小南氏は「祖霊が鳥の形を取るとする伝承は世界の各地に見られるものであって、人類共通の祖霊についての基礎的な観念」とします。中国では神仙が鳥に姿を変えたという伝説があり、これを宗教的観点から、仙人という存在は「死を経過せずして祖霊になった人々であり、しかも祖霊になりながらもその個性を失うことのない霊魂」と推定します。そして、現実世界と隔絶して存在する神仙世界は、元来は死後の霊魂が集う祖霊たちの世界に起源があるとしています。つまり、死者の魂は壺を経過して祖霊たちの世界に行くという概念(信仰)が存在したことが想定されるということです。このことを示唆する遺物を中国における古代の墓葬にたくさん見つけることができます。
祖霊が鳥の形を取るという話については日本においても、奈良県の纒向遺跡や大阪府の池上曽根遺跡では鶏形木製品が、奈良県の唐古・鍵遺跡や清水風遺跡、鳥取県の稲吉角田遺跡では鳥装したシャーマンとみられる人物が描かれた絵画土器が見つかっています。また、唐古・鍵遺跡では楼閣の屋根にとまる鳥が描かれた土器が出ており、佐賀県の吉野ヶ里遺跡ではこれを模したように環濠入口にあたる門の上や復元された建物の上に鳥形の木器が設置されています。通常、これらは穀霊信仰と結び付けて考えられています。
話を戻します。古代中国の墓葬における壺の役割を示唆する例を以下に4つ挙げてみます。特に②以降は実際の壺が葬送儀礼の中で重要な働きをもったことを示唆する例となります。
①馬王堆前漢墓から出土した帛画(前漢時代、湖南省長沙市)
帛画とは絹布に描かれた絵画のことで、馬王堆墓の帛画には死者が壺の口を通って地上界から天上世界に上ることを思わせる様子が描かれています。
②戦国時代から前漢時代にかけて、広東を中心とする地域の墓
墓壙の真ん中あたりの底にさらに深く掘り込んで穴を作り、その中に大きな陶瓮を埋め込んだ墓がいくつも見られます。殷の大墓などに見られる「腰壙」の伝統を留めたものと考えられます。腰壙にはしばしば犬が入れられますが、中国において犬は死者の魂を彼岸の世界に案内すると考えられました。
③三国時代から西晋時代にかけて、長江下流域の墓
神亭壺(しんていこ)や魂瓶(こんべい)と呼ばれる特殊な壺を納めている墓があります。壺の上部には死後の世界を表したものと考えられる複雑な建物、鳥や動物、人間などが付加されています。音楽を演奏する人や雑技をする人などが見られることから、死後の世界が楽園と考えられたようです。一方の下部の胴体部分はいくつもの穴が開いていて蛇などがもぐり込んでいる様子から大地を表していると考えられます。つまり、この壺は現世である大地と死後の世界を併せ持っていることから、この世とあの世を疎通させる機能があり、死者の魂はこの壺を通って祖霊たちの世界に行くと考えられます。
④後漢時代、陝西省から河南省西部一帯の地域の墓
朱書あるいは墨書のある壺が納められた墓が見られます。朱書や墨書の内容は様々ですが、いずれも、死者の魂がしかるべき所に落ち着き、子孫たちの生活が安寧であるよう祈るものになっています。また、「瓶を過ぎて到る後は」という表現が見られるものがあり、死者の魂がこの瓶を通過して死後の世界に行くと考えられていたことが窺われます。西域に近い地域ではもう少し後の時代までこの風習が続いたようです。
以上のように、中国では戦国時代以降の葬送儀礼において、墓中に納められる壺や瓶などが大きな役割を果たしてきました。それは死者の魂を祖霊たちの世界に渡すための仲介物であり、この世とあの世を結びつける橋の役目を果たすものであったと考えられます。
神仙思想と壺の関係について小南氏の論文に沿って整理してきましたが、神仙思想がなぜ壺と密接な関係があったのか、なぜ壺が神仙思想を象徴するものであったのかということについて、今回の記事の冒頭で見たように「神仙が祖霊としての性格を持っていたこと」と「葬送儀礼における壺の役割」を併せて考えると、なぜ壺だったのか、という問いに対する答えが出たように思います。
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祖霊が鳥の形を取るという話については日本においても、奈良県の纒向遺跡や大阪府の池上曽根遺跡では鶏形木製品が、奈良県の唐古・鍵遺跡や清水風遺跡、鳥取県の稲吉角田遺跡では鳥装したシャーマンとみられる人物が描かれた絵画土器が見つかっています。また、唐古・鍵遺跡では楼閣の屋根にとまる鳥が描かれた土器が出ており、佐賀県の吉野ヶ里遺跡ではこれを模したように環濠入口にあたる門の上や復元された建物の上に鳥形の木器が設置されています。通常、これらは穀霊信仰と結び付けて考えられています。
話を戻します。古代中国の墓葬における壺の役割を示唆する例を以下に4つ挙げてみます。特に②以降は実際の壺が葬送儀礼の中で重要な働きをもったことを示唆する例となります。
①馬王堆前漢墓から出土した帛画(前漢時代、湖南省長沙市)
帛画とは絹布に描かれた絵画のことで、馬王堆墓の帛画には死者が壺の口を通って地上界から天上世界に上ることを思わせる様子が描かれています。
②戦国時代から前漢時代にかけて、広東を中心とする地域の墓
墓壙の真ん中あたりの底にさらに深く掘り込んで穴を作り、その中に大きな陶瓮を埋め込んだ墓がいくつも見られます。殷の大墓などに見られる「腰壙」の伝統を留めたものと考えられます。腰壙にはしばしば犬が入れられますが、中国において犬は死者の魂を彼岸の世界に案内すると考えられました。
③三国時代から西晋時代にかけて、長江下流域の墓
神亭壺(しんていこ)や魂瓶(こんべい)と呼ばれる特殊な壺を納めている墓があります。壺の上部には死後の世界を表したものと考えられる複雑な建物、鳥や動物、人間などが付加されています。音楽を演奏する人や雑技をする人などが見られることから、死後の世界が楽園と考えられたようです。一方の下部の胴体部分はいくつもの穴が開いていて蛇などがもぐり込んでいる様子から大地を表していると考えられます。つまり、この壺は現世である大地と死後の世界を併せ持っていることから、この世とあの世を疎通させる機能があり、死者の魂はこの壺を通って祖霊たちの世界に行くと考えられます。
④後漢時代、陝西省から河南省西部一帯の地域の墓
朱書あるいは墨書のある壺が納められた墓が見られます。朱書や墨書の内容は様々ですが、いずれも、死者の魂がしかるべき所に落ち着き、子孫たちの生活が安寧であるよう祈るものになっています。また、「瓶を過ぎて到る後は」という表現が見られるものがあり、死者の魂がこの瓶を通過して死後の世界に行くと考えられていたことが窺われます。西域に近い地域ではもう少し後の時代までこの風習が続いたようです。
以上のように、中国では戦国時代以降の葬送儀礼において、墓中に納められる壺や瓶などが大きな役割を果たしてきました。それは死者の魂を祖霊たちの世界に渡すための仲介物であり、この世とあの世を結びつける橋の役目を果たすものであったと考えられます。
神仙思想と壺の関係について小南氏の論文に沿って整理してきましたが、神仙思想がなぜ壺と密接な関係があったのか、なぜ壺が神仙思想を象徴するものであったのかということについて、今回の記事の冒頭で見たように「神仙が祖霊としての性格を持っていたこと」と「葬送儀礼における壺の役割」を併せて考えると、なぜ壺だったのか、という問いに対する答えが出たように思います。
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