昨晩は満月。八王子は夕方から夜になると雨が降り、あ~あと想っていたら、そのうちに晴れて来た。写真は午後11時ごろの月。ちょうど満月であった。
今年は、私の生き甲斐の心理学勉強会では月をとりあげで楽しんでいるが、月を意識すると人生も楽しくなる(特に日本人にとっては)。そして、私の場合は旅行に行くときは、必ず月の暦を調べる。今年は、東北の遠野に行った時が満月で、仲間と夜更けに綺麗な月を観たときは感動したものである。
さて、7-8世紀の日本の原型を調べている私であるが、当時の政権にとって月というのは不思議な位置づけだったようだ。古事記や日本書紀の日本神話には月は月読命で一応登場するが、とてもそっけない。富士山もそうだが日本人に愛されている月について殆ど書かれていない。しかし、万葉集を見ると全然ちがう。月に関する名歌がめじろ押しである。私の好きな歌を2-3挙げてみよう。
まず、持統天皇: 北山に たなびく雲の 青雲の 星離れ行き 月を離れて (万葉集1-161)
天武天皇が崩御された後の悲しい歌であるが、持統天皇が月に喩えられているようで不思議だ。北山にたなびくのは北極を目指す天武天皇を暗示しているのだろう。
次に、柿本人麻呂: 天の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ (万葉集7-1068)
昨晩の月とは違い三日月だと思うが、1300年以上前の人が作ったとは思えない新鮮な歌だ。
ちょっと時代を遡るが、斉明天皇の時代で征西の戦いにつながる歌を額田王が書いている。
熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな (万葉集1-8)
月に、ちょっとあいさつをするような、そしてその瞬間に何かが立ち上がるような歌。今も昔もあまり変わらない詩の真実があるようだ。
ひびきあう旅① 9/10