伊勢崎市長 ひじやすお

『共に生きる』 ホームページ http://www.hiji-yasuo.jp/

世界都市博覧会

2022-05-31 09:51:13 | 日記
30日。
庁議。
社会生活の再開を目指して、市の行事やイベントの開催をしてゆく。
100%は無理でも、できることから、集まることから、準備の会議を行うことから始めたい。
多くの市民の皆様に顔を合わせる機会を持ってもらうことが全てのスタートだ。

教育委員をされている山洞広美様のご母堂様がお亡くなりになる。
弔問に伺う。
心よりご冥福をお祈りする。

土地利用の件で市外に移動。

伊勢崎ガスの会長をされている窪田三代志様がお亡くなりになる。
葬儀告別式に参列する。
心よりご冥福をお祈りする。

定例記者会見を行う。
ウクライナからの避難民受け入れ等を発表する。
その他の質問で国定忠治に対する考えを聞かれる。
市の考え方を整理したい。

契約検査課と打合せ。

総務課と打合せ。

造園協会・造園事業協同組合意見交換会並びに懇親会に参加する。
貴重なご意見をいただき、市の将来に対する考え方も述べる。
有意義な会となった。
他の事業者団体ともこうした意見交換を進めて行きたい。

31日。
市内を移動。

都市計画部・産業経済部と打合せ。

建築課と打合せ。

東京にて開催の全国市長会の「市長フォーラム2022」に出席する。
全世代型社会保障について講演を聞く。
いくつかのヒントもいただき、大変有意義な講演であった。

コロナの検査で確認された県内の陽性は215件。
この内、伊勢崎市の方は18名となっている。
伊勢崎市のワクチン接種率(全人口212,069人)は、1回目80.7%、2回目80.2%、3回目56.8%(5月24日現在)。

今日は、「世界都市博覧会」の中止が決定された日。
1995年5月31日、青島幸男東京都知事が公約通り「世界都市博」の中止を最終決断。
世界都市博覧会は、東京臨海副都心で1996年(平成8年)3月24日から10月13日まで開催される予定であった博覧会。
通称・世界都市博、都市博。
主催団体は財団法人東京フロンティア協会(会長・平岩外四)。
青島幸男が1995年(平成7年)4月9日の東京都知事選挙に立候補し、世界都市博の中止、臨海副都心開発の見直し、乱脈経営で経営危機(二信組事件)となっていた東京協和・安全信用組合の非救済を公約にした。
青島は約170万票を獲得し、鈴木知事の後継で都市博開催を公約にした石原信雄(約123万5千票)に大差で勝利した。
都市博を中止せよという世論が青島の大量票獲得に貢献したといえる。
都市博中止を公約にした青島は、知事に当選してから初めて博覧会場を訪れ、かなり準備が進んでいることに驚いた。
中止した場合、約1000億円の損失が出ると事務局側は青島都知事へ伝えていた。
開催を行うかどうかの決断は1995年5月31日までにしなければならなくなり、タイムリミットは迫っていた。
そうした中、中小企業などの利益のためにも予定通りの開催を訴える保守系議員が多数派を占めていた東京都議会の「世界都市博開催に関する特別委員会」が、5月16日に「都市博開催決議」を可決した。
同じ日、青島知事宛ての小包が爆発する東京都庁小包爆弾事件が起きた(ただし爆弾事件はオウム真理教によるものであり、都市博問題とは無関係と後に判明している)。
続いて5月23日、都議会本会議において100対23の大差で「都市博開催決議」が可決された。
こうした情勢の中で公約は貫徹されないという観測が広まっていたが、実際に青島が公約を履行するか否か、全国の注目が集まった。
タイムリミットの5月31日、青島は都市博の中止を発表した。
公約実行は困難だと見ていた人々は、「まさか」「なんとガンコな」「公約は公約でも本当に中止するとは信じられない」と衝撃を受けた。
青島は都市博の中止を、家族や知人と相談して決断したという。
中止を受けて国内外都市におよそ8億円の損害保証金が支払われた。
(Wikipediaから抜粋)
行政が事業を計画し実施することの重さを考えさせられた。
選挙の持つ意味も。

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丸茂重貞

2022-05-29 17:45:26 | 日記
今日100歳のお誕生日を迎えられた沼田英子様に慶祝状をお送りする。
ご自分で歩行器を使って歩かれている。
毎日、2回ほど施設の東端の部屋から西側の部屋まで体操をするために移動されるとのこと。
しっかりしたご挨拶もいただき感激をする。
自分自身、これからも健康で過ごすことを心がけたい。

一財)全日本ろうあ連盟創立70周年記念映画「咲む」伊勢崎上映会に伺う。
「こんにちは。私は伊勢崎市長のひじやすおです。」との挨拶を手話で行う。
「私たちのことを、私たち抜きで決めないで(Nothing about us without us)」の考え方を大事にしてゆきたい。
そのためにも市に政策を決める時には当事者である方々との議論が必要だ。
様々なご意見をいただけるようお願いをする。
「今日は、この映画(咲む)を見て皆様と一緒に笑顔になりましょう。」と手話で挨拶を結ぶ。
余り上手ではないがとにかく手話を使うことから始めたい。
映画は、(何度か涙腺が緩んでしまった)素晴らしかった。
障害のある方との共生、生きることの意味、地域のあり方、人と人との関係。
それら全てを考えさせられた。
主人公の瑞月は、まさしく植物が「花咲く」時のような変化を周りの人々や社会に与えた。
「Transforming our world(我々の世界を変革する)」というSDGsの言葉が現れている。
私が目指す伊勢崎市の将来像がここに表現されている。
主催をいただいた伊勢崎市聴覚障害者福祉協会の山本会長と「咲む伊勢崎上映会実行委員会」の清水委員長に心より感謝する。

コロナの検査で確認された県内の陽性は184件。
この内、伊勢崎市の方は12名となっている。
伊勢崎市のワクチン接種率(全人口212,069人)は、1回目80.7%、2回目80.2%、3回目56.8%(5月24日現在)。

今日は、「丸茂重貞」の生まれた日。
丸茂重貞は、1916年5月29日生れ、1982年7月23日没。
医師、政治家である。
自由民主党参議院議員(4期)。
位階は従三位。
勲等は勲一等。
環境庁長官。
日本医師会をバックにして参議院議員を4期務めた。
所属派閥は福田派。
青嵐会の結成にも参加した。
群馬県吾妻郡出身。
群馬県立高崎中学校を経て、1940年、東京医学専門学校卒業。
医師免許取得後、同年10月応召。
終戦後は、群馬県群馬郡滝川村で内科医として開業。
1957年、日本医師会理事に就任。
1962年、第6回参議院議員通常選挙に全国区から立候補して当選、参議院議員となった。
1968年の第8回参議院議員通常選挙では選挙区を群馬県選挙区にうつして再選。
さらに1974年の第10回参議院議員通常選挙では選挙区を全国区に再び戻して再選された。
大蔵政務次官、参議院大蔵委員長などを経て1976年に成立した三木内閣改造内閣で環境庁長官に就任。
(Wikipediaから抜粋)

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警戒レベル1

2022-05-28 17:01:20 | 日記
27日。
半年ごとの定期健診を受ける。
ɤーGTPが意外と改善していて驚く。

2時から、伊勢崎市青少年問題協議会を開く。
委嘱変えとなった委員の皆様に委嘱状を交付する。
引き続き報告事項、協議事項について協議。
伊勢崎市の青少年施策の中心的な議論の場だ。
地域における青少年育成団体連絡協議会という実行組織との連携も考えてゆく必要がある。
委員の皆様のご尽力をお願いする。

群馬伊勢崎商工会の通常総代会に参列する。
コロナ禍で大変なご苦労をいただいている商工団体だ。
今後の対応が大事になるため一層の連携をお願いする。

いせさき市民のもり公園「汗の広場」で行われたロボット芝刈り機のデモンストレーションを見学。
菊地造園土木㈱のご配慮で開催された。
造園協会の会員の皆様や市の関係部局も参加させていただく。
省力化の観点からも取り組む価値がある。
また、民間事業者の皆様とのコラボも検討してみたい。

新型コロナウイルス感染症対策本部会議を開く。
県の警戒度1への移行に伴う市の対応を協議する。
市の取り組みを決定し広報に努めたい。
特に感染対策のマスクの着用への対応が様々だ。
国や県の要請をわかり易く伝えることに注力したい。

伊勢崎労働基準協会定時総会に伺う。
六本木恒宏会長が退任され岡部洋行新会長となる。
引き続き連携して労働施策へのご協力をお願いする。

28日。
「2022連合群馬ふれあいフェスティバルin伊勢崎」に伺う。
お笑い芸人のパックンマックンによる講演を聞く。
内容は「住みよく働きやすい地域社会へ~相互理解で進める外国人共生社会~」。
面白可笑しく尚且つ考えさせられる内容だ。
共生を阻む言葉の壁は日本人自ら作っているのかもしれない。
開催をしていただいた連合群馬伊勢崎地域協議会の宮下和夫議長始め役員の皆様、関係団体の皆様に感謝。

コロナの検査で確認された県内の陽性は238件。
この内、伊勢崎市の方は28名となっている。
伊勢崎市のワクチン接種率(全人口212,069人)は、1回目80.7%、2回目80.2%、3回目56.8%(5月24日現在)。

今日から、「警戒レベル1」。
群馬県の「社会経済活動再開に向けたガイドライン」のガイドライン警戒レベルが「1」となった。
これまで以上に個々人の感染予防対策が必要だ。

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環境白書

2022-05-26 15:08:51 | 日記
国土交通省高崎河川国道事務所所長の福井貴規様がお見えになる。
これから出水期を迎えるにあたり浸水や洪水対応について意見交換をする。
また様々な国交省の事業についても説明をいただく。
今後とも国土強靭化等の施策に市としても取り組んでゆきたい。

安心安全まちづくり市民協議会委員委嘱状交付式を行う。
挨拶の中で、私が市議会議員になって最初におこなった一般質問を読み上げさせていただいた。
ーーーーーーーー
1番目の質問は、安心安全まちづくりについてであります。
 伊勢崎の町の姿が変わったと言われ始めたのはいつごろだったでしょうか。事件・事故の余りの増加に、住みやすい町であったはずの地域の住民にも危機感が広まりました。そうした状況は、平成14年度版の警察白書に取り上げられました。また、平成16年度の伊勢崎21市民会議では、安心安全なまちづくりがテーマとして取り上げられました。私と活動をともにしている青少年の健全育成に取り組む多くの仲間たちからも、現状を憂慮する声が上がりました。これらと連動するように、市民、市行政も、違法風俗のみならず、安心安全なまちづくりには、市民、行政、警察が連携し一体になった対応が必要との認識を持たれ、今回の伊勢崎市安心安全まちづくり条例の制定につながっているのだと考えます。
 私自身、さきの伊勢崎21市民会議に参加させていただき、安心安全まちづくり条例制定の必要性を提言いたしました。また、伊勢崎市安心安全まちづくり推進市民協議会の一員として条例案づくりにもかかわらせていただきました。安心安全まちづくり条例は、市民にとって暮らしやすい地域社会の実現のために、みずからの地域はみずからで守るという連帯意識のもと、自主的または自発的に地域の安全を確保するための活動を推進しなければならない、そこに市が積極的に関与をしていくとうたっています。この条例は、これからもさまざまな方向に発展する可能性のある大変重要な条例です。しっかり育てていきたい、また育てていただきたいと思っております。
ーーーーーーーー
時代とともに社会情勢は変化してきたが市民の皆様の安心安全に対する思いは変わらない。
協議会委員の皆様のご尽力をお願いする。

社会福祉協議会会長の久保田勝夫様のご母堂様(義母)がお亡くなりになる。
葬儀告別式に参列する。
心よりご冥福をお祈りする。

広報課と打合せ。
来週に行う定例記者会見について協議する。

元東村議の関口静朗様がお亡くなりになる。
葬儀告別式に参列する。
心よりご冥福をお祈りする。

民生委員児童委員連絡協議会の総会に伺う。
3年ぶりのリアルな総会である。
コロナ禍での活動にご尽力いただいていることに感謝。
社会的共通資本という役割が民生委員児童委員制度にはあると考える。
持続可能な伊勢崎市を作る上で、必要不可欠な活動をされる委員の皆様のご尽力をお願いする。

知事の記者会見が行われコロナの警戒度が1に引き下げられた。
明日の対策本部会議の打ち合わせを健康づくり課と行う。

障害福祉課と打合せ。

これから、伊勢崎法人会の総会には間に合わないが懇親会に参加する。

コロナの検査で確認された県内の陽性は276件。
この内、伊勢崎市の方は28名となっている。
伊勢崎市のワクチン接種率(全人口212,069人)は、1回目80.7%、2回目80.2%、3回目56.8%(5月24日現在)。

今日は、「環境白書」が初めて発行された日。
環境白書は、環境省が毎年5月ないし6月頃に発行する白書。
前年度の自然環境状況に関する報告、本年度に目指す環境保全に関する施策の二部構成になっている。
前身は昭和44年(1969年)〜昭和46年(1971年)に厚生省が発行した『公害白書』である。
これが昭和47年版(1972年)より『環境白書』へ名を変え、新しく発足した環境庁が発行した。
平成13年版(2001年)以降は環境省が発行している。
平成19年版(2007年)からは『循環型社会白書』と合本になり、平成21年版(2009年)からはさらに『生物多様性白書』も加えた合本になった。
中学生・高校生を対象に総説の内容を図表中心にまとめた『図で見る環境白書』、小学生・中学生を対象に白書の内容をわかりやすくまとめた『こども環境白書』も毎年発行されている。
(Wikipediaから抜粋)

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豊田有恒

2022-05-25 17:08:27 | 日記
国際課・住宅課と打合せ。

福島町区区長の本木裕様のご母堂様がお亡くなりになる。
告別式に参列する。
心よりご冥福をお祈りする。

北部環状線建設促進協議会総会に伺う。
伊勢崎市の環状線として必要不可欠の路線である。
県と協調して整備を進めてゆく。

市民活動課と打ち合わせ。

伊勢崎ロータリークラブ例会にて卓話をさせていただく。
市の重要施策と市政運営の考え方を述べる。
伊勢崎市が進む方向性を理解していただければありがたい。
こうした説明の機会を更に持てるようにしてゆきたい。

スマーク伊勢崎で行われている消費者月間キャンペーン㏌スマークに伺う。
関連団体の皆様に取り組んでいただいている。
心より感謝を申し上げる。

安心安全課と打合せ。

健康づくり課と打合せ。

教育部と打ち合わせ。

伊勢崎市部課長会主催で歓送迎会が行われる。
3年ぶりの会だ。
市長として初めて参加をする。
With Coronaで開催されるこうした行事も対策を行いながら徐々に進めて行きたい。

コロナの検査で確認された県内の陽性は330件。
この内、伊勢崎市の方は32名となっている。
伊勢崎市のワクチン接種率(全人口212,069人)は、1回目80.7%、2回目80.2%、3回目56.8%(5月24日現在)。

今日は、「豊田有恒」さんの生まれた日。
豊田有恒さんは、1938年5月25日生れ。
SF作家、推理作家、翻訳家、脚本家、評論家。
島根県立大学総合政策学部名誉教授。
日本SF作家クラブ会員。
いわゆる日本のSF作家第一世代にあたる。
群馬県前橋市の医家の生まれ。
父親は京都帝国大学医学部出身であったが、在学中は短歌会で若山牧水と交際があり、卒業後は『創作』誌に小説を発表し、開業医になってからは自宅に高浜虚子を逗留させるなど、文学に理解のある人物だったという。
こうした家庭環境の中で、有恒も群馬大学教育学部附属小学校在学中から父の蔵書を読み耽り、俳句や講談や落語に熱中していた。
のちにSF作家仲間になる高斎正は小学校・中学校の同級生。
中学時代は『読売新聞』の作文コンテストで群馬県下2位に入賞。
中学卒業後に上京し、武蔵高等学校に進む。
中学時代の同級生には高木仁三郎と堤富男がおり、仲が良かったという。
高校時代は同校の寮に住み、演劇部に関係していた。
校内の札付きの不良生徒とばかり交際して問題も起こしていたが、優等生であるため免罪されたという。
高校2年のとき、医師だった兄が脊髄腫瘍でギプスベッドに入ったきりになった上、父の急死に遭い、家業を継ぐ必要に迫られて医学部進学を決める。
(Wikipediaから抜粋)

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