古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

高鴨神社(葛城・纒向ツアー No.8)

2019年12月14日 | 実地踏査・古代史旅
 念願の南郷遺跡群の踏査を終えたあと、もういちど山麓バイパスに戻って次の目的地である高鴨神社へ向かいました。高鴨神社は鴨三社のなかでも上鴨社と呼ばれて、これはやはり三社の中では最も格上ということになるのでしょう。それとも一番高いところに鎮座しているからかな。

 神社の駐車場はランチを予定していた蕎麦屋さん「そば小舎」の駐車場を兼ねています。ここまで頭も体もフル回転、しかも時刻はお昼時をとっくに過ぎています。神社を参拝する前に腹ごしらえです。メニューは5つくらいしかありません。岡田さんはきのこそばの大盛、佐々木さんはとり南蛮の大盛だったかな、私は鴨汁そば。鴨氏のふるさとに来ているのだからという理由で初めて食べる鴨汁そばでした。





 食後は店の奥にある小さな資料館「葛城の道歴史文化館」を見学しました。ここも床一面に奈良盆地の航空写真を貼り付けています。「今ここで、これまでこういうルートを辿ってここに行って、これから行くのはここ」てな具合で、葛城市歴史博物館でもそうでしたが、こういうのは会話が盛り上がりますね。

鴨都波遺跡からの出土品などが展示されています。



 腹ごしらえを済ませて高鴨神社を参拝します。この神社は、日本最古の神社のひとつで全国の鴨社(加茂社)の総本宮を名乗るほどに由緒のある神社です。鴨社の元宮ということはあの有名な京都の上賀茂神社や下鴨神社の元宮でもあるわけです。



 神社のサイトを見ると、主祭神は阿遅志貴高日子根命(あぢしきたかひこねのみこと)で、その別名を迦毛之大御神(かものおおみかみ)としています。さらに「大御神」と名のつく神様は天照大御神、伊邪那岐大御神と三神しかいないととして、死した神をも甦らせることができる、御神力の強き神様であるとなっています。
 たしかに古事記において「大御神」は他に「天照大御神」、「伊耶那岐大御神」、「伊勢大御神宮」に用いられるのみであり、古事記における神への敬称としては最高のものであり、この敬称をこの神が持つことは、この神とこの神を祭った氏族との、ある時期における勢力の強大さを物語っているとする説があるようです。(3年前に鴨三社をまわったときの記事に高鴨神社の由緒などを載せているのでごらんください。)



 「阿遅志貴高日子根命」は日本書紀では「味耜高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)」と記し、一般的には農耕神と考えられています。また、ここにあるように古事記には別名として「迦毛大御神」と記されています。 この神は大国主神の子であることから出雲系の神と考えられていますが、一方で、出雲国風土記に「坐葛城賀茂社」、出雲国造が就任した際に奏上される出雲国造神賀詞に「葛木乃鴨乃神奈備尓坐」などとあることから、大和国葛城地方、鴨氏の祭神とも考えられます。実際に出雲においてこの神を祀る神社はほとんどないことから、私は出雲の神ではなくて葛城の神であると考えています。









 鳥居をくぐった右手には釣鐘堂があって梵鐘が吊られています。池に張り出した能舞台も見事です。紅葉の盛りには少し早いのが残念でした。



 高鴨神社の参拝を終えた後は山麓を平地まで一気に下ります。ちょうど下りきったところが次の目的地の鴨神遺跡になります。



 


 


 


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