緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

ささやかな感想

2010年06月29日 19時00分46秒 | 宗教
6月29日(火) 
 雨で行動もままならず、なんぞ思いにふけるものは無いかな?ダライラマ法王来日法話を思い返しておりますが、まずは法王の情報整理から入って見ましょう。情報はわずかですが、法王の生年月日は一九三五年と言いますから今年で七五歳で、がっちりとした体躯と程よい体重に色艶の良い肌具合から健康状態は素人目にも良好であると推察できます。今月中旬に来日、インドからの長旅で疲れも有るだろうにと思いますが、法話や講演の中から言葉の衰えを感じることは有りませんでした。


The strangely shaped rocks of Mt. Takachihonomine.高千穂峰山頂手前の奇岩(撮影:2002.10.5)

筆者夫婦の指定席は演台からはやや離れた場所でしたが眼前には大型スクリーンが設置されておりカメラは法王の表情や仕草を克明に捉えて観衆に生き仏をまるで隣人の如く伝えます。ついつい観察癖が出てきて、結果から申しますと法王は人間の生理現象に極めて従順と申しますかあくびの出るときは祈りの時間でも小さくあくびをして、にこやかな表情を絶やすことがありません。


Ama no sakahoko.高千穂峰山頂の天の逆鉾

また、観衆の真剣な表情に答える意味合いも有るのでしょうか、日本語通訳が会場に響く法王の沈黙時には笑顔で言葉を表現されていると理解しました。自然体とはかかる状態を指すのかと感じ、なるほど、仏教とは神を信じない宗教と言う意味合いが伝わり、絶える事の無い笑顔はチベット僧侶として長年修行のたまものと理解しました。


Torii in which a sanctuary is shown.天の逆鉾がご神体であることを示す鳥居

また、インド・台湾・韓国・モンゴル・チベット・日本と各国僧侶が唱える声明にはひたすら聴き入ると申しますか、楽しんでおられる様子さえ伺えて法話による出逢いの喜びが観客席まで伝わってきます。この声明の時間を昼食後一時から二時までの一時間設定されて、その中でアジアの仏教を紹介する場に変えるなど、それなりに主催者の意図も見えてきます。ダライラマ法王法話の元では声明が映えます。お国柄と言いますかアジアの仏教がどのような歴史を積み重ねて来たのか、声明を通じてご披露している如く思えました。


I looks down at Mt.Ohati.帰路の山頂から眺める御鉢

さて、では人間とは何なのだ?と日頃考える事について、法話でどのような知恵を頂いたのか、自分なりにお復習いをしてみます。人間とは頭形からして両手の平一杯の頭脳、これは万民全て同じです。その頭脳により人はそれぞれに何らかの課せられた役目を担っているはず。人の頭脳には無駄と言う言葉は通じません。周囲の人は対象となるその人が果たす役目に遅かれ早かれ気づくべきです。凡人の悲しさ、まずはその人が果たす役目を理解しないとその対象となる人を理解仕切れません。この辺りが修行の無さか。


A green mountain trail.緑の林を高千穂河原へ

午後の講演で法王が申された事の一つは「今世紀は世界を一つに捉えて物事を考える」と続きます。この辺り筆者の理解度で解釈しますと、ダライラマ法王も世界の旅人。人の世に有情が存在する限り人間は英知を傾けて宗教を創造したと理解します。人類が宗教を持つようになって幾千年を経たのでしょうか?新世紀も早十年が過ぎてなお宗教を必要とする人々は減少しないさまを会場に見ました。


The way back is one hour and 15 minutes.古宮から振り返る御鉢と高千穂峰山頂

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