人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

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心のながれについて(3)

2022-12-24 10:44:27 | スピリチュアル
            (前日からの続き)
人間の生命というのは、神様の霊的な
そういう健やかなところからの流れが
来ないと止まっちゃうんです。
生命というのはね、神様の分かれだから。
だから、神様の方で、この人間を
何かの形でまだまだ生かして、器として
動かしてゆかなきゃと思うかぎり、
我々は死にたいと想ったって生きて
いかなきゃいけない。
死ぬことを許されないわけなんですね。
霊界移行をかってにできないように
なっている。

例えば、お金がない、明日からどう
しようという所までいっても、そこで、
あれっと思うところで道が開けてくる。
神様なんだから、お金でも何でも自分の
思うままに湧かせることが出来るんじゃ
ないかとか、いろいろあるんですけれどもね。
ただ人間の生命というものは前生も
前々生も生きてここにこうして存在して
おりますから、いろんな借金返しが
ありますね。
その借金返しを済ませるというのは
大変なことなんです。
何が大変かといったら、人間にはまず
欲があるんですね。
欲が絡んで人間関係が拗れるとか
というのは、これは一番やっかいな訳ね。

例えば、前の世の中で喧嘩別れして、
もう絶交だとかあるいは生命のやりとりを
やったとかね。
あんまり穏やかではない話だけれども、
そういう相手ともう一回、守護の神霊が
後でくっつけて、それで何とか
この世の中でしようと思ったって、相手が
猛烈な金持ちでこっちがそれほどお金
持ってないなんていう、そういう極端な
環境の中で合わせたとしたら、これは
なかなかねー。
僻み根性というんですかね。
例えば、片っぽが一千万持ってる、
片っぽは五十万位しか持ってない。
五十万対一千万じゃね。
この世の中でパッと見はですね、一千万の
方が多いから、五十万の方は萎縮しちゃう
わけね。

ですけれど、その五十万をどう生かすか
なんですね。
今手許にあるものをどう生かすか、自分の
生命をどう生かすか、ね。
それによってお金というのは増えもするし
減りもするんです。
その一千万というのは、私から言わせ
ますとね、つまり、その人の努力の賜物
でもあるかもしれないけれども、前の
世の中からずっと積善をしましてね、
陰徳積んで貯金を増やして来て、それで
現われてきた環境の中の一千万かも
しれない。
そうしますと、その一千万の上に
あぐらをかくと、一千万なんてお金は
たちまちに消えてなくなる。

なくなった時にどうするかというのは、
その人の心の現われになる訳なんです。
そこで本心を輝き出させるということが
これは並大抵の事じゃないんです。
人間生きていかなきゃいけませんので、
なかなかそれが大変なんですけれども、
でも出来るだけ素直にね、任せ切るなんて
いうことはなかなか出来ることじゃない
けれども、でも、「すいませんよろしく
お願いします」と言ってしまって、祈って
祈って祈っていきますとね、そうすると
いつの間にか、ああこういうお金が
入ってきたなあとか、ああこういう人に
会って助けられることになったなあとか、
そういう何か援助がね、まわりについて
くるんですよね。
その辺が、自分には一千万あるから大丈夫
だと思ってあぐらをかいてしまって
何にもしない人。
しない人というのは、いわゆる心やさしく
まわりに対しても自分に対しても気配りを
しない人。
それでこの世の中を渡ろうとしてしまう。
欲で渡ろうとしてしまうと、これが一番
駄目なことなんですね。
          (つづく)