緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

父の供養(宗教とは何か)

2007年11月10日 16時37分46秒 | 健康
11月10日(土)

宗教とは何なのか?死ぬまでしゃっきっとして生きる杖、杖じゃあんまりでしょう!この世とあの世の架け橋、この程度にしか答えられません。そんな思いに囚われていますと、目に入った著書名は「仏法の教えは無我にて候」、タイトルに候が入りますと間合いが出てきてゆとりが生まれます。


親鸞聖人開祖とする浄土真宗、報恩講を布教活動の一つとして、庶民の間に信者を広げていき、明治九年九月五日以降ここにも布教が始まった

このタイトルを自分なりに変えますと「仏の教えは無我なり」、文章から受けるニュアンスはだいぶ間合いも柔らかさも減ってきます。無我という言葉は宇宙の広がりを感じさせます。仏教以外の宗教でも無我と言う観念は有るのでしょうか?


宮崎県仏教壮年大会が攝護寺本堂で開催されて、境内は普段より多い人と車、都城組は九ケ寺より構成されており、その門徒数は幾人?

土曜日の朝、菩提寺に父の供養に出かけますと、浄土真宗の報恩講でにぎわうお寺の境内に入りこみます。しかし、時計が逆に回り往時をふり返りますと仏様との出逢いは仏壇前、全て集落で冠婚葬祭を済ませていた名残か、宗教は死者と伴にあり、死者の出向く先の道筋案内人、その先に死者の生きる世界があります。そんな世界を幼児期に見て、門徒衆ながらお寺へ出向いて報恩講の座にすわる機会を持ちませんでした。それから社会の変化・車社会がお寺開催の報恩講を拡大して行きました。


お寺の建物は木造建築の粋を集めた感があり、それが盆地人の穏やかな性格にマッチして光の先に阿弥陀如来様を感じさせるのかな

亡くなった父の年齢より二三年も長生きして恵まれた世界を感謝します。父の世代は時代背景に食料不足もあり体に基礎体力が無かったのでしょうか。今でも最貧国は世界にごまんと有りますに日本の六〇年前は敗戦の痛手もあり、あの貧しさ、あんな世界には二度と戻りたくありません。そんな敗戦の痛手、今にして思えば人々の情報不足、世界が見えなかった時代の話です。


いつもは本堂で開催される祥月命日の供養、今日は御影堂で供養が営まれました。一年に一回父を供養する日、あの日は寒い晩秋の日でした

さて取り留めのない話をどこまで続けようとするのか、宗教の話が原点。人間は死んでも何処かで生きていたいと言う願望が宗教の始まり、なるほど自分でも納得する言葉です。死んでも生きていたい。その通りですね、肉体は果てても魂は生き残る。この思いを営々と引きずってきた、引きずってきた故に人間は滅亡することもなく地球上に未だ存在しています。


藩主と農民の葛藤、かくれ念仏を演劇にと稽古場になった御影堂、脚本家と舞台監督と天女の下で、都城LC会員が舞台稽古に励みました

人間の抱えるものの一つ、欲望と言う名の自爆装置を生まれて死ぬまで持ち続ける本質、その怖さを本人はとうの昔から知っていた、営々と気の遠くなるほど永い年月を掛けて宗教という安全装置を考えついた。時代も変われば人も代わりまして地域も変わる。そこにはごまんと宗教は生まれやがて忘れ去られていく。そのたどり着く先に無我と言う宇宙を考えつき、欲望を抑え込もうとしています。どうやらここまではたどり着いた。今日はこの辺までです。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿