旧・坂本ひろし活動日誌(2005~2014.8)

日本共産党・坂本ひろしの活動や日々のつぶやきを掲載。OCNブログ人サービス停止に伴いgooブログに記録。

射水平野の排水、乾田化事業はすごい

2010-07-29 13:58:00 | 日記・エッセイ・コラム

7月25日、毎年夏の黒河児童クラブの企画で、親子体験学習に参加してきました。100725水土里ネット黒河(黒河土地改良区)とのタイアップ企画。

射水平野土地改良会館では、昭和30年代から始まった国営の排水事業のものすごさを学んできました。

かつての射水平野の稲作は、腰の深さまでつかっての稲刈り、収穫された稲を牛馬や人力で船を水路にそって引いて運ぶ、といったたいへんな困難を伴うものでした。これを克服するために、海面より低い地帯での排水路の整備と大型排水機場の建設によって、ついに乾田化に成功し、用水路の整備ともあいまって近代的な稲作が可能となったという事、コメ作りを大きく変革してきた先人たちの苦労の歴史を学ぶ事ができました。

当時をしのばせる貴重な映像フィルムも上映され、昭和30年代以前の農作業を十分イメージすることができました0104_p01_2。「へえ~、大変だったんだ~」正直感動しました。

ひとたび雨が降ると、周辺の道路も水浸しになり、作業道が沼地になってしまう地域です。画像は下記にリンクしておいたページにあったものですが、ほとんど湖です。そこで、軟弱な道にトネリコの粗朶(木の枝のたば)を敷き詰めて人馬や車が沈まないように工夫していたということでした。これも、とても印象に残りました。

低学年の子どもたちにはちょっと難しいないようだったかなと思います。しかし、わが家族もふくめ、農業・コメ作りにはまったく縁もない生活をする人が大半をしめる時代だからこそ、いろいろな形で農業の苦労を実体験できるようにする意識的努力が必要だなあと感じます。

いろいろ調べていくうちに、いくつか勉強になりそうなページが見つかりましたので以下にリンク。

●国営の水利事業干拓事業などを紹介しているページに、射水平野農業水利事業が紹介されています。

http://suido-ishizue.jp/kokuei/hokuriku/toyama/imizuheiya/0101.html

文章の最後は次のように締めくくられています。

 着工は、昭和38年、完成までに14年の歳月を要しました。折しも戦後の高度成長期、国民生活の向上を目指した時代でもあり、近代的農業機械の導入など、この事業を契機として営農形態も生活様式も近代化の道を歩むことになり、今では、富山県有数の穀倉地帯に変貌を遂げ、さらに県内有数の工業地帯、住宅地ともなっています。

●射水郷農地防災事業推進協議会発行パンフ 「射水平野のいまとむかし いま住んでる射水平野になるまで」

 http://www.nn-toyama.jp/pamphlet/pdf/imizuheiya.pdf

も参考になりました。(富山県土地改良事業団体連合会のパンフ類紹介ページにリンク)

●富山県がつくった動画がヒットしたので、貼り付けておきます。
 社会科の勉強にはこうした動画を行政や教育機関も積極的に活用すべきだなと感じました。地味だけど、こうしたものを作っていることはとても大事な事だと思います。ただ、中身はちょっと無味乾燥な感じもしますので工夫が必要かも。

(「昔はホントに大変だったんだよ、でも排水事業によってどんなに助かったか・・・」といった農業者の声や資料的な映像を編集すれば、子どもたちにとってとても教育的な動画ができると思いました。ぜひどこかの機関で作ってほしいものです)

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射水平野の農業用水は、庄川、神通川水系から引かれ、田畑を潤しています。黒河地域の用水(六ヶ用水)の水源は庄川の合口ダムとのことで、親子体験学習の一行は、庄川の合口堰堤でも現地見学を行い、その役割を学びました。とてもよい体験でした。

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