大学生になると、工学部なので結構勉強も忙しかったが、2年生になってからドイツ文化研究会に入り、文科系の方とも随分知り合いになった。また、従兄弟との関係から今でも関係がある、創造工学の市川亀久弥先生の著作に親しむようになった。
1972年は浅間山荘事件もあった(卒業したH高校の私の上級生も関与していて、ちょっと複雑な心境にも)。時代が変わろうとしていたようだ。時代はじょじょにバブルの方向に。
そんな時代の変化点で、学科の選考があり管理工学科に進学した。創造工学に興味をもったのが一番であった。それから、理工系なのに、東洋思想やキリスト教も当時の最大の関心。何のために生きているのか。浮世ばなれしたことを考えていた。ヘッセやカフカの小説を読んだり、心理学も訳の分からない中でフロイトや夜と霧のフランクルも読んだ。
そして、大学3年の秋。ドイツ文化研究会の友達や同じ研究室の何人かを誘い文集(小説)を作った。工学部の方が多く、しかも皆はじめての処女小説集。そのために、私も1-2箇月かけて小説を書いたのだ。
私が書いた小説(短編小説)は今読むと恥ずかしくなるようなものであるが、「生き甲斐の心理学」でいうと、防衛機制の昇華なのかなと今思う。 当時の時代背景や、成育史のもやもやを、それなりに言語化したようだ。それにより不思議に安定を得たようだ。その後、何か踏ん切りがつき、時代の流れに乗っていったようだ。
昇華というこことの防衛機制は不思議である。他の防衛機制と比べると、プロセススケールが結構高いようだ。
自分の心の中のうずき。それを言語化したり視覚化したりする。特に若いときのそれは、生涯を貫くテーマと関係するので、後から読むと成育史の記念になる。生涯一回くらいは小説を書きましょう。読者は一人でも、長年にわたって読んでくれる自分がいたりして。
忠誠心 4/10