もっとも古い言語の跡を残しているのは、舌打ち言語という説がある。以前BBCのドキュメンタリー番組で、そのサン族が狩猟をしている様子が紹介されていた。舌打ち言語は、自然界の音(風の音・・・)に近い子音中心の言語のようだ。そして、その言語で話すと、動物はヒトが居るとは認識できず警戒しないらしい。
ヒトが例えばライオンをはじめ、獰猛であったり、俊足の動物を凌ぎ、君臨できたのは一つの理由があるらしい。それは、一度狙いを定めた動物を何時間も、時には何日にもわたって追い詰める能力だそうだ。そのために、ヒトには体中に汗腺があり(みじかな動物である、犬や猫を見ても、汗腺が体中にないことが判る。)、長時間走ったりできるそうである。
継続する技能。
それは、身体的にあるいは成育史的に、ヒトの特長的な技能だと思う。
そして、こころを込めた継続的行動は、素晴らしい成果を表す。「はやぶさ」の成功もそうである。あるいは、私は娘の一人が芸術の仕事をしていることもあり、この10年くらい展覧会等に良くいくのだが、芸術家も年をとってから真価を発揮する方も多い。シャガールや東山魁夷などの晩年の作品は素晴らしい。
そして、それは、何も特別な人だけではないようだ。誰でも、継続する中で成果を上げることができる。
私は、幼いころから、気分散漫で、すぐに飽きるほうであったが、それでも何となく継続する技能を身に付けてきたようだ。そして、継続する中で見えてくる素晴らしい世界の存在も最近感じている。8年前に会社をやめた時に、グループリビングを目指して福祉・介護の勉強を始めた。実際の仕事をしたりしたが、4年前に職業としての福祉・介護は辞めた。ただ、ボランティアとして仲間と活動をしている。同じようなことをしていても、時間とともに何か深まるものである。
生き甲斐の心理学の研究や普及の活動も同じである。継続することで、何かが変わる。
世の中には、欧米風のチェックリストやシステム的な機能主義が擡頭し、簡単にある機能を買うことができる・・・かのように考える人が増えた。その風潮の中で、人が継続して身につける何かの価値を、ぞんざいにする人が増えたようである。人は継続することで、変わっていくものであるのだ。そして、それはヒトたるものの、生物学的にも神秘的な存在理由なのかもしれない。
技能 6/10