緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

日日新

2008年10月17日 18時00分02秒 | 健康
10月17日(金)

日日新たなり、たしか武者小路実篤の書にあったと記憶しますが、山中をつなぐ宮崎県道二二号線には「日日新」トンネルがあります。このトンネルをくくり抜け北上して木城町石河内の「えほんの郷」へ向かいますと小丸川を挟んだ対岸に日向新しき村があります。ひっそりと武者小路実篤の記念館が畑地の片隅に建っています。ここが有志活躍の地になりましたのは昭和初期の頃でしょうか、往時を偲ぶ遺品が陳列されています。


重要文化財・旧朝倉家住宅の室内(渋谷区猿楽町29-10・TEL03-3476-1021・東急東横線代官山駅下車徒歩五分)

念を入れてインターネットのグーグル検索をしますと「日日新たなり」の出典は大学(中国古典四書五経のひとつ)とあります。なるほど人間、その昔より日一日を爽快な気持ちで迎える事に苦心したと言う事でしょう。今日の私は昨日の私ではない。明日の私は今日の私が変わっている。



日日を新たにして迎えないと、どうもこの沈滞感は何でありましょう?一週間前に三泊四日も東京滞在したではないか!もう都城に飽きが来たか?そんなぜいたくを言うでない。飽きっぽいのは南島人の特徴よ。集中時間が限られており、気分を取り直して日々の生活に取り組みなされ。



と自分に言うて聞かせて行動様式を正常化に向けますが、霧島はそろそろ紅葉が峰からすそ野へと降りてくる季節になります。鹿の鳴き声にも愁いがあり毛並みも濃い茶色に変わり、秋の装いはさまざまな形で現れます。人間の目線を変えたその先に移りゆく季節が見えます。



季節に見とれるとは何とぜいたくなことよ。そう言えば早鈴田圃の稲刈りがゆっくりと進んでいます。コンバインの作業量に合わせています。あの忙しげに働いた五〇年前の祖父たちとは何であったのだろう。大地の色合いが変わっていく事ほど季節の移りがはっきりと目に判るものはありません。



東京勤務が永くようやく念願かない故郷へ妻を伴って落ち着いた同窓生は不治の病で入院したと言う。話題は続いてだれそれもと言う。今年に教えて頂いたことの一つに、ラオス国シェンクワン県ポーンサワン市、トゥアモア君の故郷、人々のゆったりと歩くさまは絵になりました。国民のGDPは何米ドルなのでしょう?六七八米ドル(二〇〇七年)とは一ドル百円にして六七八〇〇円、月額五千円なり。



こうして見ますと人間とは大きな流れの中で生活しており、それぞれの役目をあてがわれて四苦八苦しています。その事に気づくこともなく新た命を病におかされる。それも切ない。例え寿命は短くとも大地の上に身と心を置き大地の息吹に合わせて生きる。どちらが良いのでしょうか。アジアに振り向くなと言う人もいます。だけどほんの少し先を走っているだけラオスより日本が。自慢でも何でもない。日日新。世界は多様です。

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