな感情を体感するとき、自分の真実を発見することもある。感情は倫理道徳で理解するものではなく、光や音に反応するセンサーのように考え、ちょっと距離を置くのが良いようだ。怒り、ウツ、錯乱、不安・・・いろいろな感情があるが、それを感じてその意味を倫理道徳を離れ、思索することは大変重要である。
幼い頃、純粋に今ここを生きていた。歳をとった今、幼い頃に戻れるわけではないが、沸き起こる感情を意識化し、自分の真実を見つめる作業は、よりよく生きるために重要な気がする。
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