旧・坂本ひろし活動日誌(2005~2014.8)

日本共産党・坂本ひろしの活動や日々のつぶやきを掲載。OCNブログ人サービス停止に伴いgooブログに記録。

『アウト・オブ・キリング』のものすごさ

2014-07-26 23:11:00 | 日記・エッセイ・コラム
トンデモナイ映画だ。

60年代インドネシアでの大量虐殺の首謀者たちは、今もなお社会でそれなりの地位を得て悠々自適の生活を送っている。その彼らに、映画の中であの虐殺を再び演じさせ、さらに映画制作に関わらせるという、とてつもない内容である。


フォルツァ総曲輪の上映終了日まであとわずかだったが、何としても観なければと駆け込んだ。

観てよかった。

いかに出血させずに、短時間で殺し処理するか。その生々しい証言を、処刑場となったその場所で、殺人者が身振り手振り無邪気に笑みを浮かべながら説明する。

殺人者と共演する人の中に、幼少の頃、父が逮捕・拷問の末虐殺され、父の亡骸を叔父といっしょに人目につかぬよう道路わきに埋めたという男性がいた。その男性は、父を殺したであろう相手と競演し、映画の中で拷問をうける役を演じたのである。演じているうちに、彼は当時のことを思い浮かべ正気を失ってしまった。

信じられないキャスティングである。



戦慄を覚える場面は無数である。今日もなお、民兵やヤクザが権力との癒着を背景にして社会と経済の支配している現実が描かれている。人民が経済とマスメディアでコントロールされ、恐怖政治で支配されているという感じだ。

さて、殺人者は映画作りが進むなかで、自分たちのやった事は一体何だったのかと自問していく。そして、数々の「共産主義者」を処刑したその場で、亡霊を見、嘔吐を繰り返す。そりゃそうだろう、と思った。しかし、私たちが期待したような、懺悔とか真の反省とかいった結末には至らなかったのである。

そこがまた、インドネシアという国の複雑で厳しい現実を映画に映し出していると、痛感させられるのである。

『アクト・オブ・キリング』は、殺戮による人民支配への厳しい批判と、それを生む土壌を簡単には覆せないというインドネシア社会の現実を、鋭くえぐった作品だと感じた。

その意味で、とてもよい映画だったと思う。後味はよくないけど。

DVDなどでご覧になる事をお勧めしたい。

インドネシアという国がどのような歴史的過程をへて今日あるのか、また、そのようなインドネシアが、なぜASEANの主要国として、東南アジア地域の平和と経済発展の中軸を担っているのか、という点をぜひとも知りたいと思った。

Wikipedia「インドネシア」よれば・・・
インドネシア共和国(インドネシアきょうわこく)、通称インドネシアは、東南アジア南部に位置する共和制国家。首都はジャワ島に位置するジャカルタ。
5,110kmと東西に非常に長く、また世界最多の島嶼を抱える国である。赤道にまたがる1万8,110もの大小の島により構成されるが、この島の数は人工衛星の画像から判別したものであり、正確な島の数はインドネシア政府すら把握していない[2]。数年がかりで島の数を数え直したところ、2013年11月12日、島の数は従来より4000ほど減って1万3466だった事が明らかとなった[3]。人口は2億3000万人を超える世界第4位の規模であるが、その大多数はイスラム教徒であり、世界最大のイスラム人口国としても知られる。
島々によって構成されている国家であるため、その広大な領域に対して陸上の国境線で面しているのは、東ティモールのティモール島、マレーシアのカリマンタン島(ボルネオ島)、パプアニューギニアのニューギニア島の3国だけである。
海を隔てて近接している国は、パラオ、インド(アンダマン・ニコバル諸島)、フィリピン、シンガポール、オーストラリアである。
東南アジア諸国連合(ASEAN)の盟主とされ、アセアン本部もインドネシアの首都ジャカルタにある[4]。そのため、2009年以降、アメリカ、中国など50か国あまりのASEAN大使が、ASEAN本部のあるジャカルタに常駐[5]。日本も、2011年(平成23年)5月26日、ジャカルタに東南アジア諸国連合(ASEAN)日本政府代表部を開設し、ASEAN大使を常駐させている[6]。



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