緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

日向灘の浜歩き

2009年03月15日 17時46分30秒 | 自然
3月15日(日) 

えびの高原は氷点下十四度を記録して積雪二センチと朝の新聞は報じています。朝から底冷えの一日が始まりそう、だけど空は快晴、昨夜から準備した握飯と卵焼きと漬物の三点セット弁当(まるで六〇年前の小学校一年生の遠足弁当と同じ)をリックに詰め込みめざすは新富町富田浜公園、朝の九州自動車道宮崎道走り東九州自動車道西都インター経由で一時間十五分ほどです。



三年前の四月九日に鹿児島県東串良町ルーピンの浜を出発して宮崎県の海岸を歩くことを決めてようやく最近高鍋までたどり着いたところです。途中歩く順番が逆になったり、省いた部分もあり串間市から都井岬経由の青島までは砂浜も少なくてパス。再起点は青島、そこから宮崎港・一ツ葉浜経由で石崎浜まで歩いて、そこで小休止。先日高鍋海岸を歩いて、今日の行程は新富町富田浜から高鍋町宮田川河口までの約五キロを北へ向かって歩きます。



富田浜から五キロ先の高鍋町の緑が見えます。海岸線は真っ直ぐ北へ伸びています。浜に出たのが午前九時前、さあ歩け歩け、晴天の空の下、日向灘は穏やか、潮騒に耳が慣れてきますと写真を撮るゆとりがでて来ます。浜歩きは霧島で二十年続けた山歩きと異なり足元の注意が十分の一で済みます。これは高齢になり判断力が衰える身には有難いことです。浜歩きで注意すべきは津波となんだろう突然天気変更による落雷でしょうか、日向灘は地震の巣窟、それ以外は浜の見通しも良くて波の荒い日を除けばまず遭難はなさそうです。



新富町から高鍋町宮田川まで途中の小河川は五本か、土地から染み出す地下水が河川となり海へと注ぎ、河川水は役目を終えて海水に溶け込んでいきます。そんな河口の流れは走って横断します。小さな河口は沖に出るほど水流が広がり浅くなり浜靴とカッパのすそがぬれる程度で済みます。こうして日向灘に面した砂浜を歩きますと潮が引くほど浜地は硬くなっています。ふと思いますことは宮崎県日向灘に面した海岸線は今も隆起活動が続いているのだろうか?と言う素朴な疑問です。浜地の硬さに過去に遡る時間を思い浮かべます。



この五キロの海岸線に出会う人はわずか数人、釣り人に犬の散歩で浜に出た人、浜は荒波が洗い流したのかゴミは少なくて流木が時折目立つ程度です。沖合いの黒潮にウミンチュの姿を思い浮かべます。外海の波の穏やかな晴れた冬の日は浜歩きにもってこいの日か。リックには弁当と着替えの下着と水筒二本と黒砂糖、身は登山用カッパで頭の先から足首まで覆います。浜風はまだ冷たくカッパが必需品。



終点高鍋町宮田川河口まで一時間十五分ほどでたどり着きます。波が穏やかなせいでしょうかぎりぎりまで海沿いを歩きまだ足の疲れはありません。高鍋の海辺にはサーファーが波乗りを楽しんでいます。黒いウエットスーツが太陽の光で鈍く光ります。ここで下着を取り替えてついでに早い昼食をとります。意外と空腹が早く襲ってきます。日向灘の蒼さを眺めながらほほばる握飯の美味さよ、魅せられた者が知る海辺の世界、一段落しますと今来た浜辺を折り返して冨田浜へと向かいます。往復の行程、要した時間は二時間三十分、疲れた足は近くにある温泉でほぐして一休みしてさっぱりとなります。日向灘の潮騒がすっかり頭のモヤと体の硬さを吹き消してくれた一日でした。


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
村正(むらまさ) (妖刀)
2009-03-17 14:32:15
 村正の 切っ先のごと 光る波
  我を哀れみ 寄せては返せ
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休憩も楽し (精神コントロール術)
2009-03-18 16:32:32
 傍聴の 休憩時間 もてあまし
   微分積分 数式を解く
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67年生きて (今宵も良か晩)
2009-03-18 20:42:25
応用数学も難しかったな!

娘のひとりは英文学で難なく
PCの世界に入り込んで
今じゃその道の専門家

プロもアマも見分けつかない
振り返ると蒸気機関車の汽笛が
郷愁を呼ぶ
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