無条件という言葉を聴いただけで、思わずうっとりとするような気分になるのは、私だけだろうか。それだけ無条件という言葉はこの世では目立たない。
生まれてから今まで、日々刻々様々な条件のしがらみの中で生活しているのが、私たちであるようだ。
幸せや生き甲斐も、様々な条件と関係しているように言う人がいる。老後の生活の必要な年金・資金の額。これだけあれば余裕のある生活ができる、など。ライフプラニングなどの講座に出ると、経済的な条件をアドバイスする人。人脈は大切なので、今からでも作りましょう。仕事のスキルやキャリア。とどめは趣味までが幸せの条件としてリスト化される。
何か死ぬまで条件闘争をしているような感覚である。しかし、本当に頭で考えた条件が、幸せや生き甲斐と直結するだろうか。
先日、ふと街の中で、子供を連れて乳母車をおしているお母さんを観た。子供を育てることは本当に凄い。本質は無償の行為なのだろう。無条件のなにか、無条件・無償のなにかは目立たないが、良く観ると意外に身近にあるようだ。ただ、目立たない。
自分自身の生育史での愛の原型を考えても、人からの無条件の好意・愛が大切だと気付く。
心理療法やカウンセリングでは傾聴を勉強する。中でもカールロジャーズの6条件は有名だ。この中に無条件のPositive Regard(好意、肯定的な配慮と関心)がカウンセラーには必要だとある。
無条件というのは大切な神秘の領域に繋がるとも思う。
<純粋と一致3/4>
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