投石日記

日野樹男
つながれて機械をめぐる血の流れ生は死の影死は生の影

2013年01月06日(日)

2013年01月06日 | 記錄

◎一昨年の11月に引越をした。自分の意思で、といふよりは、住んでゐた建物が老朽化で取り壞しになるため「仕方なく」。當方は獨り暮らしの病人で今さら自分であれこれ手配して引越作業をするやうな元氣はない。何から何まですべて管理會社のお膳立てに乘つかり近所の同じやうな古いアパートに移つただけの話。それでも他人に自分の生活に手を突つ込まれるのを極度に嫌ふ私の性格があり、もちろん步いて5分も掛からない近所だし、狹い部屋で家具らしい家具もない簡素な生活だからといふ事情を前提としてのことながら、結局荷物の大半は自分の手で運んでしまつた。身體障碍の透析患者がこんなどうでもいいことで頑張つたりしていいのだらうかと自分で心配しながらも、その「重勞働」に耐へて仕事を終へてみると、やはり引越業者などの手に觸れずに身の周りの秩序を守り通せた充實感は最高で氣分も爽快。
◎しかももう長いこと御無沙汰だつた「力仕事」が結果として良い方に影響したのか、まるで腎臟が復活したかのやうに尿量が加して透析の除水量が極端に減つた。透析前の血液檢査での老廢物の數値は變化ないので單純に水分の排出機能だけの問題だつたが、それでも除水ゼロが續いたりして透析後の歸路は實に輕快だつた。人間といふものは、などと一般論で語ると眞面目に生きてゐる世間の人たちに惡いので飽くまでも私のことに限定する。慢性腎不全から人工透析へと内臓が一氣に壞れてしまつたことを受けて、あれも止めようこれももう諦めるとまるで冬眠のやうな質素な生活に身を縮めてゐたのが、意味も分からず何やら快適な日日を實感するやうになってまた惡い習慣が元に戾つた。人工透析が必要な體であることに變はりはないので出來ないことだらけではあるのだが、そんな中で極端に減らしてゐた酒量がえていくのが自分では止められなくなつた。引越を機に加入したネットスーパーのお陰でそれまで重くて買へなかつた大容量の酒も容易に揃へることが出來、それもあつて毎日の夕食には必ず酒が付くことになつてしまつたのだ。
◎といふことで、まあ引越1周年を前にした段階で急速に除水量がえ出して、妙に寒い冬に這入つて完全に引越前の體調に逆戾りしたところで、この「酒浸り」の毎日が怖くなつてきた次第。今年は元日が透析なしなので少しだけ正月氣分を味はつて、それを切つ掛けに以後はしばらく斷酒をしようなどと考へてゐたのだが、殘念ながら禁酒どころか減酒も出來てゐない。透析毎にえていく除水量のグラフを見ながら、引越以後の1年數箇月の亂れた生活に反省しきり。ただし節制に節制を重ねて面白くもない日日を暮らしてゐたころに比べて、この緩み切つた1年間は人間らしくてよかったと思ふ氣持も一應はある。このブログもいい加減の極みでデタラメ放題ではあつたが、こちらは俳句や短歌がほとんど作れなくなつたといふ事情もあつた。「頑張つて」どうなるものでもないのだが、體調が透析患者らしく戾つてしまつて今後はこれ以外に愉しみもなくなるので、やはりもう一度改めて頑張つてみようかとも思ふ。
◎最近は透析時に歳時記や歌集だけではなく電子辭書まで持ち込んで參考にしながらの作品作りなのだが、今年最初の透析の1月2日に面白いことがあつた。2年ほど前に買ひ替へた機種には紙なら重くて持ち上げられない量の辭書が這入つてゐて、おまけに歳時記まで3種類も付いてゐる。普段は紙の角川文庫版の當季のものを使つてゐるのだが、何度も讀んでゐるせゐかもう最近は全く刺戟を感じない。そこで氣分轉換に電子辭書の方に移つて、それも無季の作品などを眺めてゐたら何と若いころの自分の俳句に出會つてしまつたのだ。今はピノキヲをもぢつた筆名を利用してゐるが、10代半ばから20代始めのころまでにも俳句を作つてゐて當時は別の俳號を使つてゐた。そんなほとんど子供のころの俳句がなぜ何とか協會の歳時記に載つてゐるのか事情は不明。何かの間違ひで紛れ込んだのだらうと思ふしかないが、それでも何の面白いこともない最近の生活では正直ちよつと嬉しかつた。子供のころは俳句や短歌の投稿魔だつたので比較的早くに活字になつた經驗はあるものの、一句だけとはいへ電子辭書で自分の作品が讀めるのはまた別の感覺だ。新年最初の透析日に出會つたといふめでたい偶然もあるので、何とかこれを切つ掛けにもう一度俳句や短歌に集中できないものかと願つてゐる。昔の名前は二度と使ふつもりもないし、歳時記にもぐり込んでゐたその一句のやうな種類の俳句をまた作りたいとも思はないのだが。