(前日からの続き)
本当は
我々のいのちは
神様からきていて
我々が神様を
忘れ果ててる時でも
神様の方では
ちゃんと一人一人を
見守ってね
だからこうして
我々は
生きてられるんだけども
肉体だけと思っちゃった
人間は
そこに神様が
いるなんて思えなくなって
しまったんですよね
それでも
うんと苦しい時に
神様仏様
助けて下さいってよく言いますよね
苦しい時の神頼みね
あれは
神様なんてないと
この想念で思っていましても
私どもの
奥の奥のからだは
神様によって
生かされている
ということを
知ってるわけでして
それで
いよいよ苦しい時には
生命(いのち)の親である
神様をよぶと
こういうわけですよね
必死の思いでよびかける
ところが
祈りというものは
もっと自然な
もっと平安にみちたものでしてね
私と神様との
私と本心の光との
対話ですからね
もうこれは
本来平和の光にみちているわけです
じゃあ、必死のおもいで
神様!ってよぶ
その心はどうなるのかというと
これも
絶対に無駄にはならないんです
なぜかといいますとね
いいですか
人間というのは
先ず
神の光によって生まれたもの
神によって
いのちを吹き込まれた存在です
ですから
どんなになっても
大元を忘れかけて
苦しくなった時には
神様をよぶように出来ている
呼ばなきゃ
生きてゆけない
自分がどこからきて
どこへこの生命が
流れてゆくのか
ということをですね
確かめないと
一瞬も
安心出来ない
そういう存在なんですよ
だから
その大元が
ぐらついた時には
神様ってよぶ
よばなきゃいられないんです
それで
自分というものは
どういうものなんだということを
みんなの奥の心が
確かめて
それで
生きてゆけるんです
私はいつも
世界平和の祈りは
エレベーターだといってますけど
こうやって
神様って
呼んだ時には
その人は
祈りというエレベーターの中に
緊急避難したようなもんなんです
そこから
あらためて
神様のこと
自分を生かしている生命のこと
なんかを考えてく
それで
ずっとおちついてくると
その人なりの祈りが
口をついて出てくるんです
ですからね
神様助けて下さい!!って
いった時には
もうその人は
神様というチャンネルを
ひねって
実は神様のなかに入ってるんです
(つづく)
本当は
我々のいのちは
神様からきていて
我々が神様を
忘れ果ててる時でも
神様の方では
ちゃんと一人一人を
見守ってね
だからこうして
我々は
生きてられるんだけども
肉体だけと思っちゃった
人間は
そこに神様が
いるなんて思えなくなって
しまったんですよね
それでも
うんと苦しい時に
神様仏様
助けて下さいってよく言いますよね
苦しい時の神頼みね
あれは
神様なんてないと
この想念で思っていましても
私どもの
奥の奥のからだは
神様によって
生かされている
ということを
知ってるわけでして
それで
いよいよ苦しい時には
生命(いのち)の親である
神様をよぶと
こういうわけですよね
必死の思いでよびかける
ところが
祈りというものは
もっと自然な
もっと平安にみちたものでしてね
私と神様との
私と本心の光との
対話ですからね
もうこれは
本来平和の光にみちているわけです
じゃあ、必死のおもいで
神様!ってよぶ
その心はどうなるのかというと
これも
絶対に無駄にはならないんです
なぜかといいますとね
いいですか
人間というのは
先ず
神の光によって生まれたもの
神によって
いのちを吹き込まれた存在です
ですから
どんなになっても
大元を忘れかけて
苦しくなった時には
神様をよぶように出来ている
呼ばなきゃ
生きてゆけない
自分がどこからきて
どこへこの生命が
流れてゆくのか
ということをですね
確かめないと
一瞬も
安心出来ない
そういう存在なんですよ
だから
その大元が
ぐらついた時には
神様ってよぶ
よばなきゃいられないんです
それで
自分というものは
どういうものなんだということを
みんなの奥の心が
確かめて
それで
生きてゆけるんです
私はいつも
世界平和の祈りは
エレベーターだといってますけど
こうやって
神様って
呼んだ時には
その人は
祈りというエレベーターの中に
緊急避難したようなもんなんです
そこから
あらためて
神様のこと
自分を生かしている生命のこと
なんかを考えてく
それで
ずっとおちついてくると
その人なりの祈りが
口をついて出てくるんです
ですからね
神様助けて下さい!!って
いった時には
もうその人は
神様というチャンネルを
ひねって
実は神様のなかに入ってるんです
(つづく)