U先生のブログに次の一節があった。
「愛し、愛される関係を意識し知覚する事は、その人を豊かにします。男女、神仏との関係、友情、いづれも同じです。ところが<自己愛パースナリテイ障害とは何か>を意識し知覚していない場合は自分と相手を不幸にしていきます。」
* <自己愛パースナリテイ障害>という専門用語が出てくるが、ギリシャ神話で有名なナルシスとエコーの悲劇の話をご存知の方は、あのような事例かな・・・と思い浮かべれればもうOKである。
この一節は、2007年5月1日の記事だが、当時は読んでも何か理解できなかったようだ。しかし、今読むとよくわかる。不思議な感じである。ひょっとすると、愛のお勉強が少しは進んだのかもしれない。
テキストの「生き甲斐の心理学」は、第一章にいきなり<自己愛パースナリテイ障害>のお話がでてくる。精神科のお医者様が愛用するDSMの引用も、テキストの中ではこの部分だけ登場し難解。何故U先生が書かれたのか、その理由もよく判っていなかった。
愛のお勉強には、大きく二つあるように思う。一つは哲学や宗教の理論を深めることだ。
もう一つは、自分の生育史の中から愛の原型を思い出し、自分にとって実感できる愛とは何かと思索することだと思う。臨床心理学は百年の歴史しかないかもしれないが(実際はその前の長い宗教の歴史もあるのだろうが)、理論をきちっと踏まえると効果が違うようだ。普通の人(かつての私も)は、愛の原型を意識することは少ない。ましてや、愛の原型を吟味し、あれこれ思索することなどないだろう。
愛の原型とは、かつて自分が実感した愛である。愛の孤独の寂しい体験。反対の愛の体験。光と影の中で、何となくこれかなと思い出したりする。違う相手や違う時と場所・・・のんびり思い出すといろいろ出てくるようだ。そして、それに理論の光を与えてみるとハッとすることも。私の場合は、U先生の主宰する勉強会で仲間と共にのんびり過ごす時も貴重だった。
自分の愛の原型探しの旅も楽しいが、なれてくると他者の愛の原型も恐れ多いかもしれないが、ふと考えたりすることも。そうすると、なんて人は美しいのだろうかと神秘を覗いたような気分になることも。
それぞれの愛のイメージ 2/10