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イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

愛の原型が台風を引き起こす?!(人それぞれの愛のイメージ 7/10)

2013-07-11 | 第四章「愛とゆるし」

 今朝、久しぶりにM・スコット・ペックの「愛の心理療法」をパラパラとめくった。そしたら、以前に自分が黄色のマーカで塗った一節が眼に飛び込んできた。

 「心の健康とは、あらゆる犠牲を払っても現実に忠実にあろうとする、生きた過程だ。」(45P)

 変に自虐的になったり、逆に変に誇大感で暴れまわったり。まあ、私もそういう余り誇れない経験も積んできたが、生き甲斐の心理学を学ぶ中で、等身大のありのままの自分の心地よさを識り始めたようだ。

 もちろん、生き甲斐の心理学を知らない人にも、その感覚は推し量れるとも思う。心が疲れているときに、自分のありのままを意識したらどうだろうか。ちょっと難しい言い方だったが、それは、神仏に祈るときの構えに近いと想う。神仏に身を委ねているときは、自分の誇大感や自虐感は消え、意外にも等身大になっていく自分を感じるがどうだろうか?

 さて、誇大感について、もう少し考えてみよう。自己愛パースナリティ障害の特徴の一つに次のような記述がある。「自己の重要性、ユニークさに関する誇大感」。こうした誇大感の中にいるとどうだろうか、他人が小さく観え他人を不幸にしがちなようだ。自虐感が自分を不幸にするように、誇大感は他人を不幸にするところがある。

 極端な場合は、ギリシャ神話のナルシスによって声だけにされてしまった美しいニンフ・エコーに象徴される。

 誇大感のスイッチというものを私は時々考える。そのスイッチが入ると(それには、それなりの事情があり、決して否定するわけではないが)、他者否定的になってしまう。そのスイッチは、自分の幼い頃の心地よい愛の原型と関連しているようだ。愛の原型は、本人にとっては心地よいが、一面で強いネガティブなものを引き出すこともあるようだ。

 ちょうど、東京は猛暑日をどんどん更新しているが、この猛暑の裏には台風7号の存在があって、台風と太平洋高気圧が互に関係強化しあって発達させるように。

 私の場合、愛の原型をいくつか思い出していると、その中に、幼いころに両親に褒められた経験があった。3歳の時に縁側で両親と一緒に積み木遊びをしていた体験だ。そして、そのとき味わった幸福感。そして、その愛の原型缶詰?は100%自分の実感で作られたのではないのに(親の価値観が投影されている)、あたかも100%自分のもののようになり、殆ど性格となっていく。それは、今の時点でさえ、何かの拍子に無意識に缶詰が開けられると3歳のように反応してしまうところも。

 愛の原型は決して一つとは限らず、また変化するものだとも思うが、その中には変な誇大感を醸し出すような愛の缶詰もあるようだ。愛とは何か?これは、生涯をかけての自分自身への問いであるが、それを考えることにより自分の病的な傾向に歯止めをする生きた過程でもある。

 人それぞれの愛のイメージ 7/10

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