伊勢崎市長 ひじやすお

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平井晩村

2023-05-13 18:20:32 | 日記
谷川岳山岳資料館に伺う。
伊勢崎市の偉人、矢島保治郎企画展を見学する。
館長の八木原圀明様からお話を聞くことができた。
今年が没後60年になる記念年である。
伊勢崎市としても矢島翁の周知に努めて行きたい。





ペルーとの外交関係樹立150周年を記念してペルー映画祭が開催される。
会場は、人材派遣ワイズコーポレーション境総合文化センターだ。
㈱アイザワコーポレーション代表の相沢正雄様が主催をされた。
在日ペルー大使館大使のロベルト・セミナリオ様ご夫妻をお迎えしてのイベントだ。
石川眞男玉村町長、村山俊明大泉町長にも同席頂いた。
ご挨拶や記念品の交換等であっという間に2時間30分が経ってしまう。
ご夫妻のお見送りに際して後日大使館を訪問することも約束させていただく。
2500名のペルーの方々が伊勢崎市に在住されている。
これからも更に交流を深めて行きたい。






今日は、「平井晩村」の生まれた日。
平井晩村(ひらいばんそん)は、1884年(明治17年)5月13日生れ、1919年9月2日没。
明治時代の日本の詩人・小説家。
民謡詩人として多くの作品を残した。
群馬県前橋市出身。
本名は駒次郎。
前橋本町(現在の前橋市本町二丁目)に生まれる。
父仙太郎は晩村が3歳の時亡くなり、祖父母の手で育てられる。
桃井尋常小学校から群馬県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)に進学するがストライキに参加したのをきっかけに中退。
早稲田大学高等師範部(現・早稲田大学教育学部)国語漢文科に入学後、『文庫』『新声』などに叙情詩、民謡などを発表。
1903年(明治36年)、金子薫園の白菊会に参加し、土岐善麿、田波御白、吉植庄亮らと相知る。
1906年(明治39年)早稲田大学を卒業し報知新聞の記者となると『明治三大探偵実話』『風雲回顧録』などの小説を執筆。
「少年倶楽部」「日本少年」などに少年小説を、「武侠世界」「面白倶楽部」などに歴史小説を発表した。
1915年(大正4年)9月に国民書院から第一詩集 『野葡萄』を出版。
1917年(大正6年)に叶九隻と「白瓶社」を創立、俳句・民謡の雑誌『ハクヘイ』を創刊して多数の民謡を残した。
1918年(大正8年)には民謡「草津節」の原型となるものを作詞した。
1919年(大正8年)9月2日、結核により35歳で死亡。
晩村死去の直後、玄文社から第二詩集『麦笛』が刊行される。
墓所は前橋市嶺町の嶺霊園。
作品の中には、「国定忠治」(小説)や群馬県立前橋高等学校校歌もある。
(Wikipediaより抜粋)

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