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アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

爽やかに『今日かぎりのワルツ』爽やかに舟木一夫コンサート in 高崎

2023-04-15 | 世情もろもろ
 長いタイトル、本当は、この後に『そして恋唄へ』などと、私の中ではつづいた。
 思いがけずに(新橋演舞場の時と同様に、「聴くことができますように」と〞願ってはいた〞けど)、『恋唄』を聴くことができた。
 感動・発見・感激…そして、尊敬(!)の、この高崎のステージだった。
 
 opening 『友を送る歌』―この歌を聴くと、四十代で逝った男友達を思い出す。「〇〇ちゃん」と呼び合うような幼馴染風な友人。7歳の幼い娘を残して、病で逝った。
 そして、最近は、もう一人、菊の畑の真ん中で笑っていた同級生の日に焼けた笑顔を思い出す。彼女は17歳で生涯を閉じた。高校は別になったので、訃報を聞いた時、「陸上部であんなに元気だったのに?!」と信じられなかった。中学生のころから遺伝性の病気は持っていた、それが原因で突然逝った―と、それは、とても後になって聞いた。
 もう会えない友、どこにいるのか、何をしているのか、すでに去ったのか―不明な友が年々、増える。
 これからは、『友を送る歌』を聴くたびに、脳裏に浮かぶ友の顔が増えるのかもしれない。
 そんな風にちょっと、思って、つづくステージの歌を楽しく、嬉しく、聴き、やはり、幸福そうな舟木一夫の表情を見ていたら、突然、爽やかな風が吹いた。
『今日かぎりのワルツ』―。優しい想いのいい歌だ。が、爽やかな風…云々は、初めてだったので、とても驚いた。勿論、これは、「幸福な驚き」―。
 この二日前の松戸市のステージは、私は観ていないので、concert tour2023のステージは2月の埼玉県大宮公演と東京都葛飾公演以来。その時は『29小節の挽歌』『夢幻』『序曲だけのコンサート』―この3曲で創り出された情景に感動して、『今日かぎりのワルツ』に気が付かなかったのか、あの時と、ひと月余の時間を経て、変わったのか―原因不明。音楽素人だから(出た!自己弁護というより、最近は逃げ口上になっている)。
 先の3曲の創り出した世界は、2公演の後に内容(曲目)が変わったが、これは、後に述べるとして、『今日かぎりのワルツ』―。
 爽やかな風の原因(?)は、〞声〞だ。
 音(キィ)を上げた? 以前も書いたが、昨年の一年間とここまで、声が変わったような、聴く耳にとても、心地よい音(声の音色?)で届いてくるような、そんな気がしていた。負荷をかけているのかなーと、私は生意気にも思ったりして…。でも、ここまで来たら、お互いに、自分に負荷をかけないと、良い状態で先に進めないだろう―と、これは、わが身を顧みて、心底、思う。
『今日かぎりのワルツ』が、こんなにも優しい、澄んだ声の音色で耳に届いてきた―ものすごく感動した。
 昔々の歌である。私たちが少年少女であった頃の、勿論、舟木一夫の声も爽やかな少し甘い声で、こちらの耳に届いていたはずだけど、その頃の爽やかなとは違う。ふわっと、覆っていくような、広い、爽やかな声が、この歌とともに届けられて、驚愕と感動と感激が同時に来て、目を見張るばかり。ちょっと胸に熱いものがこみあげた。
 そして、少し、心落ち着かせて、その後も耳を傾ければ、以前よりも、キィを上げている歌の数が増えたような気がした。耳当たり(?)がとても心地よい―と、また、エラそうな感想だ(舟木さん、ゴメン!)。
 それで、先に書いた、『尊敬』へ。
「きっと、声に負荷をかけている。自分を甘やかしたりしていない」―と、勝手に(!)確信して、尊敬…へ。

 3曲の創り出した世界―3曲目の『序曲だけのコンサート』がなくなって、そこは『斜め節』になった―と、そのことを初めて聞いたのは、友人Kから齎(もたら)された。3月1日の静岡県浜松公演を見た友人Kの友人が、友人Kに知らせてきた(ややこしい(笑)―。
 なぜ、変わったのかなーと、私は「?」ばかりになった。その後、新橋演舞場のtheater concertを経て、4月12日の松戸市公演―。見に行った友人Kが、その3曲に入る前の舟木一夫のtalkを教えてくれた。それで、納得した。〞30代後半から40代へ、自分の想いを思いっきりぶつけた歌を書いていた〞…等々。〞それらの歌をここの3曲のところに〞―ということになると、「そうか~、そうなると、『序曲だけ…』の置き場所はここではなくなる」
と、素人の私は(しつこく自己弁護(笑)、これもまた、自分勝手に納得した。
「斜め節だろうなぁ」
と、呟いて、幻になった2月の3曲つながりの愛・哀・情の世界を、それはそれで、大切に脳裏に保存した(未練がましい(笑)。
 それで、実際に、昨日4月14日の高崎ステージで聴いてみたら、『斜め節』で正解(!)だった。

 曲の順が、二日前の松戸ステージとはガラッと変わっていた。中一日しかないのに、抒情歌部分の三曲も変えて、舟木一夫とバンドメンバーの〞心がっちり〞が示された思い―。
 スタンディングが終わると、青春の歌たちが元気に、そして、少し、甘酸っぱく、過去を連れてくる―はずだったが、ここに、抒情歌の三曲が並ぶ。
 絶唱、夕笛、そして、残雪―と。二日前まではそれ。夕笛が終わって、イントロが、
「!!」
『恋唄』だ!一瞬、泣きそうになった。涙が溢れた…という表現では当たらない。泣きそうになった。
 ここの三曲のラストの歌『残雪』はそのうち変える―と以前、言っていたが、二日前のステージでは変えていなかったから、ここで、突然変わるとは思ってもいなかった。2月半ばから気の重い案件が続き、いくらか、精神疲れの私の脳も心(精神)も、一気に、解き放たれた気がした。
「これで、まだ、頑張れる」―と言ったような状態。

 爽やかな舟木一夫コンサートはまだ、続く。
 あんなに爽やかな、耳に心地よい声で届けてくるーこれは、奇跡?いや、自身の想いが成せた故。純粋に、本当に、歌が好きだという自身の想いが呼んだ奇跡だ。
 こんなに遠くまで人生という旅路を来て、尚、自身に負荷をかける、それが、奇跡を呼ぶ。
 それなら、こちらも、自分に、自分の足に、体に、そして、脳に負荷をかければ、奇跡を呼べる。希望を持つ。
 脳への負荷は結構大変だけど、ね―と呟く。
 ボーっとしていないで、周りを見回し、舟木一夫がそのtalkの中で言ったように、「良い青春の最後の時代を過ごせた我ら」―である。そのことを忘れずに、現在の世情もちょっと見てみないとね―などと思う。現在の世情や政治の責任はきっと私たちに在るからね~などと、あまりに無茶苦茶な政府をみていると思う。こういう政治屋(!)たちに好き勝手させてきたのは、きっと、私たちの責任だろうなぁーと。「ゴメン、若者たち」と。
 ちょっときつい話になった。これも、「ボーっとするなよ!」と自分を叱るため…と、言い訳して(言いわけばかりだ(笑)、ここから、4月25日の中野サンプラザ『さよなら 中野サンプラザ 舟木一夫concert』までは、延びている案件なども、さっさと片付ける。サンプラザは19とか20列とかで、また、オペラブラスのお世話になって(笑)、舟木一夫と1チームの素晴らしいステージをしっかり受け止めるぞ!(と、また、大きなことを言って、波にのまれるくせに(笑)

                                   (2023/4/15) 
 


 
 

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