昭和30年代の古き良き時代を取り上げる映画は、何かじんとくる。「ALWAYS 三丁目の夕日」、「東京タワー」そして最近の、「コクリコ坂から」。
これらの映画を見ると本当に懐かしいと感じることが多い。
ただ、自分の五感と体感からすると、蚊帳をつったり外したりの楽しみ、やたらと重い布団。雨戸や天井の節穴(光が漏れたりして)。そういう感覚まで実感できたらもっと良いが、贅沢は言えない(言っているが)。
さて、自分にとって、昭和30年代が何故懐かしく、宝物の様なのだろう。今日は、心理学の知識も参考に考えてみている。 昭和30年代(私が4歳から14歳)は、父の権威は大変なものだった(なお、これからの話は一般の話ではなく自分の話であるので、ご了承願いたい)。いたずらをしたり・・・そんなことで、母に叱られる。それでも、母に不平をいっていたりすると、殺し文句「お父さんに、言いつけます。」が出たものだ。
母と口論をしているときに、父が足音も高く帰ってきたときの緊張(恐怖の原型かもしれない)。 「お母さんを困らせるな!!」、そんな風に一喝される。叱り方も含め、今から考えると父は男性性(アニムス)を体現していたようだ。蛇足ながら、隣には祖父母が住んでいて、ユング風に言うと、祖父は老賢人、祖母がグレートマザー。私は、なにかトリックスターだった。
それは兎に角、今から考えると、当時の人は「〜らしい」人であった。父は父らしく。先生は先生らしく、お医者はお医者さんらしく。炭屋さんは炭屋さんらしく。魚屋さんは魚屋さんらしく。 逆にいうと、今の時代は「〜らしい」人が激減する時代かもしれない。すべて、バラバラに分けられ、お金で計られ、単純な機能で分けられ交換され・・・合理的なようで、でも何かへん。
特にこころの問題を考えると、少年少女時代に、健全な女性性、男性性に出会う意義が大きいと思う。
受容の不思議 9/10