緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

内之浦人間魚雷基地跡

2009年08月21日 18時10分59秒 | 歴史
8月21日(金) 

今日は思い切って鹿児島県肝付町小串へ旧日本海軍の内之浦人間魚雷基地跡を探索することにしました。肝付町役場文化センター担当者の助言を得て現地をほぼ確認します。都城市から一時間一〇分の距離、志布志高規格道路と広域農道そおかい道を除けば大崎町から先の国道四四八号線他は車の流れがほとんどありません。スムーズな行程です。


志布志湾の米軍艦船目指して体当り攻撃人間魚雷回天発進基地跡

また、今日は志布志湾が穏やかで逆光で白く輝く海面が広がり、なにかしら神々しいものに出逢った気分になります。国道四四八号線から小串(こぐし)集落へつながる入口を最初は迷いますが、小串トンネルの手前で引き返して再度探索します。集落公民館と思われる建物があり、その南側を集落へと繋がる道路を下っていきます。



戸数にして当てっずぽうで三〇戸ほどでしょうか、棚田と民家の風景が何とも山村風景そのもので、集落の人々が棚田や道路の草刈りに午前中作業で取りかかっています。その内の一人に道の確認をします。どうやら海岸ぎりぎりまで道はあり舗装されています。終点は小さな駐車場、軽自動車が五台も駐車すれば身動きが出来なくなる広さです。




小駐車場から旧人間魚雷基地跡迄の道筋は、まず駐車場から海に向かって右方向へ進みます。すぐ小さな橋があり、その先に田圃のあぜ道を山へと進みます。田圃のあぜ道は分かり難い個所がありますが、ほどなく山の入口にたどり着きます。
そこから山道を左下に大石の連なる海岸を見て十分ほど歩きます。道は細く雨上がりの後などは滑らないように注意、滑れば岩場の浜へ一直線大けが間違いなし。その予防には、しっかりとした靴と長ズボン着用、暑さ対策で水分も持参すべし。いよいよ浜への下り道に差しかかりますと崖面に補助ロープが設置してあり、ゆっくりと下ります。



さあ岩場の浜に到着しました。ここが六四年前まで人間魚雷回天基地跡か!予備知識が無いとさっぱり回天集発基地が何処なのか見分けが付きません。自然の岩場に人工の掘削後を探すのには船舶への予備知識も必要です。内之浦人間魚雷基地跡とは、ベニヤ板の小型船舶に爆雷を積んで海上を敵艦目指し直進して体当たり、敵艦もろとも轟沈するのではなくて、回天とは一人乗りの小型潜水艦、魚雷を人間の搭乗できるように改造した海の特攻兵器、海中を敵艦目指して水中進行するので敵艦に気づかれにくい、当時のレーダーにはどうであったのでしょうか。昼夜攻撃が出来た兵器と理解して良いのかも。沖縄戦の次は本土決戦南九州が戦場になるのですから、当然に旧軍もあらゆる兵器を総動員してアメリカ軍を迎え撃つ布陣を志布志湾に引いたと見ます。


空からながめた小串集落と海岸沿いの人間魚雷基地跡

八月下旬、南九州海辺の日射しはことのほか強く、汗がダラダラ、予備知識になかった回天移動用レール跡や建物跡までは探索し得ませんでした。回天発進基地と思われる岩場をカメラに納めて一段落。前方に志布志湾と太平洋が広がる大海原、なんとも当時の悲壮感が伝わってきます。ここは戦場であった、否、敗戦が三ヶ月遅れたら確実にここから回天魚雷が発進したと見ますと現場の持つ強さか、太平洋戦争の一端に触れる思いがしました。
参考文献:書籍名:砲台の夏草、著者:太佐順、発行:南日本新聞社


東側浜辺の白い岩場が人間魚雷基地跡

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