緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

読書のあとは

2010年03月04日 22時16分39秒 | 健康
3月4日(木)  

 どうやら五日間も経ちますと風邪にも回復兆しが見えて、それに連れて仕事人間の本領が戻って来て雨の中でも車を走らせて東奔西走、面対面こそビジネスの基本と、はや読書の優雅な時間は遠ざかり雨で曇るウインドウを気にしながら気づいた時は午後もかなり西に傾いた時間になっております。



昨年の新刊書「ハチはなぜ大量死したのか;ローワン・ジェイコブセン著」と 新刊書「たかがハチ、されどミツバチ;桑畑純一著」鉱脈社刊とを持参して、当方で兼ねてお付き合いの延長で選ばして頂きました次なる読書人宅へ届けます。運良くご本人さまが在宅されており、当方の主旨を良く理解されて気持ちよく貰って頂きました。書籍送り人の志は次なる人へつなぎました。さあ、これで書籍で得たミツバチはわが魂の中にあり、春の日ざしに野鳥の写る光景、その中にミツバチを見出すようになるか、これからの心掛け次第と言うか、野生への観察力が更に深まるか、ミツバチという有り難い示唆を頂いた気分でもあります。



やはりCCD(ミツバチの蜂群崩壊症候群)と言う現象は大きな衝撃、詰まるところ人間と付き合ったばかりにセイヨウミツバチがここまで疲労困憊しているとは、その連なりを今ある田舎生活で風景の中から見出し得るかどうか?このCCDと言う言葉で風景への見方もより細部まで見通すようになる事を自分ながらも励みましょう。見落としてきた事実の解明!これから自然観察の宿題として、ともあれ知った上は仕事人の心意気で探さねばなりません。堅苦しい表現になりましたが、それが歳を重ねる者の宿命か。自然界で人間が犯している戻ることのない環境破壊、観察者の眼力をいかようにつけるべきか、言うは易し行うは難しか。



話は野鳥の事、これからもミツバチの隣におるべき野鳥、人間の基本は遠くから観察するのがこれからもベストであると常日頃考えております。人間には解らない世界が野鳥にはあると。ややがっかりしますが、最近の言葉では鳥インフルエンザか、ダニやウイルスの存在、食用にも果樹の花粉媒介もしない野鳥とは人間から見ればその生態は解明の必要ないものであります。



そんな野鳥でも古の人は何かと書物の中まで取り込んできました。「空の鳥を見よ。蒔かず、刈らず、倉に納めず、然るに汝らの父は、これを養ひたまふ。汝らはこれよりも遥かに優る者ならずや。」こうして見ますと大らかな古の生活は何処から来るのでしょうか?



母親と帰省中の孫娘がようやく振り向いて笑顔を見せてくれます。心安まる滞在期間は二週間か、読書と平行した期間、日は瞬く間に過ぎ去り残り三日間となり名残は惜しい一歳の笑顔です。こうして見ますと孫の代は都市生活者か、あと三一年後に彼女と出逢って人生相談に乗ることを勝手に決めて家内で公言しております。丁度その時は百寿者。それくらい迄にはミツバチの観察もベテラン域に達しておるでしょう。




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