愛という言葉は巷に溢れている。しかし、判ったようで判らない言葉で、その意味するものは人によってかなり違うようである。謎の言葉、愛。
愛について、「生き甲斐の心理学」を学ぶようになってからも、随分考えてきた。その中でU先生に勧められて読んだ、スコット・ペック著「愛と心理療法」(創元社)は何回も読み直しても価値がある本だった。
昨日もふと読み返すと、愛と感情の話が出てきた。愛の感情があっても行動が破壊的な人もいる。反対に、嫌いという感情があっても愛情深く建設的に振舞う人もいる。そんな話であった。
私もかつてそうであったが、ai=愛の感情+αと考える人が多いのではないかと思う。確かに、それも一利あるが、愛の感情を持っていて破壊的な行動をする人を愛の人と誰がいうのであろうか。愛の感情なしで愛情深く建設的に振舞う人を何と呼ぶのか?
ケアの仕事をするときなど、この愛の解釈はとても大切になる。「愛は感情でない」。こう解釈することで、自分の中の混乱を随分静めることができた。「夫婦喧嘩は犬をも喰わない」ということわざがあるが、愛情深い夫婦間の感情の動きの熾烈さを物語っていて楽しい。感情の動きが熾烈でも、行動がまともであれば愛は成り立つということを言外に言っているようだ。
さて、難しい抽象的なことを考えるだけでは実際の生活で息づくことはない。私は単純に「嫌いな人が好きになる」、「好きな人が幸せになる」・・・そんな活動・行動を心がけるようにしているが、生活に潤いを与えてくれるようだ。
それが、「愛は感情でない」と考えると観えてきたものだろうか。
愛のトライアングル 1/10