ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

いつか来た道、外国人排斥の道。

2010-08-11 20:39:31 | 政治
ナチスによるユダヤ人虐殺、ツチ族とフツ族による凄惨なルワンダ内戦、旧ユーゴスラビアにおける民族紛争・・・民族対立、あるいは他民族の排斥・殲滅。悲しいことですが、わたしたち人類の歴史において、枚挙に暇がありません。絶えず繰り返されてきました。

そして今、外国人への嫌悪感が、はっきりとは認識されずに、しかし、じわじわとフランス人の心の中に忍び込み始めているのではないか・・・そんなインタビュー記事が、6日のル・モンドに掲載されていました。

インタビューに答えているのは、人権連盟(la Ligue des droits de l’homme)のデュボワ代表(Jean-Paul Dubois)。

このインタビューの背景にあるのは、「サルコジ大統領が治安対策の一環で、少数民族ロマや移動生活者への取り締まり強化を相次いで打ち出した。法を犯した外国出身者の本国強制送還に加え、治安要員を襲撃した者の国籍を剥奪(はくだつ)する方針も表明。野党や人権団体から批判が噴出している」(7月31日:時事)という現状です。しかも、「サルコジ政権は6日、国内を放浪する外国籍のロマや仏国籍の非定住者が住む違法キャンプ300カ所の撤去を開始した。この日は、中部サンテティエンヌ市の違法キャンプで撤去が行われ、滞在許可などを持たないロマ約50人に国外退去命令が出された」(8月7日:毎日)と強硬措置がすでに実施に移され、さらには、「仏の世論調査では8割がこの措置を認める」(同上)という国民感情があることです。

人権連盟は、他の30の団体とともに、9月4日に集会を開き、政府の治安対策に抗議するとともに、外国人排斥に反対する要望書を採択することになっています。多くのフランス人が政府の治安対策を支持しているにもかかわらず、デュボワ氏は、この集会の開催に自信を持っていると、次のように述べています。

1987年には、ジスカール・デスタン大統領が外国人の侵入(une invasion)という言葉を使ったが、大きな排斥運動にはならなかった。今回も、サルコジ大統領の提案に賛成している人たちの多くは、やがては意見を変えるだろう、

アルジェリア戦争の際にも、人権連盟はフランス兵による拷問に対する反対運動を行ったが、当時、フランス人の80%が拷問を容認していた。今回も同じような数字になっているが、やがて間違いに気付く人も増えてくるに違いない。ただし、現在のフランス社会に、「精神のルペン化」(une lepénisation des esprits)が見て取れるのは確かだ。現状を正しく理解しないがゆえに、一部の人たちの扇動に乗って、外国人を追い出せと条件反射的に叫んでしまう精神構造にはまり込んでいる・・・ちなみにルペン化とは、極右政党・国民戦線(Front national)のルペン党首(Jean-Marie Le Pen)の言説に影響され、感化されていくことを指しています。

また、人権団体にとって、現状がより面倒になっている一因は、社会党の対応のまずさだ。フランス社会で増えている犯罪に対し、何ら対応策を提示できないでいる。治安に関しては、右派政党のほうが手慣れていると認めてしまっている社会党議員もいるほどだ。社会党は世論を気にし過ぎるあまり、イニシアティブを取れないでいる。移民の多くが住みついた郊外における犯罪について、真実を語るべきだ。

その真実とは、フランスが移民受け入れに失敗した、ということだ。暴力や犯罪の起きる理由をもう一度しっかりと考えてみる必要がある。眼をしっかりと見開いて、現実を見つめ直すことだ。

今フランスで、人種偏見のうねりは起きていないと思うが、特定の民族を嫌悪するという流れが知らず知らずのうちに受け入れられているように思える。しかもそうした言葉が政権のトップからも発せられている。

例えば、非定住者たちはでかいベンツに乗っているんだぜと、まるでバーのカウンターでしゃべっているかのように公言するオルトフー内相(Brice Hortefeux)。人種差別が一気に広がる危険はないように思われるが、外国人排斥が知らず知らず多くの人たちの心に忍び込んでいく恐れはある。それを食い止めることができるのは、政治家と知識人だ・・・

異質を排除するのではなく、異質なものや異なる人を積極的に受け入れ、そこから新たな文化や制度を生み出してきたフランス。そうした歴史を持つフランスにおいてすら、外国人排斥へと傾いていくトレンド。「個」を確立し、違いを認め合うフランスにしてなお、外国人排斥という社会的トレンドに多くの人が流されていく・・・戦後65年。かつての悲劇は時の流れの中で、忘れ去られようとしているのでしょうか・・・そして、外国人をどう受け入れるのか、外国人とどう共存するのか。わたしたち日本人の日常においても、古くて、新しい問題です。今、わたしたちなりの答えが求められているのではないでしょうか。

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