古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

◆素戔嗚尊と出雲

2016年09月28日 | 古代日本国成立の物語(第一部)
 天の岩屋事件の後に高天原から追放された素戔嗚尊は根の国に行く途中、出雲の簸の川に降りた。素戔嗚尊は高天原から出雲に降臨したのだ。これは天照大神の孫である瓊々杵尊が高天原から日向の高千穂の峯に降臨したことと対比でみるべきである。天孫降臨のところでも書くが、高天原は日本列島の外、すなわち中国大陸や朝鮮半島を暗示している。天孫族は大陸の江南の地から日向の地にやってきた。一方の素戔嗚尊は朝鮮半島から出雲へやってきた。なぜ朝鮮半島かというと、書紀の一書(第4)に高天原を追放されて新羅の国に降りたことが記されているからである。しかし素戔嗚尊は新羅の地が気に入らず自ら舟を作って脱出し、その後に出雲の簸の川の上流にある鳥上の山についた、となっている。さらに一緒に降臨した子の五十猛神(いたけるのかみ)は持っていた多くの木の種を韓の地には植えずに全てを持ち帰って大八洲国に蒔いたので日本に青々としていない山は無い、ともある。 また、一書(第5)では素戔嗚尊が「韓鄕の島には金銀がある。わが子が治める国に船がなければ困るだろう。」と言っていることから朝鮮半島の事情に詳しいことがわかる。
 さらに出雲国風土記によれば、最初にできた出雲国が小さく作られたので、出雲の神である八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)が遠くの「志羅紀(新羅)」「北門佐岐(隠岐道前)」「北門裏波(隠岐道後)」「高志(越)」の余った土地を裂き、引き寄せて縫い合わせてできた土地が現在の島根半島である、と記されている。この逸話からも出雲と朝鮮半島(新羅)の関係を想定せざるを得ない。素戔嗚尊は朝鮮半島(おそらく新羅)からやってきて出雲に定着した集団のリーダーと言えるだろう。

 素戔嗚尊は出雲に降りたあと、脚摩乳(あしなづち)、手摩乳(てなづち)という土着の夫婦とその娘の奇稲田姫(くしいなだひめ)と出会い、八岐大蛇(やまたのおろち)に立ち向かうことになる。八岐大蛇が何物を表しているかについてはいろいろな説がある。島根・鳥取県境の船通山(素戔嗚尊がたどり着いた鳥上の山)系を源とする日野川、斐伊川、飯梨川、江の川、伯太川などの川、およびその支流を頭が八つある大蛇に見立てたとする説、中国山地の幾重にも重なる山並みや分岐する尾根を八つの頭や尾に例えたとする説、古事記では高志之八俣遠呂知と記されていることや、出雲国風土記で大穴持命(おおあなもちのみこと)が越の八口を平らげたという記載があり、この八口が八岐を想起させることから高志(越)の豪族であるという説などである。
 私は、この大蛇の背には松や柏が生え、八つの山、八つの谷の間にいっぱいに広がったという書紀の記述は出雲の土地そのものを表していて、脚摩乳・手摩乳の八人の娘が毎年一人ずつこの大蛇に呑まれてしまったとあるのは、娘をこの土地の支配者に差し出していたことを表しているのではないかと考える。ただ、実際の子供を差し出していたわけではなく、奇稲田姫の名にあるとおり「稲」、すなわち毎年の収穫を供出していたという意味であろう。
 つまり、素戔嗚尊よりも先に出雲を支配する一族がいて、その一族は出雲の民に毎年の収穫を納めさせていた、ということだ。そして朝鮮半島から出雲にやって来た素戔嗚尊はその支配者を退け、これが八岐大蛇の話になったと考える。素戔嗚尊が大蛇の尾を斬ったときに剣(草薙剣)が出てきたという話から、この支配者は剣を象徴とする一族であったと考えられる。剣を祀り、稲作を定着させていたこの先住支配族もまた朝鮮半島から渡ってきた一族であったのだろうか。
 大蛇を退治した(先住支配族を退けた)素戔嗚尊は夫婦の娘である奇稲田姫と結婚する。この名前にある「奇」は奇御魂(くしみたま)の「奇」と同じ使い方であり古神道でいう一霊四魂の「奇」、すなわち「不思議な力をもって物事を成就させる」という意味がある。また「稲田」は読んで字の如く「稲の実る田」を表している。奇稲田姫は「水田一面に稲穂を実らせる力をもった姫」という意味になろうか、この姫は豊穣の神であった。素戔嗚尊と奇稲田姫の結婚は、素戔嗚尊が豊かな出雲の地を手に入れたことを表している。



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