投石日記

日野樹男
つながれて機械をめぐる血の流れ生は死の影死は生の影

2013年01月18日(金)

2013年01月18日 | 記錄

◎私にとつては初めての體驗だつたが、今日の透析中に機械が故障した。開始前の準備中から私のベッドの透析機の調子がをかしかつたらしい。正直なところ機械類のことはよく分からない。それにこの機械の働きのお陰で私が生きてゐられるわけで、その單純明快な事實を理由に私自身は透析機の不調などといふことは全く想定してゐなかつた。スウィッチを入れさへすれば無條件で確實に動き續けて私の血を蘇らせてくれる奇蹟的な魔法の裝置のやうに思ひ込んでゐたのだ。もちろん實際にはそんなはずはなく、やはり普通の機械同樣に故障することもあるといふことで、私のやうな經質な人間にはやや怖い話。
◎透析前の調整でとりあへず機械が使へるやうになつて、いつもどほりに透析開始。朝の早い時間帶は送迎車で順次到著した患者が次次に透析室に這入つてきて騷がしい。老人患者の多くには愉しみとして看護師相手の世間話の習慣があるので、昔からさういふいつも同じやうな内容が繰り返される世間話が嫌ひだつた私は、彼らの穿刺が濟んで室内が靜まるまでひと眠りすることにしてゐる。透析日の前の夜はよく眠れないため實際にはそのまま1時間程度は寢てゐることも多い。今日は30分ほどで赤ランプの警報で起こされ、結局機械の部品交換が必要だといふことで私は空きベッドに移動して透析し直すことになつた。終了時間はベッドの移動に關はらず同じにしてもらつたものの、ベッドは私の愛用の椅子式ではなく普通のもの。以前は私もこれで透析してゐたのだが、本を讀むために上半身を立てて坐ると腰が痛く、さらに首筋が異常なほどに凝つてしまふ。一昨年の引越時の荷物運びでひどく腰を痛めて、その後肩や首筋にまで結構長い間いろいろ微妙に影響があり、それが1年ほど經つてやつと完治したところ。不自然な姿勢で改めて腰を刺戟したくなかつたので今日は最後まで眠ることに決めて、俳句や短歌作りはあつさり休みにした。今年は心を入れ替へて創作に勵まうと思つてゐたところなのだが、透析中の作業にはやはり障碍が多いものなのだ。
◎もつとも起き上がらずにになつてゐるだけでもこのベッドは少なくとも私にとつて問題が多い。私の寢方がをかしいのかそもそも體型が異常なのか。いやそんなことより以前に透析のために管を2本差し込んだ腕とその管とが邪魔で寢返りも打てない狀態にあり、體を動かさずにただジッとしてゐるのが辛いのだ。いつもの椅子式なら3箇所に分かれた部分を上下に自由に動かしてその時その時の理想の姿勢に保てるのだが、今日の臨時のベッドではさういふ微妙な調整が出來ない。透析が終はるころにはくたくたに疲れ果て、しかももう長い間本格的には起こつてゐなかつた強烈なこむら返りに襲はれた。それにベッドの使ひ勝手の問題だけではなく室内でのその位置關係でも困惑を極めた。いつもの場所は窓際で、冬場は來る看護師すべてが寒い寒いと言葉で脅かすのだが、私としては寒さよりその方向に他の患者がゐないといふ安心感の方がよほど嬉しい。それ以外の方向にはベッドがあつて世間話の好きなよく喋る患者がゐるものの、窓があるお陰でやや救はれてゐる。今日はその救ひが全くなく、しかも喋り聲だけでなく凄まじいいびきも續いてそれにも參つてしまつた。私以外の透析患者がどれほど辛抱強い人たちなのか、この歳まで我儘放題に生きて來た私としてはただただ驚くばかり。
◎今日の機械の故障といふ事件を受けて、私の透析機械に対する絶對的な信がやや揺らいだ。これまでも透析中に赤ランプが點滅して緊張することはよくあつたが、それは機械の不調ではなく穿刺部分に異常があるか、あるいは私自身が餘計な動きをしてしまつたのが原因。何となく機械に見張られ機械に叱られてゐるやうな感じだつた。これからはこちらでも機械を見張つてゐなければいけない。などともちろん患者にはそんなことはできないしする必要もないが、氣持の上では不安の種がひとつえたことにはなる。
◎自分の腎臟が壞れてしまつてその機能を透析機械で代替しなければ生きていけないと知つたとき私が何を考へたのか。いろいろあつたとは思ふが實をいふと細かいことはもうはつきりとは覺えてゐない。私は記憶力が劣弱で、しかも自分に都合よく記憶を改變してしまふ癖がある。さういふ加工された話なら一應頭の中に別枠で殘してあり、それによれば私は自分がサイボーグにでもなつた氣分だつたらしい。子供のころに好きだつた漫畫の「サイボーグ009」を思ひ出してゐたのだが、殘念なことに人工腎臟があまりにも大き過ぎて持ち步くことが出來ず、したがつて空を飛んだり瞬間移動は不可能。それどころかこちらから人工腎臟の元に赴かねばならないせゐで、週の内3日がほとんど人生から消えてしまふことになつた。それを思ふと壞れても部品をチョイと交換するだけで元通り働ける機械といふのは何と便利な存在なのだらうか。さう考へた途端に、いやいや待てよといつもの同じ結論に戾つてしまふ。
◎さうなのだ、人間にも交換できる部品があつた。特に腎臟は使へたかもしれないのがたくさん火葬場で燃やされてゐる。臟器移植については、個人的には痛いのだけは我慢できないものの、その問題さへなければ死に臨んで使へるものがあるならすべて提供する。ただしまだしばらくは生きてゐるつもりだし、藥漬けの透析患者だから實際にはほとんど役に立たないだらうと逃げ道を用意した上での話。逆に受け入れ側としては、普段の生活でさへ身邊に他人の手が這入るだけで逆上してしまふほどの異常人だから全く無理な方法で、その點ではじたばたせずに大人しく死んでいくつもりでゐる。とはいへ自分が透析患者となつて初めて目の當たりにしたこの現實には、人によつてはもつと穩やかな解決方法があるはずだといふ気持はどうしても捨てられない。ところが日本人は宗的理由とやらでそれを拒む。火葬場では毎日油を掛けて腎臟を燃やしてゐるのだが、それが日本人の宗らしい。開祖の釋迦は好きだが、しかし私は佛が嫌ひだ。だから馬鹿らしくて葬式にも行かないし、名前を彫り付けて御大層に竝んでゐる墓石などを見ても笑ひたくなるだけ。日本人は本當に死後の世界などを信じてゐるのか。もちろん人それぞれであり、何よりもこの問題は一般論として語つてしまつてはいけないものなのだらう。それにしても宗といふのはつくづく下らない、さう思ふ。