古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

◆国生み(淡路洲の誕生)

2016年09月21日 | 古代日本国成立の物語(第一部)
 伊弉諾尊と伊弉冉尊は夫婦となって国生みを始める。淡路洲、大日本豊秋津洲、伊予の二名洲、筑紫洲、億岐洲と佐度洲、越洲、大洲、吉備子洲の順に生み、あわせて大八洲国という。一書の第1・第6・第7・第8・第9においても同様の話が記されるが、これらの記述において気が付いたことがある。
 書紀の記述では一書(第1)を除くすべてで淡路洲が一番目の誕生となっている。古事記においても「淡道之穂之狭別嶋」として淡路が一番目だ。一番になっていない書紀の一書(第1)においても大日本豊秋津洲に次ぐ二番目である。これは天皇家にとって淡路島が余程重要な位置づけであったということではないか。
 瀬戸内海を西から東に向かったときに、淡路島は畿内に入る手前で瀬戸内海を塞ぐように横たわる島である。潮の流れの速い明石海峡か鳴門海峡を越えなければ畿内へ入れない。その意味で淡路島は瀬戸内海航路の要衝と言える。九州を出て瀬戸内海を通って東征してきた神武天皇は自らの経験からそのことを十二分に理解していたので、神武自らが、あるいはその後裔が早い段階でこの島を押さえたのではないだろうか。それ以来、神武後裔の天皇家の実質的な領有地になったと推測する。書紀の応神天皇から允恭天皇までの記述を見ると、天皇家が淡路に海人族を擁していたことや淡路に狩場を持っていたことがわかる。

 淡路島の北部、西側の海岸線から3キロほど入った丘陵地に五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡がある。弥生時代後期の鉄器製造施設跡23棟から成っており、うち12棟から鉄を加工した炉跡の遺構が確認された。遺物として鉄鏃、鉄片、鏨(たがね)、切断された鉄細片など75点が出土した。また石槌や鉄床石、砥石など、鉄を加工するための石製工具も数多く出土した。1棟の中に10基の鍛冶炉がある建物跡も発見され、これまでに発見された弥生時代の鉄器製造遺跡としては最大規模で、住居は少なく、鉄器の製造に特化した特異な遺跡である。神武王朝は淡路を支配下に置き、この五斗長垣内に鉄器製造工場を設けたのだ。九州での倭国との戦闘において証明された高い鉄器製造能力はここでも活かされたということだ。

 この遺跡から南西に10キロほどのところに淡路国一之宮の伊弉諾神宮がある。祭神はもちろん伊弉諾尊と伊弉冉尊である。天皇家の祖先神とも言える伊弉諾尊は淡路に幽宮を設けて人生の終盤を過ごした。おそらくその終焉の地と考えられるところに神宮が設けられたのだろう。伊弉諾尊は神武王朝において淡路を統治し、兵器の製造と供給を司る人物を投影した神ではないだろうか。晩年を過ごし、かつ終焉を迎えた地が兵器製造基地の目と鼻の先であったということに加えて、国生みの後の一書(第6)によると、火の神である軻遇突智(かぐつち)を生んだ伊弉冉尊がその火で死んでしまったため、伊弉諾尊が剣で軻遇突智を斬ったところ、経津主神(ふつぬしのかみ)や武甕槌神(たけみかづちのかみ)の祖先が生まれたとある。この二人の神は出雲の国譲りの場面で十握剣を使って大己貴神に国譲りを迫る役割を担う。伊弉諾尊自身と伊弉諾尊から生まれた二人の神がいずれも剣の使い手として描かれていることもそのことを暗示しているように思える。



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